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えきちゅう。  作者: 田中志摩貴
3/22

その3


 途方に暮れる。どちらにしろ入学式には間に合わない。サツキからの返信もなかった。

 仕方ない。家に帰ろう。いや、帰れるのだろうか。改札を通れるだろうか。

 ラッシュを終えた地下鉄には余裕が生まれ、乗車率は二割を切り、空席が目立つ。本を読む主婦。チラシを見上げる会社員。携帯をいじる派手な髪の男。ベビーカーの子供をあやす若い女。

 平日の昼に時間を持て余す者は多い。どういった生活を送っているかは謎だが、自分もこうして乗り合わせているのだから人を非難する立場になかった。

 しん、とした静寂が耳を攻撃してくる。無音の圧迫感のせいで脂汗が滲み出てくる。

 普段は煩わしい電車の雑踏が恋しく感じた。

 俺は――他人の目に映っているのか。

乗客と意志の疎通をはかることができるのか。

 ごくりと息を呑んだ。見知らぬ人間に話しかけるのには度胸がいる。いや、本来なら入学式のあと新たな級友と顔を合わせて、友人を作るために席の近い者に声をかけるはずだった。そうだ。年が違うだけだ。声をかける行動自体は同じなのだ。

 右手に三席ほど空けて並ぶアニメキャラクターのように髪を跳ねさせたホスト風情の男に一瞥をくれる。またはバンドマンだろうか。大学生だろうか。髪が銀色だし、洋服もところどころ裂けているし、銀色のアクセサリーが身体中にまとわせており、とにかく派手だ。とても会話が成立するとは思えない。

 正面に座っているのは品の良い六十過ぎの御婦人だが、わざわざ立ち上がって声をかけるキッカケもないし、万が一耳が遠かったらせっかくの勇気が無駄になる。

 俺は左に座るベビーカーを連れた若い女性に狙いを定めた。年は二十を超えたあたり。年齢も近いし、どことなく柔和な雰囲気が漂っているので邪険にはされないだろう。

 立ち上がるか。座ったまま声をかけるか。第一声は何が妥当だろう。いや待て。乗客が俺の存在を認識しているか否かを確認するなら、声をかけずとも俺が大声をあげるだけで反応を窺えるかもしれない。例えば、俺が踊りだしたとする。周囲に奇異の目を向けられれば認識されている証拠といえるだろう。

「うああああああ!」

 俺は膝に顔を埋めるほど上半身を折り曲げて絶叫した。どうだ! 急いで顔をあげたが、乗客の誰もが知らんふりだった。気づいていないのかもしれない。

 ――見えていない。

 愕然とした。本当に幽霊になってしまったのかもしれない。頭がおかしくなりそうだ。

 俺は憤然と立ち上がり、わあわあわあわあと喚きながら車内を練り歩いた。

 俺は死んだのか。それとも遥か昔に死んでいたのに気づいていなかっただけなのか。わあわあわあわあ、と耳を塞ぎながら走り回っていると、ややあって次の駅に停車した。

「あ? その苦血とじねーと、マジぶん那愚るよ?」

 銀髪の派手な男が、汚物を見下ろすように目を細めて吐き捨てる。俺は反射的に男の腕を掴んでいた。

「ちょ、俺が見えてるんですか!」

「カチーン。バっカ、刃那せよ。奇喪ちわりーわ」

 派手な銀髪が俺の腕を振りほどくと、競歩選手並みのスピードで構内を駆けていった。

「俺は見えている……? 幽霊じゃない……見えているんだ!」

 ベビーカーを押す若妻が、さっと俺から目を離して顔を伏せた。反応がある。やはり見

えているらしい。

 駅の場所が作用するのか。時間が作用するのか。条件が判然としないが、もう一度、高い城壁に挑むがごとく改札に挑戦してみるが、やはり改札は通れなかった。

 俺はむむと口唇を固く結び、再び、電車に乗り込んだ。

 腕組みをして状況を整理してみるが、パズルが足りなすぎる。ごとんごとん。路面を走る振動が座席越しに伝わってくる。静かな車内がやけに不気味だった。

 そうか。アナウンスが足りないのか。

 日常と異なる不自然な箇所を発見して、俺は一瞬だけ歓喜した。運転士がいないのだろうか。先頭車両まで移動したが運転士は前を向いて作業に集中している。

 急停止や満員状態のときに身体を支えるためなのか、扉の入り口や先頭車両には銀色のポールが備え付けられている。俺がそれに触れた時だった。

 とつぜん音楽が鳴った。

 遥か昔にどことなく耳にしたであろう懐かしい旋律。どこで聞いたのだろう。テレビ広告だろうか。俺はうんうんと唸って必死に記憶と格闘した。

 これまで地下鉄を利用してきたが、この音楽が流れた覚えはない。背後を振り返って乗客の様子を盗み見たがまったく反応がなかった。次駅で停車しても音楽は鳴りやまない。隙をついて、ホームの安全チェックをする車掌に質問してみる。

「すみません。この音楽って何でしたっけ」

「……発車メロディですか? タイトルまではちょっと」

「いえそれじゃなくて」

「確か……メトロ各駅の発車メロディを集めたCDが発売されているはずだから、それを購入していただくのも手かもしれません。曲タイトルはインターネットでわかるかもしれませんけど、申し訳ありませんが、こちらとしては、各駅の曲タイトルまでは把握していない状態というか、今はちょっと……」

「だから発車メロディじゃないんです。今流れてる、たららららたらららら、たららららららら~♪ みたいな音楽が何なのか知りたいんです。タイトルはどうでもいいっていうか、なんでこの音楽がいきなり流れたのか気になって……」

「音楽?」

「そうです。鳴ってるでしょう? ちゃらららららら、ちゃらららららら~っていう」

 目の下に厚い皮膚が垂れている中年の車掌が怪訝そうに俺を見つめた。明らかに憐憫を含む眼差しだった。車掌は俺に軽い一礼を施すと、駅ホームを指差し確認したあと車掌室に戻っていった。

 音楽はまだ続いている。駅に停車しようが発車しようが鳴り止まない。

 途端にぞっとした。何かが動き始めた気がした。どんな行動が引金になったのか、はたまた、俺ではない別の人間がスイッチを起動させたのかはわからない。けれど現に、聞こえる者と聞こえない者に境界線を隔てた事態が進行している。

 そう考えると、単調で聞き覚えのあるメロディが不気味で陰湿に感じられた。

「フォークダンス?」

 先頭車両の脇に背凭れている同世代の女子が腕組みしながら、ぼそりと呟いた。あまりに独り言めいていた。女子が餅のような頬を溶かしてにっこりと笑う。

「その曲、フォークダンスではないの?」

「どの曲? 今車内で鳴ってるやつ?」

「その、鼻歌みたいな鼻くそみたいな鼻眼鏡みたいな鼻畑みたいな鼻キューピッドみたいな鼻より団子みたいな鼻マルチェーンみたいなやつよ」

 めちゃくちゃすぎて絶句した。

 女子はんふふ~と鼻を鳴らしてから、俺がしきりに奏でるメロディを復唱した。

「ちゃらららら~ちゃらららららら~♪ この鼻くそのこと」

「鼻歌だろ。って、君にも聞こえてるのか!」

 初めて得た同志に感動しながら肩を掴むと、彼女はふるふると首を横に振った。

「ざんね~ん。私の頭に歌は流れてない」

 女子が悪戯っぽく立てた人差し指を口元に添えた。

 栗色に近い淡い金髪。くるくると動く大きな瞳。前髪は眉下で切りそろえているが、側頭部分を束ねた髪を大きなリボンで飾り、ふんわりと空気を詰めて左右から垂らしている。身長は百五十センチあるかないかくらいだろう。

 彼女がついと身を寄せて、俺を覗き込んでくる。

「もしかして、キミは【マル】かな?」

「え?」

 俺は言葉の意味を理解できずに困惑した。

自慢じゃないが、初対面の女子から好感触を得た経験などない。ましてや合格点をもらったこともない。俺はドキドキして言葉を発することもできなかった。

「うふ~マルだ! よろしくね!」

「よ、よろしく?」

 握手する合図だと判断し、彼女が差し出してきた手を握ろうとしたが、彼女の掌はきっちり上を向いていた。まるで「金をくれ」とせがまれているように。

 彼女が掌を上にしたまま軽くそれを振る。

「手っ」

「は?」

「手をだして。早く!」

 急かされるまま、彼女の手に自分の掌を重ねると彼女が満足そうに頷く。

「よくできました。お手~」

お手だったのか。犬扱いされたのか。

 茫然として言葉を失っていると、彼女が俺の掌をきゅっと握った。

「マル、次の駅がどこかわかるか?」

「赤坂見附?」

 彼女は口元でふっと笑んだ。

「私は【ユウ】」

「ユウ? それが名前?」

「縁があれば、またすぐに会えるかもね」

「え、あ? また会えるって? なんで? 俺とどこかで会ったことがある?」

「さ~て、どうかなあ。何百年前とかに会ってたりして?」

 ユウが茶目っ気たっぷりに舌を覗かせた。

「マルとは擦れ違う可能性があるからね。マルもマルでこれから大変だけど、マルはお手のできるお利口さんだからやれると思う。頑張ってね!」

 ユウが両手の指をもしゃもしゃさせて挨拶を残し、停車駅で下車してゆく。藁にもすがる思いで追いかけたが、ユウの両掌が、扉前で俺の肩と胸を押し留める。

「ちょ、待て! 俺、改札を通れなくて! 学校も行けなくて、このままだと家にも帰れなくて……!」

「マ~ル? ねえ、音楽とまった? 踊らないの?」

「踊るって何が!」

「音楽に合わせて踊る……じゃないのかな。フォークダンスじゃない、なら、う~ん……椅子……椅子かな? 音楽がとまったら、遠慮せず椅子に座るのがいいかも」

「座る? そりゃ座ることもあるだろうけど、そんなことよりも」

「フォークダンスにも使われるけど、椅子取りゲームにも使われるからねソレ」

「な、何が!」

「さっきの鼻くそ。オクラホマミキサー。そう言った、でしょ?」

 言い終えると同時に、ユウが俺を突き飛ばした。すごい力だった。いくらこっちが油断していたとはいえ、同年代の小柄な女子に力負けするわけがない。だが明らかに、格闘家に匹敵する力が放たれた。俺は勢いあまって派手に尻もちをついた。

 無情にも車両が出発する。

「待っ……!」

 固い扉によって声が遮断される。

下車した人垣の後ろに並び、首だけでこちらを振り返ったユウの目は涼しげだ。

 ユウは軽く指で摘まんだ白い布をはらりと落とした。切手ほどの大きさだった。俺に見せつけるようにわざと落としたようにも見えるが、ゴミだろうかメモだろうか。

 ユウはふっと口元だけで笑んだあと、ふたつに結んだ豪華な髪を揺らして首を戻した。

 俺は風景の流れる車内から無情にもそれを見送った。

 何なんだ。何なんだ!

 俺は地団駄を踏んで歯噛みした。ようやく手がかりになりそうな人物と接触できたのに情報を得られなかった。我ながら、自分の不甲斐なさに嫌気がする。俺は憤然と座席に身を預け、苛々と足を揺らし続けた。おかしな曲はいつの間にか止まっていた。

 曲の名前はオクラホマミキサー。

 彼女の名前はユウ。

 それだけだ。だがそれだけで何ができる――。




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