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私立叢雲学園怪奇事件簿【第二部 魄王丸編】  作者: 来栖らいか
【第四章 恐慌】
26/42

〔5〕

【注】少々、残酷な描写があります。苦手な方はご注意ください。

 細波さえなく鉛を流したような湖面が、やけに薄気味悪く思えるのは日暮れが近いためだろう。

 それにしても、鳥の囀りさえ聞こえず飛び交う姿もない。

 鳥羽山は、ズキズキと痛む鼻をアイスパックで冷やしながらボートが繋がれた桟橋に腰掛け、暗くなるのを待っていた。

 警察沙汰にするのは賢くないと双方が納得したとはいえ、低姿勢で詫びる日下部に鳥羽山は苛立ちを抑えられなかった。

 事故処理業者に引き上げてもらった車は幸いなことに故障もなく、木や岩に当たって出来た数カ所の凹みと傷だけで済んでいた。車に荷物を積み込み次第、『美月荘』を引き払う約束でオーナーを取りなしたのだが……。

「けっ、クソ面白くもねぇっ!」

 日下部が本気になれば、あんな連中の口を塞ぐことなど造作もないはずだ。

 しかし鳥羽山を咎めることもせず、病院に連れて行くと偽って桟橋に連れてくると暗くなるまで待つように命じて去っていった。

 おそらく予てからの計画を実行するため、必要な機材を調達に行ったに違いない。

 その計画とは、『秋月島』の祠から御神体である像を盗み出し、闇ルートで売りさばくことだった。

 暴力団のパシリをしていた鳥羽山が日下部と知り合ったのは、抗争相手の組員を半殺しにして刑務所に入った時である。

 生来、気弱なくせに激昂しやすく手が早い為に刑務所内でもトラブルが絶えなかったが、他の受刑者達から怖がられ好い気になっていた鼻っ柱を日下部にへし折られたのだ。

 義に厚く面倒見が良いため他の受刑者から信頼されていた日下部は、鳥羽山より半年ほど早く出所した。

 鳥羽山が出所すると直ぐに連絡があり、「行くところがなかったら頼ってこい」と言われて迷わず訪ねていったのだ。

 これ以上、暴力団のパシリや鉄砲をさせられて怖い思いをするのは真っ平だった。だが出所したことが解れば連れ戻されてしまうだろう。

 日下部なら、自分を守ってくれるかもしれないと思ったからだ。

 ボクシング選手でありながらリング外で人を殴り殺してしまった日下部は、力がものを言う世界で一目置かれていた。組の幹部に掛け合い鳥羽山を譲り受けてくれたのも、その力あってのことだった。

 もうキレたふりを装って人を脅したり、ヤバイ取引の斥候に立ったり、女を殴ったりしなくて済む。

 鳥羽山は日下部のためなら何でもしようと自分に誓いを立てた。

 死ぬことだって厭わない。

 今までの生き方からすれば、意味があるとさえ思えるからだった。

 日下部が始めた山師まがいの古物商は、意外に楽な商売だった。

 山村を訪れ軒先で農作業をしている人の良さそうな年寄りに声を掛け、少し力仕事などを手伝いながら上手く取り入り家のお宝を見せてもらうのだ。

 そして電化製品や他の美術品、もしくはわずかな現金で手に入れ都心で高く売りさばく。

 若い世代が出てきた場合は、早々に切り上げるのがコツだ。

 今回も悪い噂が立って人気の無くなった村があると知り、商売もしくは無人の民家に、ちょいとお邪魔してお宝を集めるつもりだった。

 その途中、立ち寄った役場で価値ある像の事を知り、ついでに頂いてしまう思惑が……。

「気にいらねぇ、ぜってぇぶっ潰してやる!」

 学生に殴られ無様を晒したことは、爪の垢程しかないとはいえ鳥羽山の自尊心を傷つけた。

 何より悔しいのは、初めから勝てる気がしなかった例の学生に、日下部が一目置いていると感じたからだ。

 日下部は、自身と同じ気質をあの学生に感じて、鳥羽山を使い何かを測ろうとしたのだろうか?

 確かに底知れない強さに臆したが、何かが違った。

 力に気圧されたというよりも、得体の知れない気迫に身が竦んだのだ。

 思い返せば惨めな気持ちになり、日下部に対して恥ずかしかった。

 湖面は刻々と暗さを増していく。そろそろ日下部が来る頃だろうと鳥羽山は目をこらして車のライトを探した。

 昼間に下見をしてから島に渡るつもりでいたのだが、これ以上『美月荘』に居られなくなってしまったため今夜、目的を果たさなくてはならない。

 組にいた時に見よう見まねで覚えたボートの操船が、日下部の役に立てて嬉しかった。

 何としても、お宝を頂いて面目躍如しなければ。

「うっしゃあ!」

 気合いを入れて立ち上がり、つい声を誰かに聞かれなかったか心配になって辺りを見回す。外灯もないこの場所に、暗くなって人が来るはずもないのだが。

 墨を流したように暗くなった湖面から、筋のような霧が流れてくるのが見えた。

 考え事にとらわれ気付かぬうちに、既に辺りは真っ暗で月明かりさえない。

 いきなり、ぞっとするような寒気に襲われて鳥羽山は、遠くにライトアップされた『美月荘』の明かりを頼りにようやく足下を確かめ、ポケットから懐中電灯を取り出すと電源を入れた。

 点灯しない。

「ちっ、こんな時に電池切れかぁ? おっかしいなぁ……新しい電池を入れたばかりなんだが」

 点く事を確かめてきたはずだが、間違ってまた古い方の電池を入れてしまったのかもしれない。

 確認のため電池ケースの蓋をひねった時、すっと首筋を何かか横切った。

「ひゃっ!」

 うっかり取り落とした懐中電灯は、桟橋を転がり水音と共に湖に沈む。

「やべぇ……まあ、日下部さんが持ってきてくれるだろうけど……」

 それにしても、首筋を横切ったのは何だったのか?

「水辺だからなぁ、虫か?」

 刺すような毒虫もいないだろうと思ったが、鳥羽山は無意識に頚に手をやった。

 すると生暖かな、ぬるりとした手触りがして慌てて手のひらを見る。

「……へっ?」

 手のひらには、おびただしい血が付いていた。

「何だぁ……? この湖には、切り傷をつくる虫がいるのか?」

 ちらりと脳裏に『人喰い湖』の噂が浮かんだが、馬鹿馬鹿しいと振り払う。

 自分を臆病者と認めてはいるが、幽霊や怪談話に脅えた事など無い。

 耳を澄ませばかすかに羽音がするではないか、近くで虫が飛んでいるだけだ。再び頬を横切った感触に、鳥羽山は素早くそれを叩き落とした。

 足下に落ちたモノを見れば、大きな羽を持ったトンボのような蜻蛉のような黒く長い虫が身体をくねらせている。

「うへぇ……気味悪い虫だぜ、頭がまるで蛇みたいじゃねえか」

 苦々しく虫を踏みつぶしたが、サンダルの裏に意外なほどの硬さを感じて足をどければボロボロになった羽根と比べ本体は原形をとどめていた。

「やけに頑丈な虫だなぁ……後で名前を調べてみっかな?」

 呟きながら、むず痒を感じた頬を手の甲で拭うとやはり血が付いている。

 この薄羽根が傷を付けたとは思えず、かといって咬まれたような痛みもない。

 しかしトクトクと肌を伝い落ちる血が、やがてTシャツをぐっしょり濡らすに至り鳥羽山は焦りを感じ始めた。

「どういう訳だ? たかが掠り傷じゃねぇか……ナンでこんなに血が流れるんだよ」

 はたはたと軽い羽音が、そこかしこから聞こえてくる。

 剥き出しの腕や顔、頚を何かが横切るたびに血が流れ出し、赤く細い筋を幾つも作り出した。

 羽音は次第に増えていき、目の下や鼻の上をかすめ飛び、滴るほどに血に濡れたTシャツに黒い虫が集り出す。

 朦朧とする意識の中で必死に払い落とすうちに鳥羽山は力を失い、膝を突いた。

「誰かっ……助けてくれよぉ……うわっ……ああっ! ひいい……っ!」

 蹲るように身を守ろうとした時、湖から這い登ってくる黒い固まりが、ざわざわと桟橋を埋め尽くすのが解った。

 固まりは瞬く間に鳥羽山を取り巻き、ダブついたパンツの隙間やTシャツの袖口から入り込んでくる。

 おぞましい感触に、総毛が立った。

 ちりちりと火であぶられるような痛みは、小さな虫が皮膚を喰破っているからに違いない。

 その時、一匹の虫が鼻の頭に喰付いた。

 いくつもの節を持つ身体をくねらせ、鋭いあごで皮膚を破り鼻の穴から身体に入り込もうとしている。

 鳥羽山は我を忘れ、大声で助けを呼んだ。

「誰か助けてくれぇ! 死んじまうよぉ……死んじまうよぉ! 日下部さん! 日下部さぁあん! ぐっ……がふっ!」

 口から進入した虫に喉を塞がれ、叫びは長く続かなかった。

 やがて黒い固まりは鳥羽山をすっぽりと覆い隠し、湖は再び静寂につつまれた。

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