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第3話 迷いと決断

 メープルパームが亡くなってから、道脇牧場を経営している4人は、各自の業務をこなしながら懸命にスペースバイウェイを育てるための努力をすることになった。

 彼らはまず近くの牧場に電話をかけ、母乳を分けてもらえないか交渉をした。

 しかし、結局分けてもらえるところは見つからなかった。

 このままではスペースバイウェイが危ないと思った長谷さんは、自らミルクを与える役目を買って出た。

 彼女はすぐに市販の粉ミルクをぬるま湯に溶かしてほ乳びんに入れ、馬房の中に入っていった。

「今から私がお母さんの代わりになってミルクを飲ませてあげるわ。さあ、こっちに来て。」

 しかしスペースバイウェイは嫌がるような仕草を見せながら、後ずさりするばかりだった。

 長谷さんは何度も馬に近づいて飲ませようとしたが、その度に嫌がられてしまった。

「お願いだから飲んで。メープルパームがもうここにいない以上、こうするしかないの。このままではあなたも死んでしまうわ。だからお願い!」

 彼女はスペースバイウェイに蹴られそうになりながらも、あきらめずに奮闘し続けた。

 その間に伸郎は母乳の成分について調べ、何とか母乳に近いミルクを作ろうとしていた。

 そして試作品が出来上がると、その度に長谷さんに手渡し、かたわらで彼女の奮闘ぶりを見つめていた。

(しかしそれから間もなく、アルゴンランプがレースに出走することになったため、彼は出かけなければならなくなった。)

 井王君は繁殖牝馬を引退して余生を送っていたアンダーラインを、スペースバイウェイのところに連れていき、両者を対面させた。

 しかしお互いどうやって接したらいいのか分からず、ただオドオドするばかりだった。

「頼む、アンダーライン。どうか母親代わりになってくれ。母乳は出なくても、あんたはこれまで7頭の仔を育て上げてきただろう。だからこれまでの経験を活かしてメープルパームの代わりにこの馬を育ててくれ。」

 彼はやはりスペースバイウェイに蹴られそうになりながらも、懸命に仲介役を果たそうと努力していた。

 さらに彼は姉のダイヤモンドリングと義兄のアンダースローを対面させ、4頭一緒に過ごす時間を作ったりもしていた。

 ケイ子は馬の出産や診察のためにあちこちを駆け回りながら、牧場に戻る度にスペースバイウェイの健康状態をチェックし、異常がないか確認した。


 彼らは連日懸命に努力を重ねながら、牧場にいる4頭の馬達の面倒を見ていった。

 そんな努力の甲斐もあってか、スペースバイウェイは少しずつ母乳代わりのミルクを飲むようになり、アンダーラインを始めとする他の馬と過ごすことにも慣れていった。

「どうやらスペースバイウェイ、元気に育ってくれそうね。大変だったけれど、何とか努力が報われてよかった。」

「そうだな。親を亡くした悲しみは深いと思うが、そうやらそれを乗り越えてくれたようだし。」

「それに、親代わりの馬と義兄、姉の馬がいてよかった。もし1頭だけになっていたらどうなっていたか…。」

 長谷さん、伸郎、井王君の3人は辺りを駆け回る馬達を見ながら言った。

 彼らはケイ子も含めてみんな寝不足の状態が続き、疲れがたまっていたが、ひとまずスペースバイウェイが生き延びてくれたことを喜んでいた。


 3ヵ月後。1歳馬のアンダースローとダイヤモンドリングの2頭は、馬のセリ市に出されることになった。

 ダイヤモンドリングは1050万円という値段がつき、伸郎もその金額なら悪くはないと判断したため、自分で競り落とすことはせず、落札した人のもとへと巣立っていくのを見届けることになった。

 一方、アンダースローはダイヤモンドリングと比べて血統が地味なせいか、納得のいく値段がつかなかったため、伸郎が自ら競り落とした。

 そしてアルゴンランプに続いて、自らがオーナーとなり、牧場所有の馬として走らせることになった。

 井王君は牧場に戻ってきたアンダースローを運動させながら、その合間にスペースバイウェイに会わせた。

 2頭はその度に仲良く過ごしていた。彼と伸郎はその様子をかたわらからじっと見つめていた。

「鉄二君、あの2頭は本当の兄妹のようだな。」

「そうですね。それを考えると、かえってアンダースローを売らなくて良かったと思えてきます。」

「僕も同感だ。アンダーラインとアンダースローに囲まれて、スペースバイウェイも幸せそうだな。」

「はい。正直、ずっとこんな時が続いてくれたらと思っています。」

「確かにそうだな。でもあと1ヶ月したら、スペースバイウェイはアンダーラインと離れて、競走馬になるための訓練を開始することになるし、同時にアンダースローは育成施設に行くことになるから、事実上は独り立ちすることになるけれどな。」

「それは分かっています。でも今はこうやって幸せな時を送らせてあげたいです。」

 2人は1ヵ月後に迫った別れの時を覚悟しながらも、馬の幸せを願い続けた。

 スペースバイウェイにとっても、この時は今まで生きてきた中で最も幸せな時期だった。

 しかし、馬の健康状態をチェックしているケイ子は、これからに対する不安を感じずにはいられなかった。

(やはり母乳を飲めなかった影響は大きいみたいね。発育が通常の馬と比べて遅いし、体もどちらかと言えば弱い方ね。正直、無事に競走馬になれるかどうか…。仮になれたとしても果たして1勝をあげることができるかどうか…。)

 彼女は心の中ではそう考えながらも、それをみんなの前では言わず、彼らと共にスペースバイウェイを育てることに協力していた。


 1ヵ月後、アンダースローは本格的な調教を受けるために育成施設に移っていった。

 同時にスペースバイウェイは親離れのために、アンダーラインと別の柵に移されることになった。

 まだ幼いスペースバイウェイはその度に『嫌だ!一人ぼっちになりたくない!』と言っているかのように、首を振って嫌がったが、井王君と伸郎は心を鬼にして実行をした。

 だが、周りに誰もいなくなってしまったため、それからスペースバイウェイは引きこもりを起こした子供のように、柵の隅で一頭ポツンと過ごすことが多くなっていった。

 その光景は牧場スタッフ4人にとっても心が痛んだ。

「伸郎さん、ケイ子さん。スペースバイウェイ、この調子で本当に競走馬になれるんでしょうか?」

「そうですね。何か『お願い、誰か来て…。』とでも言っているように、かなり寂しがっているようですし…。」

「いっそ、未出走で繁殖牝馬にあげた方がいいのではないでしょうか?」

「確かにその方がいいかもしれません。父はダンスインザダークですから血統的に悪くはないはずですし。」

 長谷さんと井王君の2人は度々伸郎とケイ子に相談を持ちかけた。

「僕も繁殖牝馬を考えたことはある。だが、仔馬が産まれても、未出走の牝馬の仔が果たしてセリで売れるかどうか…。」

「私はそれ以前に、仔を産めるかどうかの方が心配です。正直、体の弱いあの馬が出産に耐えられるかどうか…。下手すれば親も仔も、両方死んでしまう可能性が高いですし、たとえ出産に耐えたとしてもメープルパームと同じようになってしまうような気がするんです。」

 ケイ子はこれまで口に出すことのなかったことをみんなの前でついに打ち明けた。

「えっ?本当かそれは?」

「マジで?」

「そんな…。」

 思いもよらないことを聞かされ、伸郎、井王君、長谷さんは驚いてケイ子の方を見た。

「はい。とにかく鍛えて丈夫な体を作らないと、あの馬はとても繁殖牝馬にはなれないと思います。」

「……。」

 今まで手塩にかけて育ててきたにも関わらずこのようなことを言われ、3人は言葉を失った。

 結局競走馬にするにしても、繁殖牝馬にするにしても、待っているのはイバラの道だった。

 では、一体どうすればいいのだろう?

 彼らは途方に暮れたような気持ちだった。

 幸い、ダイヤモンドリングの落札金が手に入り、多少なりとも資金的な余裕ができたため、戦力外にだけはしなくて済んだ。

 しかし、競走馬には果たしてなれるのだろうか?

 なれたとしても、預託料ばかりを支払って、赤字を生み出すだけの結果になるかもしれない。

 4人は色々と話し合いを重ねた。だが、なかなか意見はまとまらなかった。

 結局ケイ子、井王君、長谷さんの3人は、最終的な決定権を持っている伸郎の判断にゆだねることにした。

 伸郎はその後、スペースバイウェイをどうするのかについて考え続けた。

 そして1週間後、ついに結論を出した。

「みんな、スペースバイウェイの件だが…。競走馬として走らせようと思う。正直、未勝利で引退になる可能性は高いし、そうなったら資金を浪費するだけになるが、それでも鍛えれば繁殖牝馬としての道は開かれるかもしれない。だから、走らせてみたい。」

 それを聞いた3人は反対することもなく、コクッとうなずいた。

「分かりました。では、僕はこれからこの馬を鍛えて強くしていくことにします。」

「私は、少しでも健康な体になれるように、栄養面で支えていこうと思います。」

「私は定期的に健康診断をし、異常がないかチェックしていきます。」

 井王君、長谷さん、ケイ子はスペースバイウェイを競走馬にしていくことに賛同し、迷いを振り切った。

「みんな、大変かもしれないが、気がついたことがあったら何でも報告してくれ。そして何としても競走馬としてデビューさせ、1勝をあげさせよう。」

 伸郎は言葉に力を込めてそう言った。

「はいっ!」

 3人も力を込めて応えた。

 この日から、スペースバイウェイの競走馬としてのイバラの道が始まった。


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