mortal Dean
「おい、ディーン! おい、ディーン!」
俺は小声で囁くように聞いた。ディーンは俺の方を向いて答える。もう目は背けられなかった。
「なんだ。聞きたいことでもあるのか?」
「当たり前だ、ディーン。どうして俺なんかを助けに来たんだ?」
俺の言葉にディーンは笑う。
「お前だけじゃないさ」
「?」
「これから俺が関わった死人全てに会いに行くんだ。山の向こう、森の奥、海の果てに置いて来た死人達みんなに俺は会いに行くんだ」
「なんだって?」
ディーンの壮大な計画に俺は驚いて声を出した。ディーンははにかんで笑う。
「ついてきてくれるよな」
「ああ、それは構わないが、なんだって突然?」
「俺は目が覚めたんだ」
そうしてディーンはゆっくりと話し始めた。こんなことを始めることに至ったそのいきさつを。
「つまりだ、俺の手品もみんな種が明かされちまったのさ」
ディーンは歩きながら語った。その足取りはしっかりしていて力強い。
「そうして次第にみんないなくなった。連れ去られ、少し離れた町の工場で働かされたんだ」
「腐りかけの体で歯車やネジを取り付ける仕事をさせられたらしい。辛かっただろう。俺に対する呪詛の念はそれはひどいものだった。俺は逃げるように酒を浴びた。死人はどんどん少なくなった。休み無しで働けるし食べるものもいらないからな。引っ張りだこだった。しまいにゃ俺の町に工場ができた。死人達はみんなそこに連れ去られた」
そこでふうと息をつくディーン。言葉を続ける。
「俺は一人になった。だがそんなのは慣れっこだった。またどこか遠くへ行けばいい。それくらいの気分だった。なぜこんなネブラスカの果てまで逃げてきたのかを俺はすっかり忘れていた。心地よかったんだな。きっと。お前達にかしずかれているのが。だがそれを引き留める人間がいた。死人をただで使っている奴らだ。俺が町を離れれば死人はすぐに腐ってしまう。だから俺をこの町に留めたがった」
そこでディーンは昔を懐かしむように前を向き遠い目をした。だがすぐに目をこちらに戻すと俺の方に向き直る。
「俺には酒と女があてがわれた。逃がさないようにする罠だった。俺はまんまと引っかかった。実のところ奴らはそうやって俺の力がいつ働き、いつ働かないかを探っていたんだ。そうして俺は酔っ払っているうちに酒場の地下室に閉じ込められた。そう、お前が使っていた部屋だよ。そこで俺は酔いから醒めた」
「酒のない生活は地獄だった。今までの後悔や苦恨が俺に襲いかかってくるんだ。俺は部屋の隅でガタガタ震えてそれに耐えた。そんな時だった。震えていたせいだろう。机の引き出しが落ちてきた。そうして俺はこれを見つけた」
ディーンは懐から一冊の見覚えのある手帳を取り出した。俺は思わず叫んだ。
「俺の手帳!」
俺の言葉にディーンは頷く。
「そうだ。俺はそれを読んだ。特に最後の下りを何十遍も何百遍も読んだ。地下室にはそれしかなかったからひたすらに読んだ。そうして全てを知った。もちろんすぐにじゃない。最初はなんてひどい嘘を書き連ねてあるんだろうと思った。この俺が愛されているはずなんて無いじゃないかと思った。死人からもただ怨まれているだけのはずだと思っていた。ましてやこんな俺の為に祈るなど! くそっ、祈るだと!」
ディーンは涙ぐんでいた。そうして手帳を持ったまま袖で涙をぬぐった。そして手帳を俺に返してくれた。
「……すまない。勝手に読んでしまって」
「それはいいんだ。話の続きを頼む」
俺がディーンの話の続きをせがむとは、と思いながら俺はディーンを急かす。
「そうだったな。とにかく閉じ込められた地下室から出なくてはならなかった。祈りが本当か不安もあったが、それも外に出なくては始まらなかった。俺はドアを叩いた。だが、ドアはびくともしない.俺はそれでも激しく叩き、やがて手をすりむいて血が出た。するとアイツが現れた」
「アイツ?」
俺は尋ねる。ディーンは頷いて言った。
「お前達は影水の少女と言っていたか、俺のせいで陸に囚われた、海からの少女のなれの果てさ。俺が自傷するとアイツが現れるんだ。これ以上、自分を傷つけるなとでも言うように。俺はアイツに恐怖心と後ろめたさしか感じていなかった。だがもう今は違った。俺は勇気を振り絞って言った」
ディーンは拳を握る。そこにはその時のものだと思われる傷の跡が少し残っていた。
「頼む。と俺はアイツに頼んだ。今まで辛い思いをさせてきたことを棚上げにした頼んだ。俺をここから出してくれ。俺には会いに行かなくちゃいけない人達がいるんだ、と。するとアイツはドアの鍵穴の所に水のような自分の体を差し入れて鍵を開けてくれた」
「ありがとう。俺はアイツの顔を見て言った。アイツの顔はさぞ恐ろしげだろうと思っていたのだが違った。あのままの美しさだった。そりゃあ色は失われていたけれど。そうしてどこか笑顔だった。俺は泥水のようなアイツを軽く抱きしめた。アイツは待っていたかのように俺を優しく抱き留めてくれた。それから俺は部屋から出て工場へ向かった。死人達を解放するためだ。目覚めている俺の行く手を阻むものはなかった。脅しもなにも通用しなかった。死人達は解放された。みんな俺に感謝してそして俺が召されるように祈ってくれた。俺は嬉しかった。書かれていたことが嘘じゃないとわかって嬉しかった。そうして俺は少し離れた町にみんなで向かい、そこの死人も解放した――」
「それでめでたしじゃないのか?」
「いいや、俺は覚悟を決めたんだ。いままで死からずっと逃れ続けていたが、死を受け入れようと考えるようになった。そのためには俺が殺した人間を全て甦らせて一所に集めないといけない」
「なぜ?」
「なぜって、そういう決まりになっているからさ。お前達死人はアイツの体内で魂で繋がっている。その魂と肉体を一つの所に揃えないといけない。そうしないと俺は死ねない。お前達も死ねない」
「そうなのか」
「だから俺は逃げてきた道を歩き自分が捨ててきたものとこれから対面しなくてはいけない。きっと俺にとって辛い旅になるだろう。それでも行きたいと思ったんだ。それは俺自身のために。色を失っても俺を愛してくれたアイツのために。そうして俺なんかのために祈ってくれたお前達のために」
話は終わった。ディーンは力強く歩き出す。俺も帰して貰った手帳を服のポケットに仕舞い、ディーンの後を追った。
……。
……。
……。
俺達は歩いた。生きている人間が飛行機で飛んだり車に乗ったりする世の中でひたすらに歩いた。はぐれるものがでないように昼と晴れの日を選んで歩いた。俺達が歩く先々では死人が待っていた。水の流れが留まるところ、海岸の隅、山の麓、そうして森の奥。ディーンは懐かしい友人に会うかのようにそれら死人の手を取り跪き、許しを請うのだ。まるで奇跡かなにかを起こしているかのようだった。
死人を甦らせる度に俺達の中にある苦しみも次第に軽くなっていった。今まで自分達にのしかかっていたあの生きる苦しみは、腐り果てた死人達の苦しみを俺達みんなで共有しているからだと知った。きっとあの影水の少女の体内で、魂同士があまりにも近く結びついてしまったせいなのだろう。
俺達死人の一行はアメリカ中を歩き回りディーンはあちこちで死人を甦らせていった。その姿はまるで聖人のようだった。
実際そんなディーンを聖人視する人もいた。ディーンは笑顔を作ってそんなんじゃないと彼等に言った。それでも彼等のうちの幾人は俺達について歩いた。
海さえ渡った。信奉者も時には役に立つものだ。俺達みんなが乗れる船をディーンはただで貸し切った。誰も俺達の行く手を止められるものはいなかった。国境を越え、諍う民族の間を抜け、国家間の対立を抜けて、ディーンが旅した道を逆に辿りひたすらに死人を甦らせ歩いた。そうしてようやく辿り着いた先は北アイルランドの陸の果てだった。
「故郷だ!」
ディーンは低く呟いた。そこにも死人が待っていた。ディーンはいつものように死人の手を取り跪き、許しを請うた。くたびれはてていたけれど、ディーンはついにやり遂げたのだ。
そうしてディーンは全ての死人を甦らせた。もう俺達が感じていた痛みや苦しみは全て体から消え去って喜びと一体感が体を包んでいた。
ディーンが全ての死人を甦らせたその日、海辺でささやかな宴が開かれた。みなで枯れ木を集め火をおこし、輪になって座った。何も飲むものはなく何も食べるものはないけれどそれは宴だった。俺はそっと周りを見回した。
南北戦争時代の兵士がいた。羽根飾りをつけたアメリカ先住民がいた。開拓者がいた。黒人がいた。東洋人がいた。独立戦争時代の売笑婦がいた。髭もじゃのヴァイキングがいた。反対に髭のないローマ人がいた。全身入れ墨姿の蛮族がいた。俺の知らない、俺の知りようのない民族の様々な姿のさまざまな人間がいた。それらのみんなが静かに火を囲んでくつろぎ、楽しんでいた。言葉も宗教も違う人間達だったけれど、それでも俺達は仲間だった。
周囲に押されるようにディーンが出てきた。ディーンはみんなに感謝の意を述べた。ここまでついてきてくれてありがとうと。歓声が上がった。次にディーンに手を取られるようにして出てきたのは本当に古ぼけた衣装を身にまとった黒い髪に薄い色素の肌をした少女だった。色こそ付いていたが影水の少女だと俺達は悟った。そうしてあの古ぼけた衣装こそディーンが少女から奪い、少女を陸へと押しとどめたという衣装なのだろう。その衣装はディーンの故郷にあり、ディーンはそれを今こそ少女に返したのだ。
色を取り戻した少女は、静寂の中昔の言葉で一人歌を歌った。その言葉は全くわからなかったけれど、故郷を思う歌だろうと言うことは何となくわかった。皆がこの歌に聴き惚れ、自分達のもう帰ることはないだろう故郷のことを思った。
歌い終えると少女はディーンに何事かを言うと、こちら側ではなく海へと足を向けた。そして波をかき分け、少女の姿は海に没した。少女はついに海へと帰ったのだ。終わりが近づいていることが感じられた。
それからみなそれぞれの言葉でそれぞれの神にディーンのことを祈った。良き死をと願った。ディーンは全く今こそ死ぬ定めであった。
そうしてその時が来た。時間はちょうど日の出の辺りだった。太陽が昇ると共に少女が帰っていった海が割れた。そして一人の怒れる裸身の大男の姿が立ち上った。男の傍らにはさっきの色の付いた少女が寄り添っていた。いまこそ分かたれた恋人である二人は一つになったのだ。男は投げ槍を構えていた。全身の筋肉が脈打つほど強く力んでいた。そうしてそれをディーンに向かって投げた。槍はディーンの腹を突き破り、消えた。あとには腹に大穴を開けたディーンだけが残された。皆が駆け寄ろうとする。ディーンはそれを手で制止した。
「いままで、すまない」
ひゅーという喉が鳴る音と共にそんな言葉がディーンから漏れた。ディーンはそのまま仰向けに倒れた。それが彼の死だった。わっとした声が周囲から流れそれが涙の声だと気づくのにだいぶ時間がかかった。海から立ち上る大男とそれに寄り添う少女の姿はいつの間にか消えていた。もはやそれらが本当にあったことかどうかもわからなかった。
……。
……。
……。
ディーンが死に、陽光の中俺達もぽつりぽつりと消えていった。ディーンとは違い、俺達は後に死体を残さなかった。まるで粉のように光に溶けていった。俺も消えるときが来た。自分の体が淡く輝いているのを感じる。その前にさきほどの少女が姿を見せた。
「あなたは酒場でわたしにお酒を勧めた人ね」
「良く覚えているな」
俺が言うと少女は無言で笑った。手に金属製のカップを持っている。そこに酒がなみなみとつがれていた。
「どうぞ。お礼です」
「ありがとう」
俺は差し出されたグラスを手に取り、芳醇な匂いのする酒を一口飲んだ。
「旨いな。この酒。みんなに薦めて回っているのか」
「ええ。ここまで付いてきてくれたお礼。今まで待っていてくれたお礼。色々あるけれど。わたしにはこんなことしかできない。あなたたちを甦らせる力もない」
すまなさそうに言う少女に向かって俺は笑う。
「それでもいいさ」
「みんなそう言ってくれます。それが少し寂しい」
「だったらあんた。ちょっと聞かせてくれないか」
「? 何でしょう」
「あんたは、ディーンと海の恋人、どっちを愛していたんだ?」
「さあ、どっちでしょう?」
とぼけた顔をして言う俺に言う少女。俺は少し可笑しくなって笑った。
「……恋ってやつは複雑だな」
俺の言葉にちょっと首をかしげて少女。
「あなたはそれも書きますか?」
「ああ。時間があればな」
「そうですか。それでもいいです」
少女は言った。俺は少女の姿を見る。色を取り戻したその姿に、俺は今まで気づかなかった色恋に奔放でそれでいて気高く情熱的な少女の本性を少し覗いた気がした。
「じゃあな。酒、旨かったぜ」
俺はいつの間にか空になったカップを少女に返す。
「ディーンを変えてくれてありがとう。良い旅路を」
「ああ。そっちも末永くお幸せに」
少女の姿は靄のように消えた。俺は手帳を取り出し、少女とのやりとりをぼんやりと書いた。
……。
……。
……。
まだ少し時間があるようだ。だがもう書くことはないだろう。俺は静かにこの大地を洗う風に心を満たしその時を待つ。
ただその時を待つ。
ここまで読んでいただきありがとうございました