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私立叢雲学園怪奇事件簿【第二部 魄王丸編】  作者: 来栖らいか
【第二章 錯綜】
12/42

〔5〕

 暖かく、柔らかな日差しが身体を包んでいた。

 耳をくすぐる甘い香りの風が通りすぎ、細波の音を運ぶ。春の海にいるのだな、と、思った。

 視界に入る霞んだ薄水色の空から彼方に視線を移せば、くっきりとしたラインを引いて濃紺の海が広がっている。

 一枚の絵のように時間が止まったその景色が、自分を包む暖かな空気とかけ離れて冷たく遠く感じるのは何故なのか。

 何処までも深い海の底には、暗く重い何かが沈んでいるのを知っていた。

 その存在を知ろうとすれば、失わなくてはならないものがある。

 怖い、でも……。

「よっ、目が覚めたか?」

 遼は目を瞬かせて、辺りを見渡した。

 紛れもなくコテージの自室で、ベッドに横になっている。外を見ていたらしい優樹が、窓際から離れて傍らの椅子に座った。

「寝てたからさ、起こさなかったんだ」

「ずっと此処にいたの?」

「そんな長い時間じゃねぇよ、一時間くらいかな。もう生ぬるくなっちまったけどジュース飲めよ」

「うん」

 優樹が瓶からグラスに注いだリンゴジュースを一口飲むと、少し空腹感を感じていることに気が付いた。

「クラッカー貰ってきたけど、食うか?」

「君は? お昼食べたの?」

「美月さんがおにぎり作ってくれたから、さっき食った。おまえもいるなら貰ってきてやるよ」

「僕はクラッカーでいい。じき夕飯の時間だし」

 美月のトールペイントを利用して作ったと見られる壁掛け時計は、午後四時になろうとしている。

「寝ていたのなら、何も側についてなくても良かったのに」

「心配ないとは思うけど、暫く一人にするなって緒永さんが言ったんだ。それに、他の連中が付いているより俺がいた方がおまえも楽だろう?」

「それは……まあ、そうだけど」

 遼の、特別な力を知っている人間。

 その意味だろうが、優樹が言うと妙に気恥ずかしい。何故いつも、自信に満ちた態度がとれるのだろうか? 

 目を覚ます前に感じた暖かさと、どこまでも広がる碧い海は側にいてくれた優樹の心象風景を感じ取ったに違いなかった。

 迷いや悩みとは無縁な世界、身を委ねていたくなる心地よさ。

 だが、そこに存在する違和感の正体は、なんだ?

「退屈だったんじゃない?」

 手持ちぶさたに立ち上がり、再び窓際に立った優樹に遼は、遠慮がちに聞く。

「別に、色々考え事してたからな」

「えっ? 君でも考え事なんかするんだ?」

 振り向いた優樹が明らかに不快な表情を浮かべたのに慌て、遼は「ごめん」と謝る。

「あのな、俺だって考え事くらいするさ。苦手なのは確かだけど、それには訳があるんだよ」

 遼の胸が、どくり、と鳴った。

 深い海の底に眠る、重く暗い何かを垣間見る事が出来そうな期待感。聞かない方がいい、と感じる不安。

「訳って……?」

 暫く迷うように泳がせた視線を、優樹は窓の外に移した。

「あまり言いたくないんだけど、おまえならいいか。幼稚園の年中から中学一年まで一緒だったから知ってるだろ? 親父が死ぬまで俺は結構、喧嘩っ早くて乱暴だった」

「うん、でもいつも正当な理由があったし、暴力に訴えるというほどじゃなかったよ。僕なんか、いつも助けてもらってた」

 優樹はそこで、少し照れくさそうに笑う。

「周りの連中より体格もいいし、剣道も習っているから中学校に入ったら気を付けるように親父に言われたんだ。それから直ぐに死んじまったけど、言い付けを守りたくて抑えるようにしてきた。だけど……」

 先の言葉を言い淀む優樹に、形を成さない不安が襲う。

「時々、抑えきれない何かが突き上げてきそうになるんだ。子供の時にも、たまに感じる事があった。でもそれが、年齢が上がるにつれて段々大きくなっていくのが解るんだよ。重たくて、熱くて、抗いきれないそれが何なのかは解らない。だけど多分、表に出ちゃいけないものなんだ。自分の事や辛い事、不満や悔しかった事、深く考えれば考えるほど囚われそうになる。だから身体を動かしたり、バイクに乗ったりして振り払うようにしてきた」

 初めて聞く、優樹の心の中にある想い。

「向き合う事を、考えた事はないの?」

「ああ、出来なかった」

「らしくないな、何故?」

 僅かに寂寥の影を映す優樹の瞳が、遼を真っ直ぐにとらえる。

「……怖いんだ」

 にわかに信じられない言葉だった。

「怖いって……」

「囚われて、飲み込まれて、逃れられなくなる気がする。だから向き合って、突き詰める事を避けてきた。でも、おまえといるときなら出来そうな気がする。おまえが一緒だと、得体の知れない塊を抑えていられる……たぶん、おまえが必要なんだ」

 求めていた言葉、欲しかった答え。

 果たしてそうなのか? 

 胸に広がる空虚な感情を前に、何かが違う……と、遼は思った。

「相変わらず、身勝手だな」

 口癖になりつつあるその言葉に、優樹が笑う。

「だよな、ずっと一緒にいられる訳じゃないんだし、自分の事は自分で何とかするさ」

 冷たいガラスの破片が、心臓を切り裂くのが解った。必要と言ったその直後に、残酷に突き放す。

「……あたりまえだ」

 気持ちとは裏腹な言葉が口をつき、遼は目を伏せた。

 優樹が物心着いたときにはもう、母親は千葉の大学病院で意識のないまま寝たきりだった。父親は中学に入る直前に亡くなっている。

 抱える寂しさも不安も誰にも語らず、友人や仲間を深く思いやる心の深層には何があるのだろう。

 押さえ込んだ塊の正体は何なのか……また、はぐらかされてしまった。待つ事しかできないのだろうか、待つだけで良いのだろうか。

「そうだ杏子達がそろそろ来るんじゃないかな、緒永さんが駅まで迎えに行ったんだ。夕飯はここの専属シェフの人が……なんて名前だったかな……まあいいや。とにかく、フランス料理を作ってくれるんだって。大丈夫そうなら本棟に行ってみないか? 先輩達も心配している」

「うん、そうだね」

 ベッドを降りた遼が、ちゃんと立てる事を確認してから優樹がドアを開ける。

 いまの自分が、何を望んでいるのかわからないまま遼は後に続いた。

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