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私立叢雲学園怪奇事件簿【第二部 魄王丸編】  作者: 来栖らいか
【第五章 覚醒】
31/42

〔5〕

 頬を撫でる風が、とても気持ちいい。

 田村杏子は『秋月湖』の畔で両手を大きく広げ、全身を浄化するように胸一杯朝の空気を吸い込んだ。

 普段暮らしている海辺では聞いたことのない小鳥の囀りに耳を澄ませ、どんな鳥が鳴いているのかと思いめぐらせてみる。朝露を含んだ足下の草に小さな紫の花を見つけて屈み込めば、その瑞々しさが目に滲みた。

 でも……期待し待ち望んだ高原の朝を迎えたはずなのに、瞼が重すぎる。

 ぼんやりとした頭で、誰はばかることなく大きな欠伸をすると隣で見ていた親友の村上琴美が笑った。

「良かったじゃない、優樹先輩が元気そうで」

「あいつは馬鹿が付くぐらい頑丈だから、心配してなかったけどね……」

 滲んだ涙を手で拭うと、杏子は遊歩道から湖へと小石を蹴り込み不機嫌な顔をしてみせた。

 小石は朝日に煌めく幾重もの波紋を作り、澄んだ水底へと沈んでいく。本当ならば今朝の散歩相手は琴美じゃなくて、遼くんのはずだったのに……。

 遼との約束が反古になったと知り、琴美が牧原美加と村上黎子を誘って杏子を湖に連れ出した。寝不足から部屋でゆっくりしたかったのだが、明日の昼前にはこの地を去るのに遊ばなければ勿体ないと言う琴美に、逆らうことが出来なかったのだ。

 がっかりはしたけれど、優樹の側に遼がいると思えば安心していられる。

 幼い頃から、どこか危なっかしくて放っておけない優樹を、一つ下の自分が時には妹のように時には姉のように見守り心配してきたつもりだ。でも年齢が上がるにつれ、それだけでは解決出来ない隔たりを感じるようになっていった……。

 愛情や同情とは違う、家族に対する親身な感情と同じものを抱きながら、これ以上守ることも受け止めることも荷が重すぎる気がする。

 優樹のことは誰よりもよく知っているつもりだった……食べ物の好き嫌いも、好みのタイプも、普段の生活態度も。

 どんな時に喜び、どんな時に怒り、どんな時に悲しむかも……。

 だけど肝心なところは、よく見えなかった。後ろめたさを感じながらも、自分ではダメだと気付いてしまったのだ。

「もう、元気だしてよ杏子ォ! ……そうだ昨日焼いたケーキを持って、これから優樹先輩の部屋に行こうよ! せっかく焼いたんだものねっ、美加」

 杏子を気遣い、わざと琴美が明るく振る舞うと、俯いて美加が首を振った。

「あまり騒がしくしない方が、いいと思うの」

「はぁん? まったく美加ったら……もっと積極的にならなきゃダメだよ」

 呆れ顔で琴美が諭すと、美加は顔を上げて微笑む。

「ううん、違うの。今はね、ゆっくり休んでゆっくり考える時間が優樹先輩には必要なんだと思う……。あたし達が行ったら気を遣うに決まってるもの、邪魔しちゃいけないよ」

「そうかなぁ……こんな時だからこそ、アピールすべきじゃない?」

「だめ、そんなコトしたら嫌われちゃう」

「えっ、あ……そう?」

 涙目で訴えられ思わず琴美は身を引いたが、傍で聞いていた杏子も美加の言うことが正しいと思った。

 優樹のことだから、心配をかけまいとして普段通りに接してくれるだろう。いくら辛くても、苦しくても、優樹は杏子にそんな素振りを見せてはくれない。

 気遣われて、安心してしまう自分が嫌だ。黙って見守ることなど出来ない。だからといって、力にはなれないのだ。

 優樹を補ってあげられるのは遼であり、受け止めてあげられるのは美加のような女の子だと思う。

 では一体、自分はどうすればいいのだろう……切なくて胸が苦しい。

 高校生らしい女子の悩みに、年長者の村上黎子が微笑んだ。

「部屋に押し掛けるのが迷惑だと思うなら、ティータイムに誘ってみたらどうかしら? 個々で思い悩んだりするのは精神衛生上、好ましくないわよ。こっちに来てから色々あって、お互い妙に距離感が出来ちゃったじゃない? 館山に帰る前に関係修復しておこうよ。優樹君が来てくれなくても美味しいスイーツと、お喋りが良い気晴らしになると思うしね」

 黎子の言葉に、納得の笑顔で美加が頷く。

 複雑な気持ちが解消しないまま、杏子は桟橋に向かって歩き出した。すると、その方向から誰かがこちらに歩いてくるのが見えた。

「ねえ、ちょっと……あの人って確か……」

 琴美が杏子の肩をつつく。

「おはようございます、今日は良い散歩日和ですね」

 声を掛けてきた日下部に、杏子たち四人は身を固めた。が、年上の責任感からか黎子が一歩前に出る。

「まだ、こちらにいらしたんですか?」

 日下部は人の良さそうな笑顔を浮かべ、体裁悪そうに頭を掻いた。

「いやぁ、鳥羽山と連絡が取れなくてね。少しこの辺を捜してみたんですが……昨夜の雨を、やり過ごせそうなところもないので、今から車で近くの廃村に行ってみるつもりなんですよ。まったく言うことを聞かない困ったヤツでね、怪我など無ければいいんだが」

 日下部の指示に従わず『美月荘』に戻ろうとした鳥羽山が、昨夜から行方知れずになっていると杏子達も聞いていた。

 まだ、見つからないのだろうか?

 日下部の服装を見れば上着もチノパンも泥だらけで、林や藪にまで入って探し回っていたのだろうと推測出来る。

 よほど心配しているのだなと思いながらも、どこかでいい気味だと思う感情が湧き、杏子は慌ててそれを否定した。

「美月さんや優樹先輩に乱暴な事したから、バチが当たったのよ」

 しかし澄まして言い放った琴美に、つい苦笑してしまう。

「キツイお嬢さんだなぁ……昨日のことは本当に申し訳なかったと思っています。私は昔ボクシングをやっていたものですからデキそうな相手を見ると、つい力量を試したくなるんですよ。優樹君は実に良い動きをするし、体格も申し分ない。有能なトレーナーにつけば……」

「止めて下さい! これ以上、あなたの冗談に付き合う気はありません! 不愉快です! それよりも、早く鳥羽山さんを捜した方が良いと思いますけど?」

 トーンの高い声で黎子が一喝すると、日下部は肩を竦めた。

「失礼した。ではもう会うこともないと思いますが、良い旅を……」

「あ……見て杏子、中島の方から何か流れてくるよ? ゴミかな?」

 争う様なやり取りを嫌い、少し離れたところにいた美加の声で杏子は湖に目を懲らした。

 挨拶を途中で止めて美加が指さす方向に顔を向けた日下部は、突然、黎子に向き直る。

「お嬢さん達は見ない方がいい……そこのあんた、一番年長だろう? すぐにこの子達を連れて湖から離れるんだ。それから……」

 苦々しい顔付きになり、日下部は小さく舌打ちした。

「……仕方あるまい、オーナーを呼んできてくれ」

「何言ってるの? あなたに何の権利があって……」

 詰め寄る黎子の前に立ち塞がり、日下部は形相を変える。

「あれは鳥羽山の死体だ……女の見るもんじゃねぇ」

 黎子が日下部の肩越しに何を見たか、杏子には解らなかった。

 ただ、日下部に言われたとおり杏子達をせき立て湖を後にした黎子の顔からは、血の気が完全に失せていた。

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