第6話 怖がりで能力不足
スペースバイウェイは、所属する厩舎を見つけることに苦労しながらも、星厩舎に所属しているスクーグ ベンジャミン 咲調教厩務員が救いの手を差し伸べてくれたおかげで、何とか無事にデビューに向けて前進することができた。
健康管理や調教を担当することになった彼女は、馬の世話をしながらこの馬の特徴を一つ一つ掴み取っていった。
しかし、掴んだ特徴は決して前向きなものではなかった。
(この馬、すごく寂しがり屋ね。まるで「誰か来て。」とでも言っているように一頭でポツンと過ごしている感じだし。かといって積極的にコミュニケーションを取ろうとせず、他の馬達が近づいてくると尻込みしてしまうし…。やっぱり母親を失ったショックが大きいのかしらね。)
他にも脚が遅い。根性が感じられない。スタミナがないといった、マイナス要素ばかりが目に付いた。
馬を引き取ったのはいいものの、次第に彼女はレースで勝てるのだろうかという不安を感じるようになった。
2歳新馬戦がもうすぐ始まろうとしている6月のある日、美浦の坂路コースでは、久矢大道騎手騎乗のオーバーアゲインと、村重善郎騎乗のカヤノキ。そしてスクーグ咲騎乗のスペースバイウェイの3頭で併せ馬が行われた。
3頭は横一線に並び、坂を駆け上がるまでのタイムが星駿馬調教師によって計測された。
久矢騎手はスタートから勢いよく飛び出し、そのまま終始全速力でオーバーアゲインを駆け上がらせた。
一方の村重調教助手はスタート直後は抑え、途中からカヤノキにムチを入れて追い上げ体制をとった。
結果、この2頭は並ぶようにしてゴールインした。
星調教師はタイムを見て
「この時点でこのタイムが出れば、まあ悪くはないだろう。オーバーアゲインは仕上がり途上だから、デビューまでもう少し鍛える必要があるが、カヤノキは夏競馬あたりでデビューにこぎつけられそうだ。」
と、評価していた。
しかし、一方のスペースバイウェイはスタートしてすぐに遅れを取っていき、途中からはスタミナ不足を露呈してどんどん離されていった。
結局、2頭から大きく遅れたまま、ふら付くような足取りでゴールインをした。
「咲、何だあれは!あれではレースでタイムオーバーになってしまうぞ!ちゃんと追ったのか!?」
星調教師はスクーグさんを呼び出すと、にらみつけるような表情で問いかけた。
「…はい…。」
彼女は少しうつむきながら、力なく応えるしかなかった。
別の日にはウッドチップコースでヘクターノア(村重君騎乗)、ウェーブマシン(久矢騎手騎乗)、スペースバイウェイ(スクーグさん騎乗)で併せ馬が行われた。
3頭の馬達は向こう正面入り口からスタートして右回りに周回し、正面の直線コースではゴール前を想定してみんな全力で走ることになっていた。
調教はまずスペースバイウェイがスタートし、少し遅れて内にウェーブマシン、外にヘクターノアが並んだ状態でスタートした。
ヘクターノアは前半は抑えるつもりだったが、途中で村重君の意思に反してかかってしまい、勝手に前に出ていってしまった。
(こらこら!抑えろ!)
村重君は手綱を引いて馬をなだめようとした。
しかしヘクターノアはかかったまま、外からスペースバイウェイに並びかけに行ってしまい、コーナー途中で先頭に踊り出てしまった。
(この馬はこの荒っぽい気性を何とかしなければいけないな。)
走りながら彼はそう思わずにはいられなかった。
一方、久矢騎手は前を走っている2頭の様子をじっとうかがいながら、コーナーの途中で手綱を動かした。
気性のいいウェーブマシンはそれに応えてペースを上げていき、直線入り口で2番手のスペースバイウェイに並びかけた。
(よし、いいぞ。このまま抜き去れ!)
久矢騎手はムチを一発ビシッと入れた。
ウェーブマシンは内からスペースバイウェイを追い抜き、さらに1馬身先を走っているヘクターノアも射程圏内に入れた。
2頭に挟まれる形になったスクーグさんは
(さあ、追い抜きなさい!根性を見せるのよ!)
と、心の中で叫びながらムチを入れ、スパートさせた。
しかし、その意図に反してスペースバイウェイは減速してしまい、みるみるうちに2頭との差が開いていった。
「こらっ!」
調教中にもかかわらず、スクーグさんは思わず声を出してしまった。
結局、併せ馬はウェーブマシンが堂々と先頭でゴールし、1馬身半程遅れてヘクターノアが続いた。
一方、スペースバイウェイは最初にスタートしたにも関わらず、結果的にヘクターノアから2秒近くも遅れてゴールインした。
「ちょっと事情を聞いた方がいいな、これは。」
あまりにも惨めな調教タイムに、星調教師は再度スクーグさんを呼び出すことにした。
調教終了後、星調教師とスクーグさんは応接室でスペースバイウェイのことについて話し合った。
「先生、こんな惨めな調教タイムになって、すみませんでした。」
「謝るのはいい。それより、本当にちゃんと追ったのか?」
「はい。これでも真面目に調教しました。でも…。」
「でも、何だ?」
「スペースバイウェイ、能力が明らかに足りないです。それに、他馬を怖がっているせいで、並ばれると一気に交わされてしまいますし、後ろに立ってしまうと自分からあきらめてしまうようなんです。これではデビューにまでこぎつけられるかどうか…。」
「かといって預けられた以上、オーナーに『デビューできませんでした。』なんてことを言うわけにはいかん。それは分かっているな。」
「はい、でも仮にデビューしたとしても、どんな成績になるのか不安なんです。もしかしたら、出走すれば最低人気。走れば最下位。という結果になってしまいそうで…。」
「……。」
星調教師は、スクーグさんの気持ちを聞いて、しばらく考え込んでしまった。
「…先生、すみません。私だって一生懸命なんですけれど、こんな調教結果になってしまって…。」
「まあ、一生懸命やっていることは認める。とにかく君は気持ちを切り替えてくれ。君が不安がっていれば他の馬にも影響が出てしまうからな。」
「…はい、分かりました。」
スクーグさんは申し訳ない気持ちを抱えながらも、そう言ってお辞儀をした。
「じゃあ、下がっていいぞ。君は仕事に専念してくれ。」
「はい。」
スクーグさんは扉を開けると「失礼しました。」と言って、扉をそっと閉め、仕事場に戻っていった。
(どうやら大変な馬を預かってしまったなあ…。常にたくさんの有力馬を預かっている人気厩舎だったら転厩させるか、未出走で引退を勧めるかもしれん。しかしうちはまだまだ馬が少ないし、とにかく馬の数を増やして預託料収入を確保していかなければいけないからなあ…。)
星調教師は腕組みをしながら、応接室で一人考え込んでいた。