その9
余裕ある口ぶりと態度で颯爽と窮地から救ってくれたくせに、外見は俺よりも幼く見える。成長期半ばの小柄な身体。運動部の女子にありがちな、顎くらいまで伸びた髪型。賢そうな目元。太めの眉。女子から騒がれそうな華やかな雰囲気を湛えており、うちの中学にいれば女子たちがアイドルとして崇め、放っておかなかっただろう。
彼は隣に腰を下ろすと、もてあましたように両足をぶらぶらさせた。
「僕ね、ずっと見てたんだ。受験資格を得た瞬間から見てた。受験開始の時も、業が始まって不安そうにしても時も、ふたりの血族に会った時も、ほふりやに襲われた時も、可愛い彼女といちゃいちゃしてる時も」
「可愛い彼女?」
「いたでしょ。甲斐甲斐しく世話してくれて、一緒に歩いてた娘がさ」
「サツキはそんなんじゃ……それにいちゃいちゃなんてしてない」
「そう? 他の人間には踏み込めない雰囲気が漂ってたけど、あれって僕の勘違い?」
否定するのも面倒なので沈黙した。
幾ら恩人とはいえ、会ったばかりの他人に私的な人間関係を話す気にはなれない。
そこでふと頭に閃光が走る。馴染みのない単語がひとつ混じっていた気がする。
「そんなことより! え! ほふりやって、もしかして、あの、おかしな光の珠で、柱や建物を破壊して追いかけてきた悪意の塊のことじゃ」
「ふふ。悪意の塊、ね」
少年は愉快そうに咽喉を鳴らした。俺はぶつぶつと口腔で敵の名称を繰り返す。
「あいつら、ほふりやって名前だったのか……ほふりやほふりや」
「名前なんてどうでもいいじゃない? あいつらに名前をつけるなんて勿体ない。ゴミクズでもゴミカスでも、好きに呼べばいいよ」
「……ほふりやって組織じゃないのか? ピンと来ない名前だから外国語かと思った」
「屠り屋。殺し屋ってこと。僕はあいつらをそう呼んでる」
ギンの弁を借りると、奴らは血族を狩り、鬼ごっこをしているらしい。思い返してもぞっとする。奴らは白昼堂々と殺意を漲らせていた。
「ほんと……目障り」
寒気がするほど怨嗟のこもる低い声がして、思わずびくりと半身が跳ねた。
これまで柔和に微笑んでいた外見との落差に驚き、彼の顔を見つめる。しかし、俺の聴覚が誤作動を起こしたのではないかと錯覚するほど、彼は晴れ晴れとした面貌で足をぶらつかせていた。
「屠り屋はうちの血族を殺しにくる。だからといって素直に死んでやる必要なんてない。ふふ。奴らを見つけたら、それこそ好機とばかりに返り討ちにしちゃえばいいよ。あんなの殺しちゃえ。だっておかしいでしょ。どうしてこっちだけ遠慮しなきゃいけないわけ?」
「殺す……ころ……?」
「殺せない? それとも殺したくない?」
あまりにも滑らかに物騒な台詞を吐くものだから、俺は酸素を求める金魚のように口をぱくぱく開閉させるしかなかった。若干あきれたように肩を竦める。
「いや、あの、そうは言っても。殺人術どころか、武道やスポーツすら習得していない俺が、どうやったら人を殺せるというのか、ほんと、切実に教えてほしいというか」
「ふふ。知りたい?」
意外にも彼は浮かれた口調で身を乗り出し、俺の鼻先に指先を突き立てた。
「奴らは殺しにくる。黙ってたら殺されるよ? だからね、君が望むなら戦う方法を教えてあげる。そのために正体を見せたんだ」
俺は膝上で指を組み、神妙に頷いた。
何もできない。だが黙って殺されるわけにはいかない。相手を殺さずとも、攻撃を躱し、逃げる手段を得たい。最低限、自分の身は自分で守れるようにするのが必須だ。
「でも……どうして命を狙われるんだ? 俺は何も悪いことはしていない。殺されるようなことは、何も……」
「あいつらは下等だから理由は必要ないし、理解もしてないんじゃない? 君が『マルだから』とか『上司に言われたから』とか、理由は何だっていいんだ」
「上司?」
「トモミとかアオイとかを筆頭に、他にもたくさんいる。あいつら全員もともと別口なんだから勝手に潰しあえばいいのに」
殺し屋にそぐわない、姉妹めいた名前が出てきた。日本の女性名なのでアウトロー的なイメージが重ならない。
「しかも笑える。あいつらは正義を気取って動いてるんだよ? ふふ」
「殺すことが正義? ちょっと待て。俺……いや、俺たちの血族は何をやらかしたんだ? もしかして俺たちこそが悪者って可能性はないか?」
少年はくつくつと面白そうに破顔した。
「何それ。喧嘩両成敗とかいじめられる奴にも原因はあるとか、そういう思想?」
「いやでも、どっちが正しいかがわからないと……」
「わかったら何。殺されてあげるの?」
「そ、れは……」
「正しいって何? もし僕が悪者なら殺されて当然? だから僕らを殺しても罪にならない? あいつらが絶対正義で、あいつらは罪人にはならないの?」
「で、でも、あっちの言い分を聞けば、殺し合いなんてせずに和解したり……和解できなくても、許しあって、互いに干渉せずに生きるとかそういう道も……」
「ない」
少年は楽しそうに笑いながらきっぱり断言した。
「例えあっちが妥協しても呑む気はないよ」
「……許すとか許さないとかわからないけど……そもそも血族って何? どういう繋がり? どうして俺が選ばれたんだ?」
「血族は血族。言葉の通り、血の繋がり以外に意味はないでしょ」
「なんか……会ったこともない人間に親戚だとか身内だとか言われても信じられないというか、嘘っぽいというか」
「ふふ。四親等・五親等のレベルじゃなくて、もっともっと遡って合流する血族なんだ。それこそ千年単位で」
俺はぎょっとした。そこまで遡れば大抵の人間が血族になる気がする。俺の反論を察知したように少年が皮肉げに口元を歪めた。
「馬鹿だなあ。それだと、泥棒たちとも血族になっちゃうじゃない」
少年の目が歪に濁る。
「ねえ、君は泥棒行為をどう考える? 君には心から大切にしているものがある。だけど誰かが卑劣な手段でそれを盗んだ。君は泥棒を咎めるよね。返せと詰め寄るよね。だが泥棒は言う。仕方なくやった。他に方法がないからお前のものを盗んだと言い訳する。挙句は、しばらく自分のものだったから返す必要はないと言い張る。もともと盗んだくせに所有権を主張する。それで……? その理由によっては、君は泥棒を許せる?」
「それは……理由によるかも……」
「どんな理由なら許せるの?」
「命がかかっているとか、そうしなければ死ぬとか……」
口にしてはっとする。自分が置かれているこの理不尽な状況こそが、『仕方なく』を発動させる状況じゃないか。少年がきりりと太い眉を吊り上げた。
「僕は泥棒を許さない。奪われたものは取り返す。何年かかっても、何をしてでも取り戻す。奴らの思惑なんて関係ない。僕のものは僕ものだ。返してもらう。そして……」
再び語尾に重い響きが混じり、俺はぎくりとした。
「そして……?」
少年は穏やかな表情に切り替え、ふふと静かに笑う。
「ねえ、君には取り戻したいものはない? 大事な何かを盗まれたことは?」
「大事な……」
俺はきゅっと拳を握りこんだ。
盗まれた。正確には現在も盗まれている。平穏な時間。高校生活。家族との時間。慣れた部屋。普通の、変哲もない、悩みも苦しみもない、安全で平和に暮らせる権利――。
社会の輪に紛れていた時は、不満こそあれど、感謝の心すら持たなかった。黙っていても地球が回るように、粛々と日常が続いてゆくのだと信じていた。
少年が悪戯っぽく見上げてくる。
「君は、奪われた大事なものを取り戻したいと思わない?」
「思う。思うけど」
「取り戻すためにはどうする?」
「それは……! それは……何だってするよ。何だって」
「何でも?」
「そりゃそうだろ!」
俺は激昂したように声を荒げた。こんな不明確で足元も覚束ない状況から一秒でも早く抜け出したい。家に帰りたい。部屋で眠りたい。帰る方法があるならそれを実現させる。
「ならあいつらを殺せる?」