old curse
時は東側と西側がにらみ合う冷戦時代だった。ディーンの能力を兵器に転用できないかと考える奴がいた。オカルトと一笑に付せばいいのだが、ディーンの力は事実だから仕方ない。合衆国から派遣されたふたりのエージェントが訪ねてきた。ディーンはいつものように俺の酒場で飲んだくれてた。
「あれがディーンか」
「へえ」
俺は頭を下げた。権威には逆らうなと教えられていたし、それが暴力をまとっていればなおさらだった。政府から派遣されてきたエージェントは二人。太く背の低いのと。細く背の高いのと。二人とも同じようなスーツにサングラス姿で、対照的な体格差がなければ、俺はきっと二人を見間違えていただろう。
「おいディーン。合衆国政府がおまえの力に興味がある」
「……」
ディーンは無言で酒をすすっていた。そうして飲み干すとドンと俺の前に杯を置いた。俺は新しく酒を注ぐ。あまりにもまわりを無視したやり方だった。案の定太い方が切れた。殴りかからんとする勢いでディーンの襟首を掴む。
「こっちを向け!」
「よせ! 無理強いするな」
細い方が慌てて太いのを制止する。その背後にはもう影水の少女の姿が立ち上っていた。それを見て二人とも降参の合図に両手を挙げじりじりと下がり出す。
「……オーケー。たしかに、情報通りだ。俺達はこいつに何もしない。だからお前も俺達に何もしないでくれ……」
「……」
影水の少女は不審そうに二人を見ているように俺には見えたが、やがて影のようにその姿を消した。二人で顔を見合わせ深く息をする。
「……あぶなかった」
「……ああ。でもどうする。こいつを連れてこいとの命令だ」
「わかった。二番目の命令を実行しよう」
「ああ、そうするか」
そう言うと二人はカウンターを何でもない障害のように飛び越えて俺の方へ向かってきた。
「え、俺? っ! 何をする!」
俺は突然口を押さえる。ガスを浴びせかけられたのだ。俺はたじろいで姿勢を崩す。
「少し眠れ」
「馬鹿言ってるんじゃない。俺に、俺達に眠りはない」
催眠ガスなど俺達死人には効かない。俺は言った。
「じゃあ、これならどうだ?」
すると細い方の男はナイフをきらめかしこの狭いカウンターの中で器用に俺の足の先を切り落とした。俺の足を! こいつ、この俺の足を切りやがった! 俺はもんどりうって床に倒れかかる。そこにワイヤーが食い込んだ。太い男がいつの間にか張っていたのだ。俺の体は宙ぶらりんになる。そのままずるずるとワイヤーの上を体は滑り膝をついた。俺は男達を見上げ、吐き捨てるように言った。
「くそ、やめろ! このクソ野郎!」
「ふん、やはりお前にはあの少女は何もしてくれないんだな」
「……くっ」
事実を前に俺は唇を噛む。確かに影水の少女は俺達を守ることはしなかった。姿すら見せはしない。俺の体にワイヤーを巻き付け、太い男は俺を抱え上げた。耳元で言う。
「お前だけでもサンプルとしていただいて行くぞ」
「ちくしょう! ディーン! ディーン! 助けてくれ! 助けてくれ!」
俺はディーンを見る。ディーンも青ざめた顔で俺を見ていた。目が合う。そうして背けられた。見捨てられた証拠だった。
「わあぁああ! ディーン! ディーン! ディーン! ディーン! そこで見てないで助けてくれぇ!」
「俺は見てない! 俺は何も見てない!」
俺はディーンを見つめ食い下がるように叫ぶがディーンも負けずと叫ぶ。そうして大型のエージェントは酒場を出てそのまま前に止めてある白いキャデラックに乗り込んだ。細い方が運転席に座りハンドルを握る。
「出るぞ!」
「わあぁああ! 止めろ! 助けて! 助けてくれ、誰か! ディーン!」
そのまま車は俺を乗せて急発進した。こうして俺はディーンと離ればなれになった。くそっ、ディーン、お前は見てたのに。カタカタ震えるだけで俺を見捨てやがった。
車中で腐敗が始まった。俺の体は腐り始め糸を引きどろどろに溶け、骨が見え始めた。俺の眼窩もしだいに腐ってゆき、しばらくすると滲んだ景色のように視界がぼやけ、何も見えなくなった。ただ音だけが聞こえるだけ。その音で死体袋に入れられたことがわかった。けれどもその音は最早うすらぼんやりで、おそらく耳では聞いてはいないのだろう。体に伝わる振動で何とか理解している感じだった。俺は死体袋の中で肉の塊となった。それでもまだ生きていた。苦しい。ああ、まったく死ねないと言うことはこんなにも苦しい!
俺は苦しみで世界を呪詛しながらディーンから確実に遠ざかっていった。
やがて車の振動が止まった。どこかの研究室に放り込まれたようだ。その頃には骨まで溶け、きっと俺はまるで泥のようだったろう。ひんやりとした金属製の床が俺の熱を果てしなく奪っていった。
それからはいろいろな実験をされたようだ。俺は体で聞いていた。もしかしたら心で聞いていたのかもしれない。それも耐え難い苦しみに果てしなく塗りつぶされていった。俺はディーンを怨んだ。何千回も何万回ももしかしたらそれ以上怨んだ。ディーン、ディーン、ディーン、ディーン! すると青ざめたディーンの顔が今でもパッと浮かぶのだ。打ちひしがれた弱い顔。影水の少女の加護無しでは何百回、いや何千回殺されてもおかしくないその醜い顔。俺に背けたその痩せこけた顔の線さえも。ちくしょう……。……。俺は苦しみの中で見捨てられたと知った。俺はこのまま実験体として死ぬまでディーンと引き裂かれたままなのだろう。ああディーン、ディーン、ディーン、ディーン! 俺はお前の来訪を待ちわびている。そうしてそんな日は二度と来るはずはない。来るはずなど、二度と。……そう思っていた。
「……」
目を見開いた。俺は全裸で床に体をぴったりつけるように横たわっていた。俺は不思議そうに上体を起こした。腕がある、足がある、体がある。そうして、痛みがほとんど無い。実のところまだあるがこれまでにくらべたら屁みたいなものだ。ディーンが近くにいるのだな。俺は直感的にそう悟った。
いったいなぜ。俺は一人、訝しんだ。周囲を見回す。白い部屋にドアが一つ。そうして俺の様子を観察でもしていたのか一方向に大きく透明の(後で知ったがあれはアクリルと言うらしい)窓がぽっかり空いていた。そうして換気扇がブーンと回り続けていた。
「おい誰か!」
俺は叫ぶ。返事はなかった。
「おい誰かいないのか!」
もう一度叫ぶ。すると透明の大きな窓越しに男がふたり見えた。白衣を着ている。科学者だろうか?
「おい、こっちも目覚めたぞ!」
「……?」
どうやら俺の他にも何人か死人が捕らえられているらしい。俺は立ち上がりドアをどんどんと叩く。すると部屋の外から声がした。
「開けろ。お前も死人になりたいか?」
太くはっきりとしていたが、紛れもなくディーンの声だった。
「俺には死人の場所がわかるんだ。隠しても無駄だ。全員解放しろ」
そうして俺の部屋のドアが開く。科学者がドアを開けたのだ。
「ディーン!」
「よぉ。待たせたな!」
立っていたのは、飲んだくれていた頃とはまるで別人のようになったディーンだった。体も少し肥え、その足取りはしっかりしている。そして底抜けに明るいディーンの声が俺の胸に刺さった。涙が出そうだった。だが死人は涙を流しはしない。ディーンは死人である俺の手を取って迎え入れた。そうして俺を外まで案内してくれた。俺は衣服を着て外に出る。そこにはあの町の住人全員が揃っていた。みんな笑顔で手を振ってくれた。
「よーし次の目的地まで行くぞ! 誰ひとりはぐれるな!」
捕らえられてた全ての死人を助け終わり、ディーンは大声で死人の群れに言う。そうして死人を率いるように先頭に立って歩き出した。俺も慌ててついて行く。俺の姿は村人達と混ざり、俺は群衆の一員になった。俺は群衆をくぐり抜け一番前まで行き、先頭に立つディーンの顔を見る。そのどこか恥ずかしげで誇らしげな顔を見て俺はひとり訝しんだ。
ディーン。不思議なディーン。なにがお前をそこまで変えた? 俺はディーンを横目で見る。何がディーンを変えたのか。どうして俺なんかを助けに来た? 俺はそのことが知りたくてたまらない。