第2話
「おーはよっ!」
朝、教室で愛理に飛びつかれた。
今日は愛理は吹部の朝練だったのだ。愛理の家を出る時間は大体俺と同じだから、もし朝練じゃないなら、大抵は朝、家の前で会うことになる。
「じゃーん。クッキーだよ!」
愛理がにこやかにタッパーを取り出す。中には整然と並べられたクッキーが入っていた。まだ誰も手をつけていないっぽい。
「おお。作ったのか?」
「うん。昨日ね。私が食べたくなっちゃったんだ。どうぞ」
タッパーからクッキーを一つとる。
さく、と柔らかい歯応えで、バターと微かなシナモンの味がした。
愛理が周りのクラスメートにもクッキーを振舞っている間に、七尾がきた。
七尾は俺の顔をちらりと見たが、そのまま席につく。
昨日、現実がどうとか、早く帰らないとならないとか言ってたなんて想像もつかないような無表情だった。
「あ!おはよう、七尾さん!クッキー、どうぞ〜」
愛理が元気いっぱいに挨拶する。
七尾は断るかと思ったが、意外にもタッパーに手を伸ばし、クッキーを口に運んだ。
「…おいしい。これ、園宮さんが作ったの?」
「うん。趣味なんだ」
「そっか。…ごちそうさま」
そう言う七尾の顔は寂しいような悲しいような表情を浮かべていた。愛理は七尾と会話できたことが余程嬉しいようで、にこにことあれこれ話しかけている。
味がするだろ、と思った。
俺にはちゃんと小さい頃の記憶があるし、食べたら味を感じるし、怪我をしたら痛いと思う。世界では色々な事件が起きていて、それをニュースで知る。それなのに、どうしてこの世界が現実じゃないなんて思えるんだろう。
七尾がいたという世界こそが異世界だったんじゃないのか。
七尾を愛理の肩越しに見ていると、愛理の向こうの七尾と目があった。
高校生にもなってこんなことを真剣に考えている方がバカバカしいよな。
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「昨日、私が言ったこと、考えてくれた?」
昼休み、人気のない屋上。まるで告白の返事を催促するように言う。それが現実云々のことであることは明らかだ。弁当を食べた後、七尾に屋上に呼び出されたのだ。
「考えはしたよ」
「…で、どうなの」
七尾が身を乗り出すようにして言う。
どうなの、って、言われてもな。
「七尾は、俺があんな話を信じると、本気で思ってるわけ?」
「え?」
「だから、初対面の女の話をホイホイ信じてもらえると、本気で思ったのか、って聞いてんだよ」
七尾の表情が厳しくなる。
「…信じてないの?」
「こんなこと、愛理に言われたって信じるかどうかわかんないのに…」
やれやれだ。
「そう…。園宮さんのこと、好きなんだ?」
七尾の声が低くなった。
その話、昨日もしたのに。
「好きとかじゃ…。幼馴染みと初対面だったら、幼馴染みを信じるに決まってるだろ」
「私とは…初対面じゃないよ‼」
七尾が思ったより大きな声を張り上げたので、びっくりした。
空気が固まったような感じだった。
しーんとして、学校全体に響いたんじゃないかと思うくらいの、大声だった。
「…七尾はそういうけど、思い出せないよ」
「…思い出してよ…」
「無理だよ」
七尾は泣きそうな震える声だった。下を向いている。
気まずい…。
こんなアブなそうな女に、いつまで付き合ってやらなきゃいけないんだろう。
いきなり現実じゃないとか言い出すような、この狂人に。
予鈴が俺たちの沈黙に響いた。
「…じゃあ、俺、帰るから…」
「待って…」
「…現実とか現実じゃないとか、そういう設定は、ノートにでも書いてれば」
「!…私の言ったことは嘘なんかじゃない!」
最後の言葉には、さすがに七尾も顔を真っ赤にして怒った。
七尾はそのまま俺を通り過ぎて、先に屋上からいなくなってしまった。
…ちょっと言いすぎたかな。