〔6〕
「実はね、柏原義時を喰らったのは『魄王丸』ではなくて『蜻蛉鬼』と言う別の妖怪だったのよ。美那様は『魄王丸』に力を借りて『蜻蛉鬼』を倒し、仇を討った。そして、この島で『蜻蛉鬼』を封印するために、『魄王丸』と暮らしていた……これがもう一つの伝説なの」
美月の言葉に、遼は息を飲んだ。杏子も初めて聞く話に、呆気にとられた顔をしている。
「柏原義時の主君である園部実光には、義時の父君、柏原正義と力を二分する倉田秀剛という家臣がいた。この倉田という人物は奸計に長けた策士で、真っ正直な戦いしかできない園部実光の窮地を何度もその知恵で救ってきたのだけれど、義を重んじる柏原正義とは相容れない仲だったの。応仁の乱・一条大宮の戦いで山名教之の下に戦った園部は赤松政則の勢に大敗し、参戦した長男兼光が深手を負ってしまった。それから実光はすっかり弱気になり戦いから退く事を考え始めるようになったのよ、次男はまだ幼く、高齢の自分にはこれ以上戦いは無理だと感じてね。そこで野心家の倉田は園部の首を土産に、当時優勢だった東軍に寝返ろうとしたのだけど、そのためには柏原正義と息子の義時が邪魔だった……」
「じゃあ、義時を殺したのは倉田なんだな?」
嫌悪感を露わに口を挟んだ優樹が、騙す、裏切る、寝返るという単語を何よりも嫌っていると遼は知っていた。
「柏原正義も義時も頭の良い人物で、倉田の企みは直ぐに気取られてしまったの。焦った倉田は一計を案じ、都を騒がす『魄王丸』退治に義時を向かわせてはどうかと園部実光に進言した。当時は戦で死んだ兵の遺体が、野山だけではなく都の路上にも沢山あって弔いも間に合わないほどだった。放置されたまま野犬や狼、鳥や獣に荒らされて、その惨状が妖怪の仕業に置き換えられたらしいけど……戦場に白い獣を見たという話は瞬く間に広がっていったの」
「それが『魄王丸』なんですか? ではやはり、獣と同じく死体を?」
遼の問いに、美月は首を振る。
「それが……見た者の話では、白い獣が死体に近付く魑魅魍魎や野犬を追い払っていたというのよ。でも、その言葉を信じる者は誰もいなくて結局悪い妖怪と思われ、『魄王丸』と呼ばれるようになった。『魂を喰らう者』という意味らしいわ」
「あのっ、退治に行った義時は? 美那様はどうなったんですか?」
結末を早く知りたいのか、杏子が先を急かした。
「戦列を離れる口実が欲しかった園部実光は、まんまと倉田の進言を受け入れ義時を山城の山中に向かわせた。だけどそこで待ち受けていたのは、倉田が陰陽師に頼んで呼び出した『蜻蛉鬼』だった……。義時を弔ってすぐに美那様は、誰にも告げず一人で山城の山中に向かったの、せめて一太刀仇を返し自分も喰われて死ぬつもりでね。そして、何日も仇を捜して山中をさまよう美那様の前に、ある日とうとう白い獣『魄王丸』が現れた。『魄王丸』が仇と信じて疑わなかった美那様は太刀を振るったけれど、『魄王丸』は襲いかかってはこない。為す術もなく「我が身を喰らえ」と美那様が泣き叫ぶと、驚いた事に『魄王丸』は真の仇の名を教え、復讐するなら手を貸すと言ったのよ。そして申し出を受けた美那様を背に乗せると都に降りて倉田の屋敷を焼き払い、陰陽師が呼び寄せた『蜻蛉鬼』をくわえて何処かに飛び去った……」
「この島に辿り着いた美那様は、どうしてそのまま留まったんですか? 『蜻蛉鬼』は『魄王丸』が倒したんでしょう?」
杏子の言葉は、そのまま遼が疑問に思う事だった。優樹もいつの間にか話に取り込まれた様に、真剣な顔をしている。
「『魄王丸』が、その悪い妖怪を喰ったんだろ?」
「君が『魄王丸』なら、それもアリかな?」
「ちぇっ、なんだよそれ」
茶化した遼に、優樹がむくれた。
「そうね、いっそ食べちゃえば良かったのかも知れないけど……残念ながらとどめが刺せずに湖の奥深く封じ込めるのがやっとだった。そこで再び現世に現れないように力の強い法師に菩薩像を彫ってもらい、それを祀るために美那様は残られたの。兄上の兼光が迎えに来たそうだけど、仇討ちとはいえ多くの人を殺してしまった罪を償いたいと言って動こうとはせず、諦めた兼光は怪我で戦に出られない事もあって、美那様が安らかに暮らせるようにこの地に残る事にしたの。それが緒永家の先祖だと言われているわ」
「へえっ! 冬也さんの先祖は侍なのかぁ……カッコイイなぁ」
緒永冬也と付き合いが浅い遼も、その先祖が戦国の侍と聞けば毅然とした態度や義に篤い人柄が妙に納得できた。日頃、冬也を慕っている優樹は子供のように、はしゃいでいる。
「兼光は、妹が『魄王丸』といる事を許したんですか?」
遼の脳裏に再び白い獣の姿が甦った。あれは『魄王丸』に違いないと、揺るぎない確信が固まっていく。
「『魄王丸』は……ある日突然姿を消したそうよ。その正体が物の怪だったのか、あるいは神の使いだったのかは解らないの」
「神の……使い?」
湖で見た、禍々しい黒い塊。神々しささえ感じられた白い獣。
二つの映像が頭で渦を巻き、眩暈がして遼は座り込んだ。
何か恐ろしい力が襲いかかろうとしている、体現は運命付けられ、逃れる事は出来ない。
「遼、大丈夫か?」
顔を覗き込んだ優樹の瞳を見返した瞬間、遼の肌が泡だった。
冷たい戦慄、鮮明な言葉が意識を支配する。
「君が……」
「えっ?」
「……何でもない、大丈夫だよ。ちょっと目眩がしただけだ」
優樹の手を借りて遼がゆっくり立ち上がると、気遣うように美月が様子を伺った。
「掃除も終わったし、洞窟に案内してあげるつもりだったけど戻った方が良さそうね。昨日の事もあるし……休んだ方がいいわ」
「いえ平気です、ぜひ案内して下さい。美月さんの話を聞いたら、どうしても行ってみたくなりました」
「でも……」
躊躇う美月に譲らぬ態度で笑顔を返すと、優樹が小さく溜息をついた。
「こいつさ、見掛けによらず頑固なんだ。まっ、気分が悪くなったら俺に言えよ、いつでもおぶってやるからさ」
「悪いけど二度とゴメンだ、何があろうと自分で歩く」
「あー、そうですか」
遼の悪態に安心した美月は、掃除用具を取り纏めて両腕に抱えた。
「それじゃ、行ってみましょうか? 空も晴れてきたから、きっと気持ちが良いわよ」
先に立って石段を下りる後から、空のポリタンクを持って杏子が続く。
「あっ、荷物は俺が!」
叫んだ優樹に美月は手を振り、「いいから遼君とゆっくりいらっしゃい」と応えた。
「僕なら心配いらないのに……」
不満から呟くと、優樹が笑う。
「平気ならいいけど、無理すんなよ。……ところでさ、おまえさっき何か言い掛けただろう? 何が言いたかったんだ、言ってみろよ?」
はっとして遼は優樹を見返した。だが、言葉に出来ない。
「本当に……何でもないんだ。君があんまり早く石段を登るから、同じペースできつかったって言おうとしただけだよ」
「ホントだな?」
「本当だってば」
「俺に、嘘つくんじゃねぇぞ」
どきりとして、遼は息を飲む。
「おまえが妙な力で厭なモノを見ても、何も出来ないからイライラするんだ。だけど一人で考え込まないで言ってくれよ、もしかしたら力になれるかも知れないだろう?」
「心配ないよ、何かが見えた訳じゃないんだ」
「……そっか」
しかし優樹は、納得のいかない顔のまま動こうとはしない。
「嘘はつかない、約束するよ。何かあったら遠慮無く助けてもらうから……でもあまり、みっともないのは厭だな」
「背に腹は代えられないだろ? 厭なら佐野先輩が言ったみたいに鍛えたらいいんだ」
「君じゃあるまいし、勝手な事を言わないでくれよ」
「気になる言い方だけど、まっ、いいや」
ようやく気が済んだのか、踵を返し優樹は石段を下り始めた。が、ふと足を止めて振り返る。
「大丈夫だって、言ってるだろ? 自分のペースで行くから先に降りて構わないよ」
「わかった、下で待ってる」
これ以上の気遣いがかえって遼を疲れさせてしまうと知っている優樹は、何も言わずに石段を駆け下りていった。
その気持ちを有難いと思いながら、しかし遼の気持ちは沈んでいく。
これ以上詰め寄られたら言葉にしてしまっただろう、不安、疑問、謎、答えの出ない悩みで優樹を困らせたくはない。
美月が伝説を語り終えたとき、目眩と共に意識の奥深く何者かの声が響いた。
『全ては此処に、明かされる』
声は何を伝えようとしたのか?
『蜻蛉鬼』、『魄王丸』、美月……そして優樹。
予感を打ち払うように首を振り、遼は石段を下りていった。




