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えきちゅう。  作者: 田中志摩貴
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その5


 頭の中でぐるぐると疑問が渦を巻いて混乱する。抵抗しようと手足をもがいた時、男の手が離れたので俺はぐしゃりと床に潰れた。呼吸器に問題はない。だが表皮が痛む。いとも簡単に振り回される自分が情けなくて、屈辱で臓腑が煮えくりかえりそうだ。

 せめて睨みつけてやろうと顔をあげたが、男は剣呑な目つきで正面を見据えていた。意識はすでに俺から離れており、なぜか、これまでより更に強い殺気を放っている。

「うっわー! すっごいすっごい! チョー敵だー! 本当に本物の【ギンさま】じゃないかー! こんなとこで、まさかのレアキャラ見っけー!」

「ほうら。気配がすると言ったろう?」

 見知らぬ二人組が近づいてくる。

 どちらも芸能人のように見目麗しい容姿で、職業モデルと名乗られても疑わないだろう。

「やっだー、興奮するゥ!」

 声は高いが男のそれだ。

 部分メッシュの髪は、耳から肩にかけて洒落たシャギーで揃えられている。まるで雑誌の表紙を飾るかのような衣装をまとい、プロが全身を飾りたてたとしか思えない。

 両手の指を組み合わせて、それをぶんぶんと上下左右に振り回し、歓喜の雄叫びをあげていた。上品な顔立ちなのに軽薄そうな笑みを浮かべて、爛々と目を輝かせている。

 メッシュの男は腰をかがめて両手を広げ、バスケの守備に似た動きを始めた。

「どーしよどーしよ。今ここで捕獲しちゃおーうよ! 右から回り込もうかなー。それとも左かなー。ギンさまはどっちが利き手かなー!」

「捕獲ねえ。もちろん僕はそのつもりだよ」

 隣に並ぶ男はひどくゆったりとした物言いをし、憂いに満ちた顔をしていた。悲しげな感情が顔に出ているというより、もともとの造形が儚げな印象を与えている。

 眉も口角も下がっている。前髪を分けて額を出しているが、長い後ろ髪を結び、しっぽのように垂らしていた。顔に血色がなく、陶器のように真っ白で、日光など浴びたことがないと説明されても信じてしまうかもしれない。

 まるで光と影。

 ふたりの両目はまっすぐに男を射抜いている。

 彼らがギンと呼んだ――威圧感たっぷりに暴言を吐く男に向けて、まっすぐと。

 部外者である俺にも、まるで宿敵が顔を合わせたかのような緊迫感が察せられた。ギンが靴先でがんがんと俺の尻を蹴る。さっさと立ち上がれと合図しているみたいだ。

 しかし――モデル風の二人組が俺の敵だとは限らない。

 むしろ、殴る蹴るの狼藉を働いた上にさんざん罵倒してきたのはギンの方だ。

「馬鹿が。立て」

 ギンが俺の二の腕を掴んで引き上げる。遠慮ない握力で骨を砕かれるかと思った。

 痛みを感じたと同時に、ぶんと遠心力のまま振り回されて放り投げられる。俺は辛うじて転倒を免れた。反射的に痛む腕を摩ろうとしたが、背後から駆けてきたギンにまたしても腕を掴まれ、引きずられる。

「走れ」

「……ちょ」

「殺されたいのか。とっとと走れ」

 半ば抱えられるように疾駆する。自分でもこんなスピードで走った経験がないほどの速さだった。

「ひょおおお。たーまんないねー!」

 メッシュモデルが嬉しそうに甲高く笑いながら追尾してくるのがわかる。おそらく影みたいな男も脇に付き添っているのだろう。

 銀座駅の地下通路には主婦や旅行客や会社員の往来で溢れている。なぜかギンは、何かを避けるように不定期に蛇行して柱をすり抜けた。

 固い床を蹴り上げる。走る。跳ねるように、滑るように、意識を前方に集めて進んでゆく。しかし次の瞬間、がらがらと不穏な音が追いかけてきた。明らかにコンクリ類が破壊された音だった。後方から届く女性特有の金切り声が通路に反響する。

 まさか、あの二人組が柱を壊したのか。

 一体どうやって。

 疑問はすぐに解消された。俺たちに一番近い柱がちょうど数十センチ離れたあたりで吹き飛んだ。爆撃を受けたかと錯覚するほどの轟音が耳を劈き、ギンが体勢を崩した。

 俺は横壁に投げつけられた。

 受け身など取ったことがない。水泳授業中にふざけてプールに腹から飛び込んだ時、予想外にも息がとまった。その衝撃によく似ていた。数秒が経過して、ようやく咳き込むことができた。ギンの安否を確認しようと顔をあげると、メッシュモデルが弾き飛ばされたギンの肩口に手を添えて舌なめずりしているところだった。

 治癒しているのか。いや違う。俺はごくりと息を呑んだ。

 メッシュモデルの掌から、二十センチ大ほどもある光の珠が生み出される。質量を伴った光ではなく、気や色や煙と形容した方が近い。

「ひゃほーい! ギンさま、これは麻酔だから安心していいよー。痛くしないから少―しだけ我慢してよねーっと!」

 男の声音に歪んだ喜悦が混じっている。

 曲げた肘を後ろに引き、光の珠をギンの肩口に押し込む。同時に凄まじい爆撃音が轟いた。耳の奥がキーンと痺れるほどの音量だった。本能が叫ぶ。危ない。あんなものをその身に受けたら身体の芯が折れてしまう。

 目を瞑りたくなる恐怖を抑え、俺は何かを絶叫した。だが自分でも何を言ったかわからない無意味な言葉だった。――殺される。あいつらは明確な殺意をにじませている。

 壊れた柱から吹き上がる粉塵の中にギンの姿はなかった。

「あっれー、やっだなー、どこ行っちゃったかなー、ギンさまはー! ねーえ。かくれんぼなんて嫌だよー? 遊び方が違うんだってばー! 出てこないと駆除しちゃうよー?」

「あ……ああ……」

 ギンが消し飛んでいないことがわかり安堵する。言葉にならない嗚咽が漏れる。

立ち上がり、逃げなくてはならない。それはわかっている。だが力が入らない。足が曲がらない。腕が震える。震える手元で口元を押さえたいが顔まで届かない。

「うん? キミは誰かな」

 気付けば、影みたいな男が俺の傍で屈みこんでいた。伏せ目がちに覗き込んでは手を伸ばしてきて、俺の髪をさらりと払う。

「おや、おかしな子だね。ギンのお仲間だと思ったのに、魂の質量がマイナスじゃないか。もしかして死んでいるの? うん? マイナスで動く例なんてあったかな」

 影みたいな男の口調はひどく間延びしている。

 ゆうに三十秒は使って俺の髪を掬っていたというのに、俺は逃走準備をするどころか、その心構えすらできなかった。

「まあでも、ギンに関わる人間なのは間違いないし、キミを取引材料として……うん?」

「……っ」

 男の言葉が終わる前に俊敏な残像が視界に飛び込んできた。よく弾む黒い珠のようだった。鋭角に床を蹴り、跳躍し、天井からバウンドして俺の元に着地し、俺を抱きかかえて再び地を蹴る。宙に浮いた感覚はわかった。だが他は何が作用したか判然としない。

 銀座駅の通路が横眼に流れてゆく。

 柱もポスターも通行人や野次馬も、すべてが単なる風景として現れては消えてゆく。

 誰かに運ばれていることがわかる。たぶん体格からしてギンだろう。もはや超人のような速さだった。あの巨躯がここまで敏捷になれるかは疑わしいが、恐らくギンが助けてくれたのだろうと思う。俺は非現実な現実に酔いながら日比谷線のホームまで運搬された。

 ちょうど発車する車両に滑り込む。

 背後を振り返ったギンが右手で銃の形を作るなり、指先から空圧の衝撃を放つ。それは、今まさに閉じようとしている扉の隙間を突いてホームの階段を穿った。

 階段の素材が粉々に弾ける。

 追ってきたであろうメッシュモデルの足元に破片が飛び散り、それを避けるために軽く跳躍し、「ちぇー!」という不満そうな声を漏らした。

 電車が発車し、俺は座席に放り投げられた。ギンであろう物体も疲労困憊の様子で座席に雪崩れ込んだ。尋常じゃない俺たちを目にしたからか、同席していた乗客がそそくさと立ち上がり、目を合わせないよう俯き、競歩の足取りで隣の車両へ移動してゆく。

 一駅を移動する頃には、雲間が晴れたように意識が覚醒してきた。

「さっき……何をしたんですか」

 ギンは答えずに、胸を上下させて息を整えている。右手はまだ銃の形を保ち、左手で庇うように支えていた。手銃にセットされているのは弾丸でも魔術や幻影でもない、脆弱そうな輪ゴムだった。俺が怪訝そうに目を細めると、ギンが輪ゴムを外して手首に戻す。

「逃げるのは不本意だが、貴様は使えない受験生だし、今は【チヨ】もいない。逃走が最善ならばそうする。貴様もそうしろ」

 ギンはちらりと腕時計を確認し、ぎりぎりと歯を鳴らした。

「卑しいクズ共め。せめて夜なら、跡形もなく蹴散らしてやったものを……」

「チヨ? チヨって?」

「血族だ」

 ギンはそう短く返答したあと、無防備に足を投げ出し、ぜえぜえと苦しそうに息を吐いた。目立った外傷はないのに滝のような汗が流れている。

「厄日だな」

 ギンの独り言に返答できずにいると、チと舌打ちされた。

「おい貴様。ハクシャクがマイナスとはどういうことだ。一度は業を試したのだろう。椅子取りゲームをしたのだろう?」

「光る座席には座りましたけど……って、伯爵って何ですか。あいつらの仇名ですか」

「貴様。今、貴族階級の伯爵という漢字を連想したな? それは誤りだ。魂魄のはくと尺度のしゃくで『魄尺』と書く。力のレベルみたいなものだ。いいか。短絡なその脳味噌に叩き込んでおけ!」

 辞書にない造語など知るわけがない。

 不愉快さを滲ませて、思い切り眉を歪めてやった。

「我らの血族には人とは違う特殊な能力が備わっている。厳密には能力そのものでなく、能力を発動させる資質を持って生まれたということだ。我ら血族は業を背負うことによって魄尺ゲージを溜める」

「ああいう人たちに……攻撃したり防御したりする能力ですか?」

「攻撃にも使えるがそれとは限らん。目的は他にある」

「目的……」

「貯金のようなものだ。目標額まで貯めたくとも否が応にも散財せねばならんこともある。俺だってくだらん戦闘などに魄尺を使いたくはない。幾ら愚かな貴様でも大事なものを捨てたり壊したり粗末にはしないだろう?」

 ギンは人を貶さなければ死ぬのだろうか。本当にいつもいつも一言が余計だ。

「魄尺ゲージが空だと、目的を果たすどころか己の防御すらできない。今の貴様がそうだ。貴様ごときのために力を使う羽目になるとは屈辱的なことだ。油断した」

「ならなんで」

 どうして助けたのだと問う前にギンの返答が重なる。

「貴様など捨て置いても良かった。だが奴らに血族が渡る危険は潰しておきたい。まったく。足を引っ張ることだけは一人前な無能め。地面に頭をすりつけて猛省しろ。だがなぜ貴様の魄尺はマイナスなんだ。ああそうか。貴様を減点したのは俺か?」

 ギンが自嘲気味にくつくつと咽喉を鳴らした。

「あの……さっきの人たちって……」

「貴様も奴らに顔が割れたのだから知る権利くらいはあるだろう。教えてやる。あいつらは泥棒の手先だ。そして忌々しくも、俺たち血族を狩ろうと目論む下賤の者だ」

「狩る……? 爆破までして……?」

「奴らに手段を選ぶ余裕などあるか」

 狩る。

 首都東京でも花の都と謳われた銀座の地下で同世代の人間を追いかけまわして――。

ギンは整然と言い放った。

「あいつらは鬼ごっこをしている」




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