〔6〕
女性四人が加わり、途端『美月荘』は賑やかになった。
女性陣の参加を歓迎していなかった優樹だが、車が到着するなり真っ先に駆けつけ甲斐甲斐しく荷物を運び込んでいる。
そんなところは律儀だな、と、感心しつつテラスから眺めていると目が合った。優樹は、わざと口をとがらす仕草をする。
「何がそんなに可笑しいの?」
「やあ、杏子ちゃん。別に、なんでもないよ」
リビングからテラスに出て来た田村杏子は少し訝しそうな目を遼に向けたが、直ぐに笑顔になり並んで手すりに寄りかかった。
「解った、優樹でしょ? あいつ琴美のお姉さんに、いいトコ見せたいのよ。あんなにせっせと働いちゃって、馬鹿みたい」
確かに村上琴美の姉、村上黎子の手荷物まで半ば無理矢理引き受けようとしているようだ。
「優樹は、いつもそうだよ。体力作りだと思ってるんじゃないかな、きっと」
くすくす笑う遼をちらりと見て、杏子は呆れたように溜息をついた。
「ホント、馬鹿みたい」
従妹であり幼なじみでもある杏子は、優樹が女の子に優しくするのを面白くなさそうに見ている。そういえば美月に対する態度や過去の言動を考えると、優樹はやはり年上の女性がタイプらしい。
「あのね、来る途中、霧が出てきたんだけど林の間から見えた湖が幻想的で素敵だったんだ。あの話を聞いた時は、正直、止めようかと思ったけど……でも来て良かった! すっごく綺麗なところ!」
「杏子ちゃん、その事は……」
微笑みを浮かべながらも諭すような目を向けた遼に、慌てて杏子は手を口に当てた。
「やだ、遼くんってば。あたしのお喋りを心配してるんでしょう? 大丈夫、余計な事は言わないもん。それより明日は、湖の周りを案内してねっ!」
「いいよ、僕もスケッチに良い場所を探すつもりだったから」
「嬉しい!」
明るい杏子の笑顔に、気持ちが和む。
「おーい、飯だってさ。早く来いよ、二人とも!」
リビングから大声で呼ぶ優樹の声に、杏子が顔をしかめた。
「ん、もう! 食べる事しか頭にないんだから」
遼は笑って、杏子とリビングに戻った。
『美月荘』自慢のフランス家庭料理に腕を振るうのは、郷田彰一という若いシェフだ。
若干三十歳ながら、フランスで5年の修行を積み、有名ホテルに勤めていた事もあるという。
細面で小柄だが、軽々と大きな鍋を持ち上げ、鮮やかに重そうなフライパンを返す。そして驚くべき繊細さで美しい盛りつけをして見せた。
「いやん、食べるのもったいなーい!」
皿を並べるたび女子が口々に叫ぶと、嬉しそうに微笑む。
「スープはポタージュ・ア・ラ・コンチィ、空豆のポタージュです。サラダは美月さんが育てたアンディーブとニンジン、和えてあるクルミはオーナーが取ってきた山クルミです。魚料理はニジマスを、肉料理は鴨肉をご用意致しました」
「甘くて香りの強いニンジンだわ。アンディーブはチコリの事ね、クルミとドレッシングがとても合ってて美味しい。このビネグレットソース、何か隠し味があるのかしら?」
デパートの地下食品売り場でフードコーディネーターをしている村上黎子が指先にドレッシングを付けて舐めると、妹の琴美が顔をしかめた。
「やだ、お姉ちゃんてば行儀悪い!」
慌てて黎子は、決まり悪そうにナプキンで指を拭う。
「良くおわかりですね、ビネガーにシェリービネガーを、甘味にはここでとれるレンゲの蜂蜜を使っています。レシピは内緒です」
「うーん、残念。そう言わないで、こっそり教えてくれないかなぁ?」
郷田がにっこりと笑って厨房へ戻っていくと、美月より少し落ち着いた感じの女性が、ニジマスのムニエルを運んできてテーブルに置いた。
「口では、そう言ってますけど、厨房で見学するのは構わないんですよ。レシピは見て盗め、ってことです。よろしければいつでもいらしてください、彼はそう簡単に味が盗まれない自信があるんです」
「ここでもう長く働いてくれている、及川君だよ」
冬也の紹介に及川睦美が会釈すると、後から続いて皿を運んできた美月が、からかうように付け加える。
「郷田さんと、婚約したばかりなの」
「もう、美月ちゃん。お客様にそんな事……」
「ふふっ、だって牽制しておかないと気を揉むかと思って」
睦美は途端、顔を赤らめた。
「なんだ、郷田さんには素敵な婚約者がいらしたのね。それじゃぁ厨房にお邪魔しにくいなぁ」
黎子の言葉に慌てて「そんな事ありません!」と言うと、睦美は恥ずかしそうに俯く。
「郷田君のお蔭でリピーターも増えたし、二人が婚約してこれらからって時に……」
残念そうに呟いた美月に、満彦が顔を曇らせた。
「美月……!」
「あ、デザートの用意に行かなくちゃ。睦美ちゃん、飾り付け手伝ってくれる?」
「えっ、ええ」
二人が厨房に戻ると、取り繕うように満彦は手にしたワインをテーブルに置いた。
「良いワインがあります、今日はこれを開けましょう。遠慮せずに飲んでください、女性グループのお客様にはサービスしてるんですよ。男性の方々には私の奢りです」
「それは嬉しいですね、是非いただきます」
アキラが申し出を受けると、冬也がワインを注ぎ、「乾杯」と、グラスを掲げた。
食卓に並んだ料理はどれも一流料理店に引けを取らないものばかりで味も申し分ない。しかし、料理の感想やお喋りに余念のない仲間達を尻目に優樹は黙々と料理を口に運んでいる。
「少しは味わって食べてるのか?」
茶化す様な佐野の言葉に少し目を向けて、「美味いですよ」と答えると、さりげなく美月がパンのお代わりをその手元に置いた。
昨夜はあまりビールを飲まなかった轟木は、今日はまるで水を飲むようにワインのグラスを空けている。
「このワインは、どこで手に入れているんですか?」
感慨深そうにグラスを回し、鮮やかに紅い液体の美しさをライトに透かして轟木は一気に飲み干した。
「色も、香りも最高だ。個人的に手に入れる事は出来ませんか? 販売権を独占したくらいですが、それはお許し頂けそうにない。あまり本数を作っていないんでしょう?」
驚いた顔を向けた満彦に、アキラが苦笑する。
「轟木は見かけによらず、結構手広い商売をしてる大手海運会社の御曹司なんですよ。次期社長が有望視されているからって、こんなところで商売っ気を出さないでくれよな」
「ひどいなアキラさん、そんなつもりは無いですよ。でも緒永さんが気を悪くなさったなら謝ります」
穏やかな微笑みに気圧されて、満彦の方が狼狽えた。
「このワインが気に入りましたか? 実はフランスにいる郷田君を私が訪ねた時に、働いていたレストランのオーナーからワイナリーを紹介して貰ったんです。古くからワインを作っているシャトーで、日本ではうちだけしか扱っていません。うちも無理を言って本数限定で分けて貰っていますから、確かに販売権を独占されたら困りますよ。しかし、まあ……」
そこで満彦は轟木に向かって笑った。
「個人的にでしたら分けて差し上げますよ、価値の解る方が一人でも多くいてくれると私も嬉しい。随分とワインに、お詳しいようだ」
「御曹司の上に家柄もいいからな、俺たちと違って。確か華族の出だとか聞いた事があるぞ」
軽口のように佐野が付け加えると、轟木は困ったように眉を寄せる。
「それほど大袈裟なものじゃないよ、武家上がりの下級華族末裔みたいなものさ。家柄をいうなら篠宮の方が上だしね」
意外な発言に、皆の視線が優樹に集まった。
が、優樹は鴨肉のローストを口に運ぶ手を休めず、事も無げに言葉を返す。
「爺さんの事を言ってるんなら、俺には関係ねぇよ。あの家とはもう、縁もゆかりも無いから」
「そうかい? 直系の嫡子は君だと聞いている。維新時に海運で名を成した篠宮家からすれば、後に事業の一端を任されて会社を興した轟木は家臣に当たる。僕からすれば……」
「ごっそさん!」
突然、優樹は立ち上がり「関係、無いですから」と言い置いて、言葉のない一同を振り返ることなく食堂を出て行った。
意味深に目を細め、薄く笑いを浮かべて見送る轟木にアキラが不振な眼差しをむける。
「篠宮にあんなこと言うなんて、いつものおまえらしくないな」
はっ、と、我に返ったように轟木はアキラを見返した。
「えっ、ああ、そう……ですね。何故だろう、俺にも解らない。言う必要のない話でした、後で謝っておきます」
「……そうだな」
一転して轟木は、ひどく落ち込んだ顔になった。
思わぬ状況で、嘗て誰も知らなかった優樹の背後が明らかになり遼は戸惑う。今にも席を立ちたい衝動に駆られたが、優樹と違い料理はまだ皿に残っている。
「秋本、まだ調子悪いんなら無理するなよ。食えないなら残したって構わないと思けどなぁ」
遼の様子に気が付いたのか、さりげなくアキラが声を掛けた。すると冬也が、その通りだと頷く。
「食べられるだけ食べて、休みたまえ。デザートは後で持って行ってあげよう、優樹の分もね」
「有り難うございます。あの、すみません、それじゃ先に失礼します」
席を立った遼は、食堂を出ると優樹を探した。




