15.魔導師、悪夢を見る
暗い部屋で僕は一人で座ってた。
一人で本を読んでいた。
誰か、僕を見て?
そう言おうとして、しかし止める。きっと何の意味もないだろうから。
父の仕事による四度目の引っ越しにより、いつもの如く学校や近所の子との交遊関係は崩れた。新しい土地でまた一から建て直すのは面倒に過ぎた。
父は先を見通せる人だった。
将来を見据え、社会の先を見据え、家族が長く一緒にいられるために努力できる、尊敬できる人だった。
でも彼の目は、今を見ていない。
彼ががんばって働いてくれるおかげで、お金に困ることはなかった。だから感謝していた。
でもやはり、父は今を見ていない。過去もあまり振り返らない。
だからきっと、自分が子供だった頃、友達がどれだけ大きな存在であったか忘れているのだ。
彼が仕事をがんばってくれているおかげで、僕ら家族は平和に暮らせている。感謝していた。
でも引っ越しは嫌だった。
もっと父と一緒に遊びたかった。
もっと今を、僕を、見てほしかった。
母は優しく平等な人だった。良妻賢母と言える、尊敬できる人だ。
誰にでも平等に接し、平等に優しく、平等に叱った。
たとえそれが彼女の友でも友の友でも、他人の子でも、自分の子でも、平等に。
全てを同じ視点から見れる彼女は、尊敬できた。
でも。もっと僕を見てほしかった。
平等な目線ではなく、少しで良いから、ほんの少しで良いから、自分の息子を、僕を、贔屓してほしかった。
誰も僕を見ていないと感じていた。
もっと良い子にすれば、目を向けてくれるだろうか。
もっと彼らを愛すれば、目を向けてくれるだろうか。
友達なんておらず、父も母も、僕を見ていない。大切にしてくれてはいるのだろうけど、僕が本当に欲しいのは別のもの。
少しだけで良いから一緒に遊んで、少しだけで良いから僕を見てほしかった。
酷く酷く寂しかった。淋しかった。
たとえ同じ屋根の下で一緒にいようとも孤独感は拭うことができず、いつしか独りでいるのが当たり前になっていき。
暗い部屋が更に暗くなって、何も見えなくなる。
溺れそうな暗闇に、押し潰されそうな孤独に包まれ涙が溢れた。
◆◇◆
「ッ!」
悪夢を見た。
前世の、友達もいなければ家族ともすれ違っていた嫌な記憶を。
痙攣するかのように上半身が跳ねて、厚い掛け布団がずり落ちる。
まだ夜中だろう。真っ暗な部屋は僕の自室だけど、この広い部屋
を埋め尽くす闇は、まるで何かが顎を開けているようで、四歳になっても慣れることはなかった。
荒い呼吸と、心臓がバクバクと鼓動する音だけが聞こえる、防音性能の良い部屋は、広い分一人だと殊更酷く寂しく感じる。
「……【照明】」
光魔法で手から光る球体を生み出して視界を確保すると、時計は午前一時を示していた。
眠気は無い。
意識は鮮明で、しかし悪夢を見たせいで気分は重く再度眠る気にもなれなかった。
前世ではこんな時、読書か勉強に没頭して孤独感を忘れていたのだけれど。
「……」
ライルお父様もシエラお母様も優しい。二人とも僕を愛してくれる。僕も二人が大好きだし、普段は影が薄いアレクお兄様も穏和で良い人だ。
前世で本当に欲しかったものが、この家には揃っている。
「…………」
だから尚更、今胸の中に蟠る不快な孤独感が酷く恐ろしかった。
「………………」
部屋の扉を静かに開閉して廊下に出る。
リエラノーク辺境伯家が住んでいるのは城だ。
石造りで頑丈さと防寒を重視したこの城は、辺境伯、つまり上位貴族が住み、かつ戦争が終わって百年経つ今でも城塞としての機能が未だに多く存在し広い。
寒帯に位置するため六月だというのに廊下はキンキンに冷えきっていて、鋭い冷気が肌を突き刺す。
廊下は幅が広く、天井は高い。真夜中ということもあって城内は不気味な静けさと暗闇に沈んでいて、所々に配置された青白い照明の魔導具が余計に不安を煽る。
そんな廊下を少し進む。ほんの少し歩くだけなのに、距離も時間も酷く長いと感じた。
一つの扉を軽くノックする。
「……誰だい?」
少しの間を開けて中から聞こえてきたのはお父様の声。
そう、ここはお父様とお母様の寝室だ。
「リンです。夜更けにごめんなさい。入ってもよろしいでしょうか?」
「うん、良いよ。今開ける」
かちゃ、と最低限の音を発してドアが開き、寝癖で少し金髪を跳ねさせたお父様が眠そうな顔を除かせた。
部屋から溢れた照明が、廊下の闇を押し退ける。
「おいで。廊下は寒いだろう」
「はい、失礼します」
「はは、今は周りにだれもいないし敬語なんて使わなくて良いんだよ? 家族なんだから」
「じゃあ、そうするよ」
部屋に入ると、暖房魔導具によってほどよく暖められた空気がふわりと僕を迎え入れた。この魔力は、お母様が魔力タンクに込めたものだろう。彼女の暖かな雰囲気そのままだ。
広く、赤いカーペットが敷かれた寝室は領主の部屋とあって広い。机、本棚、ソファに衣装箪笥、リエラノーク辺境伯領が描かれた絵画と物は多い。
「リン君、どうしたの~?」
お母様がダブルベッドの上で上半身を起こし、眠たげに微笑みながら聞いてくる。
「その……悪夢を見て」
ぶっちゃけると僕は寂しいのと怖いのが酷く苦手だ。前世で大学生だった身としては口にするのが少し恥ずかしいのだけれど、本当に嫌で仕方ない。
……もしかしたら、体につられて思考も幼児退行してる可能性もあるけれど。
「それで、一緒に眠りたいなー、って」
「もちろん良いわよ~♪ こっちにおいで~。 ライル君も良いわよね~?」
「うん。寧ろ普段リンはおとなしいからね、前から一緒に眠りたいなって思ってたんだ」
お母様は布団を捲ってそこをぽんぽんと軽く叩き、受け入れ体制万全だ。
お父様が差し伸べてくれた手を掴む。その手は固く、ペンだこと剣だこがあったけれど、暖かい。
「じゃあ、リンを真ん中にしようか」
「ふふふ、おいで~」
ダブルベッドだけど、三人で横になっても余裕がありそうだ。
お母様が捲った布団の中に体を潜り込ませると、じんわりした心地好い温もりに包まれて、そのままぎゅーとお母様に抱きしめられた。柔らかな肢体に優しく包まれると、すごく安心する。
「照明消すよ」
ベッドの頭側に設置されていた魔導具のスイッチをお父様が切って、そのままベッドに入ってきたため川の字に並んだ。
ぽん、ぽん、とお父様に頭を撫でられる。
暗いけど、すぐそばに両親がいて、抱きしめられて、頭を撫でられて、暖かくて。
先程まであれほど孤独感と恐怖によって意識が鮮明だったのに、段々とうとうとしてきた。
「……」
前世で本当に欲しかったけど、結局手に入らなかったもの。
家族愛と、友達。
「……パパ、ママ……大好き」
「うん、僕も愛してるよ、リン」
「ふふ、私も愛してるわ~♪」
僕の言葉に、パパとママはふわりと微笑んで、僕の耳元でそう囁いた。
「……二人の子供で本当に良かった。二人の子供で、最高に、幸せだよ」
「僕もリンが生まれて来てくれて本当に良かった。シエラがいて、今は学園だけどアレクがいて、リンがいて。最高に幸せさ」
「私も、リン君と、アレク君と、ライル君と家族になれて、本当に良かったわ~。これからも、ずっと一緒よ~」
ぎゅ、と二人に抱きしめられる。
たまらなく幸せで。
泣きそうなほど幸せで。
ぎゅ、と交互に二人に抱きついて。
二人の暖かさに包まれ、そのまま僕は瞳を閉じた。




