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えきちゅう。  作者: 田中志摩貴
6/22

その6


 ギンと別れたあと、自宅の最寄駅まで戻り、プラスチックベンチに腰を預けて茫然としていた。立体感のある白い靄が頭中を侵食して、どうにも思考が働かない。

 一人で地下鉄を乗り継いで戻ってきたが、いつ敵が襲ってくるかわからないので、周囲を窺ってびくびくしながら、車両の接続部分あたりを陣取った。敵を見つけたと同時に逆方向へ走り、可能ならギリギリで扉から脱出して煙に巻こうと考えていた。左右に気を配ってはいたが、鼓動は落ち着かず、足が震えっぱなしだった。

 電車が到着するたびに、奴らが現れるのではないかと怯え、人気が薄くなるたびに安堵感を蘇らせた。心が激しく上下して疲労感に押し潰されそうになる。

 ふうと大きく息を吐く。

 上半身をだらりと前に乗り出して膝に埋める。

 家に帰れないどころか駅から出られない。わけのわからないまま、不遜な上官には怒鳴られるし、正体不明の敵に狙われる。一体、俺はどうなってしまうのだろう。

「ねえねえ」

 耳元に声を落とされ、俺は背中をびくりと震わせた。

近くに人の気配はなかったはずだ――そのはずなのに。勢いよく顔をあげると、とある小学生が俺の顔を凝視していた。

 いかにも私立のエスカレータ校に通っていそうな上品な服装。だが金持ちは電車通学をしないかもしれない。そんなどうでもいいことを考えていると、小学生男子が幼い笑顔を浮かべて首を傾げた。

「ねえねえ、ひとりで何してるの」

 子供に説明するほど現状を理解していない俺は、自分の不甲斐なさを改めて実感し、無力感に叩きのめされた。せめて微笑みくらい返してこの場を切り抜けようかと考えたが、途端にギンの忠告が脳裡に再生される。

 ――子供に関わるな。面倒なことになる。

 しかし無視するのも人として間違っている。俺は稚拙ででたらめな英語を早口で並べ立てた。なるべく日本で使われる外来語から遠いものを選択した。

 子供が素早く瞬きする。言葉が通じないことを悟ったのか、にこりと笑いもせずぺこりと会釈することもなく、踵を返して改札口まで走っていった。

 親とはぐれたのか?

 いや――小学生なのだから電車くらいは乗れるだろうし、第一、他人を警戒しろと教わる子供が、わざわざ俺に話しかけてくる理由がない。

 あの子がもしも奴らのような敵だとしたら、襲われても対処できなかった。

 俺はほっと胸を撫で下ろしたが、次の瞬間、あの子供こそが幽霊なのではないかという疑いが頭をもたげ、血の気が引いた。そして朝に耳にしたサツキの無駄話を思い出す。

 行方不明になった子供を捜索するポスターが貼られていた――と。

 次の電車に乗り込もうとする乗客たちが、ホームにちらほらと集まりだしている。

「瀧矢!」

 数時間をベンチで過ごすと、頭上からサツキの声が降り注いだ。耳慣れた声音に安心を覚える。生気に欠けたであろう俺の顔色とは裏腹に、サツキの顔は怒りで紅潮していた。

「学校にも行かず、電話にも出ず、どこにいたのです。ひどすぎると思う!」

「ああ悪い」

「悪いって……そんな簡単に……そんな言い方はないと思う。私がどれだけ心配したかわかってないと思う」

「や、本当に……ほんと、悪い。悪かった。ごめん」

「瀧矢……」

 サツキが俺の腕を掴み、しばらく沈黙が続く。まっすぐ目を見ることができない。どう説明すればいいのか懸命に言葉を探したが、うまい方法が見つからない。

 だがしかし、自分の姿がサツキに認識されたことが飛び上がるほど嬉しかった。  

「わかったです。とにかく説明してほしいと思う」

サツキが俺の腕を引っ張った。

 観念して、今日の出来事をサツキへ打ち明けた。最初は疑心に満ちた顔で口を挟みながら聞いていたサツキも、俺の憔悴ぶりに尋常ならざるものを感じ取ったからか、黙って傾聴してくれた。改札が通れないこと、改札近くでは姿が消えて周囲から認識されなくなることを証明してみせた。

 サツキは慰めるように俺の背中や腕や肩を撫でて、さっきまで張り付いていたベンチまで誘導してくれた。

「きっと大丈夫だと思う。まだわからないことばかりだから打開策が見えないだけだと思う。情報を集めるのが先決だと思う。ゴールは絶対にあると思う」

「だといいけどな」

「もし……もしも瀧矢が駅から出られないなら、私がそれを補おうと思う。瀧矢が学校に行けないなら、私が一日のことを伝えようと思う。授業を一語一句覚えて、漏らさずノートに書き留めて、すべて瀧矢に教えようと思う」

「……家はどう誤魔化す? ずっと帰れなかったら?」

「部活の合宿に行ってることにしようと思う」

「毎日かよ」

「学校だから、文化祭の準備で遅くなったりすることもあると思う。補習を受けて帰宅が遅くなったと言おうと思う。授業が長くて帰宅が深夜になることもあると思う」

「テストも学祭も毎日ないだろ。朝はどうすんだ」

「夜明け前にジョギングに出て、そのまま登校したことにしようと思う」

「ブラックの社畜みてーな生活」

 俺は乾いた笑いをこぼした。冗談が冗談になっていない。ふうと息を吐く。

「本気でまいった。親に電話してもメールしても繋がらねーんだ」

「あとで瀧矢の家に寄るです。終電が終わるまでには、瀧矢の親を連れてこられると思う」

「終電て……たぶん今、うちの母親が家にいるから伝えてきてほしいんだけど」

「でも今私がここを離れたら、瀧矢がまたどこかに消えそうに思う」

「心配しなくても動かねーって」

「クラスも別々だったから寂しいです。せめて一時間くらいは傍にいたいと思う」

 サツキがぴったりと身体を寄せて俺の腕に絡みついた。

 現在は四時。朝からまだ半日も経過していないのに人生で最大の恐怖を味わった。携帯を黙然と見つめる俺の目がよほど陰鬱だったのか、サツキが声音を改めて高くした。

「瀧矢が入学式に出られなかったから、今日の出来事を話そうと思う!」

 俺を慰めるためか、サツキは普段より流暢に話し始めた。

 教室の雰囲気。級友の顔ぶれ。教師の挨拶。入学式の退屈加減。別になってしまった俺のクラスの位置やトイレや階段や体育館や講堂について、軽快に喋り続けた。

「面白い人がいたです。若いのに物知りで、喋りがうまくて、華があって、女子たちがきゃーきゃー騒いでましたです」

「いい男系?」

「小さかったと思う」

「チビ? なのにモテんの? 顔がすんげーいいとか?」

「顔の造形についての評価は人それぞれの好みだと思う。ニコニコしてたから女子から人気があったです。紙芝居? 腹話術? そんなのをしてたと思う」

「どっちだよ」

「その二人組はすごく目立つです。近くで見ても遠くから見ても、光と影みたいに対照的な存在感で驚いたです」

「おい。光と影ってまさか、メッシュ髪のモデル風の男じゃねえよな?」

 サツキはふるふると首を振った。

「そんなんじゃなかったと思う。けど、先生なのか生徒会の人なのか父兄かわかりませんです。新入生ではないことは確かと思う」

「あっそ。野郎の先生なんてどうでもいいな」

「むう。男性教諭だなんて言ってないと思う」

「どうせなら、眼鏡と白衣を装備したエロい保健医の話をしてくれ」

俺はいつものように聞き流しながら適当に相槌を打った。普段のように面倒だからスルーしているのではなく、脳裏をちらつく今日の出来事がフラッシュバックして、こめかみも耳も口も咽喉も、脈動するすべてが破裂しそうだった。完全に後悔していた。

 あの時――ギンがいたから逃げられた。

 どうして離れてしまったのだろう。恥を忍んで、それこそ石に齧りついてでもギンに連れ添うべきではなかったか。敵には強烈な殺意がある。無力な自分一人では太刀打ちできないのは自明の理。

 今でも目に焼き付いている。

 駅の地下道を支える太い柱が砕け散る瞬間が――。

 拗ねるよう頬を膨らませるサツキを俺の頬をつねった。

「むう。瀧矢が私の話を聞いてないと思う」

「あ、悪い」

 俺は半壊の笑顔を浮かべた。

 サツキには、ギンや正体不明の敵のことは話せない。超常現象に巻き込まれている現況ですら不可解なのに、さらに命を狙われているかもしれないなんて、とても言えない。

 サツキの頭がこつんと俺の左肩に乗せられる。

「まだ三年あると思う」

「は?」

「今日が入学式という節目なのは間違いないと思う。でも式典なんて重要じゃないと思う。他にも大事なことはたくさんあると思う。たった一日おかしなことになっただけだと思う。大丈夫。三年は意外と長いと思う」

「そう……だな」

「中学の時も三年間は長かったと思う。瀧矢は高校生活で何かしたいことあるです?」

 面白い部活があれば入ってみてもいい。面白い本があれば読みたい。人間味のある教師と出会ってみたい。面白い人間と接点をもって楽しい友人と学校生活を送れればそれで良かった。強いて言うならば――学校にバレないよう、こっそり友達とバイトして金を稼いでみたい。

 俺は答える代わりに、猫にそうするよう左手でサツキの顎や頬を指で撫でた。

 両親を連れて六時から八時に同じ場所で待ち合わせようと念を押す。

 もしも敵が現れたら電車に乗って逃げるので、ここにいられないかもしれないことを考慮して二時間の余裕を作った。

「慌てなくてもいいからな? 俺は消えない。時間になってもここにいなかったら明日の朝でもいい。頼む。頼めるのはお前しかいない」

「安心してほしいです。時間になっても瀧矢の姿が見えなかったら、私がひとりでも終電まではここで待とうと思う」

「馬鹿。いなかったら朝にしろ。もしも俺がいなかったら朝、な」

 サツキがジャンプするようにぴょんと立ち上がり、後ろ手に鞄を掴んで、くるりと踵を返した。無垢な笑顔を浮かべて桜色に頬を染める。

「ううん。私が心配なのです」



 サツキは六時前に戻ってきた。当面に必要な金と着替え。生活用品や携帯の充電器などを旅行鞄いっぱいに詰めて、がらがらと引っ張ってきた。

「ちょ……こんないっぱい……?」

「これなら荷物がいっぱい入るです」

 俺はごくりと息を呑んだ。この不条理の終焉がいつになるかわからない。それまでこれを引いて大移動しなければならないのか。ユウやギンは荷物を所持していなかった。気持ちはありがたいが、いざという時のために備えて身軽でいるのが得策だろう。

「ひとまずご飯を食べるのがいいと思う」

 サツキが差し入れてくれた弁当を貪るように口へ放り込む。内臓が痛むほど空腹を覚えているのに、口に異物感しか残らない。食べたいのに噛めない。噛みたい、呑み込みたいという欲求が起きない。逆に気分が悪くなってきた。

 鞄から携帯の充電器を取り出す。お気に入りの洋服と新しい下着に着替える。机に隠したへそくりを探してもらい、更にサツキの有り金をすべて借りたが、財布の中身は寂しいものだった。

 サツキがやけにそわそわしていた。俺が改札口に目を向けると、慌てて立ち上がり、両手をじたばたさせる。

「ああ、ごめんなさいです。あのあの、あの、今日は瀧矢の親が来られなかったです。きっと忙しいのだと思う」

「は? いなかったの?」

「どうしてかわからないけど家にいなかったです。たぶん出かけていると思う」

「そんなわけ……」

 俺は言いかけて口を噤んだ。日常ならば母親だけでも自宅にいるはずだ。早ければ父親だって帰宅している。結論はひとつ。サツキが嘘をついているのだ。

 問い詰めると、申し訳なさそうに目を逸らして首を縮めた。

「瀧矢の親も変だったです。ふつうじゃなかったように思う」

「ちょっとやそっとのことじゃ驚かないから話せよ。なんだって? やだサツキちゃん。うちの息子はもう死んでるじゃないの! とか言ってた? うちに瀧矢なんて息子はいません、とか?」

 サツキがふるふると首を振る。

「違うです……。瀧矢は秋から海外留学しているじゃない、と言われましたです」

「りゅ……?」

「ろくに電話も通じない国に留学したいだなんて、ほんと、あの子ったら物好きよね。そういえばしばらく葉書も送ってこないわ。と言っていましたです」

「わけ、わかんねえ……」

 肌がぞわりと泡立つ。

 説明できない超常現象が自分以外にも及んでいることを自覚して、戦慄が走った。

 駅から締め出されるまで傍にいると言い張るサツキを説得して自宅に戻す。夜深い時間に女子高生ひとりを路上に送り出すことなどできない。

 早朝に来ると指切りをし、サツキは後ろ髪をひかれるように何度も何度も俺を振り返りながら改札を出た。俺の姿が見えていないらしく、あさっての方向に手を振っていた。





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