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私立叢雲学園怪奇事件簿【第二部 魄王丸編】  作者: 来栖らいか
【第四章 恐慌】
23/42

〔2〕

 初めて目の当たりにした優樹の暴力……。

 遼はそれを止められなかった自分を責めた。

 優樹が走り出した時、「行くな!」と叫んだ。これは何者かの意思による罠だと感じたからだった。

 普段なら、チンピラの挑発に乗るような優樹ではない。だが、冷静な判断力をねじ曲げる要因が、そこにあった。

 ……美月だ。

「やって、くれるじゃねえか……」

 腹を押さえ、ようやく立ち上がった鳥羽山は、尻のポケットから取りだしたフォールディングナイフのスイッチを外した。

 カチリと言う小さな音がして、鋭い光が陽光を跳ね返す。

「なめやがって!」

 ナイフを構えた鳥羽山が、体当たりの勢いで懐に飛び込んできた。

 だが、刃先が届くよりも早く、半身の構えから一歩踏み出した優樹が瞬時にその手首を掴んで強く引く。勢い余り体勢を崩した鳥羽山に対して向きを変えると、腕を逆に捻り上げた。

「ひいっ!」

 ミシリと、鳥羽山の上腕骨が悲鳴を上げる。

 しかし手を緩めることなく、優樹は左腕をフルスイングさせ仰け反った顔面に向けて肘打ちを見舞った。

 ぐしゃりと耳障りな音がして、血まみれの顔面を抑えもんどり打って倒れ込んだ鳥羽山の背を、なおも勢いよく踏みつける。

「いやあっ! お願い、もう止めて! 優樹、優樹! 聞こえないのっ?」

 杏子が悲鳴をあげた。

 遼は、杏子が悲鳴を上げるまで呆然と見ている事しかできなかった。

 正確には止める間もないほどの素早い動作で、気が付いた時は既に鳥羽山は地面に突っ伏し、流れ出したおびただしい血が砂に黒く染み込んでいた。

 口腔内を満たす苦い唾液を飲み込み、深く息を吸う。力では敵わないと解っていたが、何としても優樹を抑えなくてはならないと覚悟した時。

「だから、てめぇの敵う相手じゃねえと忠告したんだがなぁ……ナイフを出して気がでかくなっちまったか? 馬鹿な野郎だ」

 からかうような男の声に振り向くと、にやついた顔の日下部の姿がそこにあった。 

 両手をパンツのポケットに突っ込んだまま日下部は、鳥羽山を醒めた目で見下ろしてから意外なほど明るい笑顔で顔を上げる。

「すまんが、その足をどかしちゃくれねぇかな? やりすぎは、お前のためにならねぇ。しかし……このまま引き下がっちゃくれそうにないツラ構えだなぁ」

 ポケットから手を出し、上着を脱いで草むらに放った日下部に、遼はさらなる危機感を感じとった。

「……ナイフを出して先に襲いかかってきたのは鳥羽山さんですが、優樹もやり過ぎました。後でお詫びに伺いますから、取り急ぎ鳥羽山さんを病院に連れて行って貰えませんか?」

 にこやかに、日下部は遼に向き直る。

「心配いらねぇよ、鳥羽山は鼻の骨を折るのに慣れてんだ。鉄砲玉だからなぁ、後先考えやしねぇ……。それより、お友達の心配をした方がいいぜ? 目の色が、変わっちまってる。だから、忠告してやったんだよ」

 その、いかにも嬉しそうな顔に遼は怒りが込み上げる。

「……忠告?」

「そうよ、言ったはずだぜ……この坊やの強さは諸刃の剣だってな。鳥羽山は、この優樹ってガキの中にある殺意に脅えたのさ。だからナイフを持ち出した……臆病モンにありがちな行動だ」

「優樹は、殺意なんか持っていない」

「まぁだ、そんな事言ってんのか? 見ただろう? この坊やは底の知れねぇ憎悪と殺意を腹のナカに抱えていやがるのさ。おまえ、本当は思い当たる事があるんじゃねぇのか? どうもそんな感じがするんだがなぁ……」

「あんたには、関係ない! 優樹に近づくなっ!」

 遼の叫びを無視して、日下部は優樹と向かい合った。

 優樹は足下の鳥羽山に踵で蹴りを入れてから、煽るように日下部を見据える。

「近づくな……ってか? そうはいかねぇよ、俺も可愛い舎弟のために一発くらい礼をしたいんでねっ!」

 言うなり日下部は、目にも留まらぬ早さで左拳を繰り出した。

 拳は鈍い音を立てて右頬にめり込み、衝撃で優樹は後ろに弾き飛ぶ。どさりと、いう音と共に土埃が舞い上がった。

 瞬時に日下部は体制を整え、胸に両拳を構えたスタイルで軽く身体を揺らしている。

 この、リズミカルな動きは……。

「ボクシング……?」

「ビンゴ! 5年前まで現役だったんだぜ? あの坊やが本気で掛かってきたとしても俺には勝てねぇよ、サウスポーにも慣れちゃいねぇだろうし……だがまあ、もう二・三発くらわねぇと諦めちゃくれないようだ」

 日下部が顎で示した方に遼が目を向けると、優樹がゆっくりと立ち上がるところだった。

 その表情は敗北を認めず、剥き出しの敵意を込めて日下部を睨んでいる。

「もう止めるんだ、優樹! 君の敵う相手じゃない」

「その通り、落とし前は一発で済ませておいてやる。これ以上やると怪我じゃ終わらねぇぞ」

 だが優樹は、低い姿勢から日下部の懐に向かって跳躍した。

 日下部はバックステップで素早く後ろに下がり、繰り出された優樹のハイキックは空振りに終わる。

 その無防備になった左脇にステップインで滑り込むと左フックを狙って顔面に注意を逸らし、日下部は空いたみぞおちにボディアッパーをめり込ませた。

「……っぐっ、はあっ!」

 仰け反って背から地面に叩き付けられ、優樹は血を吐く。

「切り抜けてきた場数が違うんだよ、坊や。根性は認めるが、俺にも忍耐の限度がある。いい加減にしねぇと、アバラの二・三本いただくぜっ!」

 脅しつけるような怒声に、優樹は一瞬顔を俯けた。

 諦めたかと、遼がほっとしたのも束の間、弾かれたように地を蹴り日下部の右脇に滑り込む。そして、かざした左腕で動きを抑え込み右手で顎に掌底を打ち据えた。

 虚を突かれ、多々良を踏んだ日下部のみぞおちに突き上げるように肘打ちを入れると、さすがの日下部も顔を歪めバランスを崩して倒れ込んだ。

 起き上がる隙を与えず肩を膝で押さえつけ、優樹は高く手刀を掲げる。

 突然、パシリ! と、虚空に大気を裂くような音が走り抜けた。

 優樹は、日下部を殺すつもりなのだ。

 黒い霞が入り交じった、青白い炎のようなものが身体を取り巻き、瞳の奥に紅い光が揺らめいている。

 優樹の変貌に、怒りが湧き上がった。

 全ての要因が、何者かの悪意によって操作されている。

 許せなかった。これほど強い怒りを感じた事は、未だかつて無い。

「やめろっ優樹! 僕の声を聞くんだっ!」

 全霊を注ぎ、遼は叫んだ。

 すると、鋭く振り下ろされた手刀が、喉笛をえぐる紙一重のところでピタリと止まった。

 機を逃さず、日下部が素早く優樹の股間を蹴り上げる。

「……!」

 声にならない声を上げ、蹲った優樹の髪を掴み上げた日下部は左拳を振り上げた。が、思い留まり、手を下ろす。

「有難いお友達のおかげで、人殺しになり損なったな。それにしても……」

 気持ち青ざめた顔色で、日下部は服に付いた土埃を払った。

「いったい……このガキは何者だ? 認めたくはないが、この俺でさえ冷や汗をかいちまった。こいつは……下手すりゃ自分さえ破壊しかねない、底の知れねぇ暴力の衝動を抱え込んでいやがる。そいつと覚悟して向き合えば、どの世界でも通じる力を持てるだろうが、一歩使い方を間違えば……」

 頬を引きつらせ、日下部は優樹を見据えた。

 膝を突き、茫然自失の表情で宙を見つめる優樹は、既に殺意に支配されてはいなかった。

「俺は……何をした?」

 優樹は、いまにも泣き出しそうな幼い子供のように顔を歪ませ、両拳を地面に叩き付けた。

 何度も、何度も叩き付けることを止めない。

 皮膚が裂け、血の滲む手を遼は、包み込むように握った。

「大丈夫だ、優樹……大丈夫だから……」

 恐れていた事が現実となり、絶望に似た虚脱感に襲われた。

 昨夜、優樹が独白した内なる闇と、抑えられた衝動。

 それが、こんな形で現れてしまうなんて……。

 もっと早く気付くべきだった。卑屈な考えに囚われて、大切な事を見失っていた。

 向かい合い、受け止められるのは優樹に信頼された遼だけなのだ。

「秋本っ、篠宮っ! 何があった!」

 切迫した呼び声に目を向けると、遊歩道を駆けてくるアキラと轟木、佐野の姿があった。少し離れて遥斗と宙も、こちらに向かっている。

「アキラ先輩……」

 苦渋の表情の遼と、只ならぬ様子の優樹にアキラは顔を曇らせた。

「雲もないのに、雷が落ちたような音がした。すぐに轟木が、篠宮が危ないと言って駆けだしたから後を追ってきたんだ……。説明してくれませんか日下部さん、場合によっては警察を呼びます」

 日下部は、気を失っている鳥羽山を抱き起こしニヤリと笑った。

「警察は、有難くないな……。ここはお互い、不問に付した方が良いのではないかな? どう見ても篠宮君はやりすぎたと思うし、学生の身で暴力沙汰が表立てば困るのはそちらの方だろう?」

 返す言葉を失い、アキラは苦虫を噛み潰したような顔になった。

「……さっさと自分で歩かないか鳥羽山、行くぞ!」

 渇を入れられ我に返った鳥羽山の、ふらつく足下を支えて日下部はその場を後にする。

「あの……私のせいでこんな事に……」

 困惑の表情を浮かべ、美月が湖の水で濡らしたハンカチを差し出した。遼は視線を合わせず受け取ると、ハンカチを優樹の手に添える。

「美月さんは本棟の仕事に戻って下さい……お願いします」

 躊躇うように美月は遼からアキラ達へと視線を移したが、目を伏せ「わかったわ」と答え立ち去った。

 その姿が見えなくなった事を確認し、遼は美月のハンカチを外し自分のハンカチで優樹の手を縛る。

「悪いけど杏子ちゃん、これ美月さんに返しておいてくれないか? それから冬也さんを捜して僕等のコテージまで連れてきて欲しいんだ、優樹の手当をしなくちゃならない」

「……うん、わかった!」

 鼻をすすりあげ涙の跡を手の甲で拭って、杏子は力強く頷き急いで本棟に向かった。

 膝の間に頭を埋め、身動ぎもしない優樹をそのままに遼は、アキラに向き直った。

「いつもの……優樹じゃなかった」

 遼から経緯を聞かされたアキラは、眉根を寄せ悔恨の表情を浮かべた。

「篠宮は力を使い誤らないと信じていた。合気道を教えた事が仇になったな……俺の責任だ」

「アキラ先輩のせいじゃない」

「おまえは、正体のわからない邪気が働きかけて篠宮の精神をねじ曲げてしまったと言うが……それは一体何だ? 何か知っているなら話してくれ」

「それは……」

 遼は顔を俯けた。何を何処まで話せばいいのだろう? 

 日下部の言うとおり、こうなる事を予感していたのかもしれない。予感しながら、自分のことしか見ていなかった為に何もしなかった。出来なかった。

 手遅れ、なのか?

 一度破壊の衝動に飲み込まれてしまった優樹は、もう元には戻らないのだろうか?

「秋本遼、お前が知りうる全てを話した方が良い。ただし、ヤツの手当が先だな……拳だけではなく随所に傷を負っている。一人で歩けるか? 篠宮優樹」

 隣に屈み込んだ轟木に、遼は意想外の目を向けた。

 別人のような、低く重い口調。十も二十も歳をとったような声。眼鏡の奥の瞳には、翳りがあった。

 確か、アキラ達は轟木に連れて来られたと言った。

 大気が裂けた音、青白い炎が黒い霞と混じり合い優樹が殺意に支配された空気。

 轟木は、何かを感じたのか? しかしなぜ?

 優樹がゆっくりと立ち上がり、轟木に向かって小さく頷いた。

「とにかくコテージに戻ろう。話はそれからだ……いいな、秋本」

 アキラの言葉に頷いて遼は、二人に両肩を支えられて歩く優樹に続いた。

 佐野が力づけるように、遼の肩に手を置いた。

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