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私立叢雲学園怪奇事件簿【第二部 魄王丸編】  作者: 来栖らいか
【第五章 覚醒】
29/42

〔3〕

 雨は、夜半過ぎに止んだようだ。

 秋本遼は目覚めてすぐに窓を開け、清々しい高原の空気を胸一杯に吸い込んだ。

 昨日とは、うって変わったように青空が広がり霧もない。

 身体の痛みは残っているはずだが気分の良いのだろう、目を覚ますなり優樹は身体を動かしたがったが、珍しく早起きをして様子を見に来たアキラにあっけなく抑え込まれてしまった。

「今日は大人しく休んでろ、俺には逆らえないはずだよなぁ?」

 教えた合気道を、あのように使われたアキラが言葉で責めはしないが態度に怒りを含めて諫めた。

 優樹は叱られた子供のように、大人しく毛布を被る。

 その様子に苦笑しながら遼は、依然と何ら変わらない姿に少し安堵の息を吐いた。

 たとえカラ元気であれ、暗く落ち込んでいるよりはいい。何よりも大気中に、自身と戦うと決めた優樹の強い気概を感じることが出来るのだ。

 本棟に朝食をとりに行くと食堂に美月の姿はなく、代わりに及川と冬也が給仕に付いていた。

 朝食の用意は美月の仕事で、及川は昼から郷田は夜から仕事に就くはずである。訝りながら遼が用意された席に座ると、及川が御飯と汁椀を運んできた。

「お早うございます……あの、美月さんは?」

「美月ちゃんは町に用があって、今朝早く出かけたわ。何か御用かしら?」

 昨日の経緯を聞いているのだろう、遼の質問に答えた及川の声は少し固い。

「用があるわけではないんですけど……今日、出かける事は以前から決まっていたんですか?」

「えっ? いいえ……昨夜、遅くに『明日の朝早く出かけるから、朝食の準備をお願い』って頼まれたのよ。どうして、そんなことを聞くの?」

「……すみません、何でもないんです」

 少なからず美月のために怪我人が出たのだ、遼達と顔を合わせ難いのは当然だった。

 この地を去る前に美月と『蜻蛉鬼』の関わりを明らかにし、郷田だけではなくオーナーの緒永満彦や冬也、及川に危険を示唆するべきか? 

 しかし、どうすれば信じて貰えるのだろう……。

 邪念に囚われた美月は、自覚があると確信していた。郷田を交えて追求するべきだろうか?

 それとも、これ以上の関わりを避けて去るべきか……。

 朝食に手を付けず考え込んでいると、厨房に戻り掛けた及川は足を止め遼に向き直った。

「あの男の子……怪我の具合はどう? 病院に行かなくてもいいのかしら?」

「優樹なら大丈夫です。ご迷惑、お掛けしました」

「迷惑だなんて……だって悪いのはあの、変な人たちでしょ? お願いだから美月ちゃんを責めないであげてね」

「美月さんのせいだなんて、思ってません。その場にいた僕も、争いになるのを止められなかった……」

 遼が無理に笑顔を作ると、及川が安堵の表情になった。

「美月ちゃん、かなり気にしてるようなの……。実は今日、町に降りたのはコテージにある医薬品じゃ役に立たないからって、冬也さんが以前掛かってた接骨院まで痛み止めの薬を貰いに行ったのよ。一番近い道路が昨夜の雨で水浸しになって、回り道をすると片道二時間くらい掛かるの。でも、早く手に入れるために6時前には車で出かけたみたい」

 及川の言葉に、内心で美月を責めていた気持ちが少しだけ和らいだ。

 悪いのは美月でなく、湖の邪気だ。だがどうすることも出来ない……。

 及川に伝えられない歯痒さに、遼は苛立つ。真実を伝えたからといって、何かが解決できるわけでも無かった。

「及川さんも、この土地の出身なんですか?」

 朝食に箸を付けながら遼が尋ねると、及川は微笑んだ。暖かく安らぎを感じる笑顔に、郷田が及川を選んだ理由が少し解る気がした。

「そうよ、ただ私は町の方に住んでたから大学のテニスサークルで『美月荘』を利用するまで、美月さんや冬也さんに会った事はなかったわ」

「郷田さんは昔から、美月さんと冬也さんを良く知っていたそうですね……」

 及川は美月に対して、どのような感情を抱いているのだろうか? 

 内心で探る様に、表情を伺い見る。

 しかし嬉しそうに目を輝かせた及川に、遼は意表を突かれた。

「ええ、だから子供の頃の話を良く聞かせてもらうの。美月さんと、お兄さんの冬也さんが恋人同士の様に仲が良かったとか、美月ちゃんは身体が弱くて泣きながらマゴタロウを飲んでいたとか……。美月ちゃんのお母さんは病気がちで、早くに亡くなったんですって。だからオーナーの緒永さんは美月ちゃんを丈夫にしたかったらしいわ。今でも時々、気分が悪くなって休んだりすることもあるけど美月ちゃんにも支えてくれる素敵な人が早くできると良いのにね……。あれだけ美人だから結構交際申し込まれるのよ? ところが首を縦に振らないの!」

 どうやら及川は、素直で人の良い性格らしい。お喋りの内容からは、美月の気持ちなど微塵も察してはいないようだ。

 それにしても、郷田の口からも出た『マゴタロウ』とは何か? 遼には優樹が説明してくれたヘビトンボの幼虫しか思い浮かばないが気に掛かる。

「あの……マゴタロウって薬の名前か何かですか?」 

 遼の質問に、及川はいたずらっぽく笑った。

「民間療法って言うのかしら? この地方ではヘビトンボの幼虫のマゴタロウ虫を焼いた粉を飲ませると、身体に良いと言われてるのよ。でも……今時そんなことする人はいないでしょうね」

 途端に悪寒が走り、皮膚が粟立つ。

 もとより変わり食材は苦手だが、湖で見たヴィジョンまで脳裏に甦り意識が遠のきそうになった。

「どうしたの? 気分が悪いのかしら?」

「トンボの幼虫に咬まれて熱を出したことがあって……虫が苦手なんです、もう平気ですから」

 心配して顔を覗き込んだ及川を小さな嘘でどうにか取り繕うと、安心させようと遼は小鉢に箸を付けた。

「ところで……これは何の佃煮ですか?」

「カワニナよ、珍しいでしょう?」

 カワニナは、淡水に生息する巻き貝の一種だ。

 その姿が頭に浮かび、遼は急いでトイレに駆け込んだ。

 その後、心配する及川を、なんとか誤魔化し朝食を済ませてコテージに戻ると女子のグループが優樹を心配して訪れていた。

 優樹は朝から食欲旺盛で、湿布を取り替えに来た冬也が運んだ厚切りフレンチトーストを平らげ、牛乳一リットル瓶を一気に飲み干している。

 呆れて田村杏子が溜息をついた。

「バッカみたい、美加なんか一晩中寝ないで心配してたっていうのに……心配するだけ無駄だったんじゃない?」

 牧原美加が杏子の後ろから、恥ずかしそうに顔を出した。優樹は、決まり悪そうに笑う。

「悪ぃな……牧原、有り難う」

「あっ、あのっ、昨夜は雨音で寝付けなかっただけなの……でも良かった元気そうで。それじゃ私、部屋に戻るねっ」

 はにかみながら耳まで真っ赤になった美加は、それだけ言うと急いで部屋を出て行った。

 杏子が、その後ろ姿に溜息を乗せる。

「何やってんのかなぁ……面倒見切れないんだから。とにかく優樹、美加を泣かせる様な真似はもうしないでよねっ! わかった?」

「ええっ? ああ、わかった……」

 いつにも増して強気な杏子に、優樹は素直に頷いた。しかし女の子達が居なくなり、遼と二人になると首を傾げる。

「杏子のヤツ、機嫌悪かったな。牧原を泣かせるなって、どういう意味だろう?」

「さあね」

 美加の気持ちを汲み遼は惚けておいたが、ここまで鈍いと杏子が気の毒だ。

 優樹の暴力を目撃したショックと怪我の心配で、杏子も眠れなかったのだろう。酷く疲れた顔をしていたが、それでもなお美加を気遣っている。

「みんなに、心配かけちまった。逃げてないで、ちゃんと解決しなきゃならねぇよな。でないと、また……杏子や牧原を泣かせちまう。多分、そう言う意味なんだろうけど」

 微妙に取り違えているようだが、優樹なりの理解に遼は笑った。

「そうだね……もし君が不安や恐怖を抱え込んでいるなら、少しずつで良いから話してくれないか? 抱え込まず解決しないと、自分をコントロールできないと思うんだ。轟木先輩が横浜の本家の話をした時、君らしくない態度に吃驚した。やっぱりお祖父さんや、お姉さんが関係あるの?」

 途端、優樹の表情が険しくなり握りしめた拳が小刻みに震えた。

 間違いなく、そこに理由がある様だ。

 だが、振り払う様に顔を上げて優樹は、堪えた笑みを作った。

「ゴメン、今はまだ言いたくねぇんだ……もうちょっと時間を貰えないかな?」

 だけど、と言い掛け遼は言葉を飲む。無理に問い質し、傷つけたくはなかった。

「うん……わかった。でも覚えていてくれよ、僕は何があろうと君の味方だ」

「サンキュ! なんだか子供の頃と立場が逆になっちまったな……やっぱり強いのはお前の方だよ、遼」

「何言ってるのさ、君がいたから今の僕があるんだよ。僕が力になれるなら、何でもするからね」

「ちぇっ、言ってくれるよな」

 ふざけて口を尖らせて見せた優樹は、ふと真顔になると遼から目を逸らした。

「そう言えば……遥斗と宙はどうしてる?」

「えっ? 彼等なら今日は最後の日だからって、満彦さんと渓流釣りに行くと言ってたけど。雨で水が濁ってるから、沢の上流まで車で行ったらしいよ」

「そっか、それならいいんだ」

「今朝、会わなかったの?」

「……」

 昨夜の遥斗と宙の様子では、優樹を避けていると推測できた。おそらく優樹も気が付いているのだろう。

「今朝は早く出かけたみたいだし、忙しかったんじゃないかな? 帰ってきたら、釣果を聞かせてもらわなきゃね。まあ、あの二人に期待は出来そうもないけど」

「オーナーが付いてるから解らないぜ? 夕飯になるくらい、釣ってくるかも知れないじゃないか」

「どうかな?」

 肩を竦めた遼の軽口に、優樹が笑う。

「俺も午後から、少し走ってみようかなぁ……」

「だめだ、君はこの部屋からでないこと。僕が付き合ってあげるから大人しくしてるんだ」

「お前、ここで何してるつもりだよ?」

「当然、勉強。よかったら、参考書を貸してあげるけど?」

 ぐっと喉を鳴らし、優樹は嫌そうな顔になる。

「おまえさ、強くなったっていうより性格悪くなった気がするよ」

「そう?」

 すまして遼はライティングデスクに向かったが、美月や郷田のこと、この地を去る前に何をどうするべきか考えると参考書を開く気にはなれなかった。

 美月が帰る前にアキラに相談してみようと思い立った時、ノックの音がして返事も待たずドアが開いた。

「轟木が、話があるそうだ」

 そう告げたアキラの後ろには、悠然と立つ轟木彪留の姿があった。

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