1.魔導師、転生する
いつも通り大学の理系学部の研究室で夜中まで実験し、お風呂に入りたいなーと思って帰宅しようと自転車で走っていたら、後ろからトラックにつっこまれて僕は死んだ。
なんてことだ。まだ卒業研究が終わってないのに。
そんな僕は今、母親と思わしき若い女性に抱き締められている。母の容姿はゆるふわなうすーい水色の長い髪に穏やかな空色の目。柔らかそうな唇は慈愛に満ちた微笑を浮かべている。身長は解らない。なぜなら僕の体が赤ん坊サイズ──否、まんま赤ん坊だからだ。
生後数ヶ月位経ってるのか、大体の言葉は理解できるし、自力で立つこともできる。
恐らく異世界転生というやつだろう。 少なくとも地球ではないのは確かだ。なぜなら窓から見上げた夜空には大きな月が二つあったし、北斗七星もカシオペア座もない。寒帯で外はずっと雪景色なくせに平然と樹木や花が生育している。地球ではありえない。
それになにより魔法が存在するのだ。
かくいう母も魔法使いで、いま僕らがいる部屋は彼女が暖房魔導具に魔力を供給することにより快適な温度を保っている。
魔法。是非とも修得して研究したい。
◆◇◆
母の体は暖かく、抱き締められていると安心する
その時僕はふと気づいた。確かに母は暖かい。しかし体温による温もりとも、精神的安寧による暖かさとも違った、何か別の『あたたかさ』を感じる。
物理的でも精神的でもない、前世では感じた事のないふんわりとした温もり。
良く母が読み聞かせてくれる絵本から得られた情報を基に考えるならば、きっとこれが『魔力』なのだろう。
「シエラ様。旦那様がお呼びです」
その時、使用人の女性が部屋の扉を開け、母に──シエラール・フォン・リエラノークに声をかけた。
エプロンドレスを着た使用人の女性や身なりの良い母、赤ん坊である僕のための広い部屋を考えるに、もしかしたらこのリエラノーク家は貴族か何かなのかもしれない。
「あらあら~、魔獣でも出たのかしら~?」
「はい。銀狼が、複数出現したようです」
「……なら、早く狩らないといけないわねー」
母の声が、普段の穏やかで優しいそれから、底冷えのする無慈悲なものになり、僕は思わずぶるりと震えた。
そう、この世界には魔獣と呼ばれる狂暴な生物カテゴリが存在する。
低級から中級の魔物であれば、一般的な冒険者や騎士でも討伐できるのだが、上級ともなると魔法使いや熟練者でなければ対処が酷く困難で、魔法使いである母に時折こうして仕事が回ってくるのだ。
「あ、そうだー、リン君も一緒に行きましょうねー」
そう言って、母は俺を抱えたまま歩き出した。使用人の女性も母を止めずに付いてくる。
……この世界では、赤子を連れて戦場に出るのが一般的なのかもしれないと自分に言い聞かせ、僕は成す術無く母に連れていかれた。