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第38話 キャプテンありがとう

 この章は、スペースバイウェイの一人称で物語が進行します。

 三春駒特別を勝った後、私は右前脚に違和感を覚えた。

 調教できない程の痛みではなかったが、私としては嫌な自覚症状だった。

 星駿馬先生の見解ではハ行ということで、私は道脇牧場に放牧に出されることになった。

 牧場ではアンダーラインおばーちゃんとダイヤモンドリングおねーちゃんが温かく迎えてくれた。

 おねーちゃんは、今春産まれた牝馬「クリスタルリング」をかわいがりながら、幸せそうな表情で仔の成長を見守っていた。

(私もいずれはこうなるのかな?いつか産まれてくるであろう、自分の仔を見守りながら、それを幸せに思ったりするのかな?)

 私は母親と共に駆け回るクリスタルリングを見ながら、そう思い続けていた。

 かつて牧場にいたワイルドウィンドはすでに美浦の堂森厩舎に所属しており、アンダースローさんの指導を受けながらデビューへの道を駆け上がっていた。

 しかし、かつてワイルドウィンドのコーチをしていたアルゴランプさんは、今春、牧場で走っている時に柵に衝突し、脚を骨折してしまった。

 すぐに施設に移動して手術は受けたものの、その脚が治る前に別の脚が自分の体重に耐え切れなくなってしまった。

 そして伸郎さんの見守る前でケイ子さんの手により、静かに星空の中の世界へと旅立っていったそうだ。

 牧場にはたてがみだけが戻ってきて、メープルパームおかーさんのお墓の近くにアルゴンランプさんのお墓が作られていた。

 哀れな最期ではあったけれど、資金が厳しい中でも伸郎さんのご好意により処分を免れ、ワイルドウィンドのコーチという役目を果たすことができただけに、おばーちゃんやおねーちゃんは

『きっと幸せな人生だったと思うわよ。』

『今頃はメープルパームと楽しく過ごしているわ。』

 と悲しみをこらえながら、笑顔で言っていた。


 9月。牧場にはアンダースローさんが中山競馬場で行われた京成杯オータムハンデ(GⅢ、中山、芝1600m)を勝利し、重賞3勝目を飾ったという知らせが入った。

「バイウェイ!これで牧場の経営はさらに楽になるぞなるぞ!」

「これで井王君と長谷さんにボーナスを支払うこともできるわね。」

 伸郎さんとケイ子さんは帰ってくるなり、満面の笑みで私にそう言ってくれた。

 一方の珪太君と井王君、長谷さんは帰ってくると表彰式での記念撮影の写真をすぐにパソコンから印刷し、部屋の壁にたくさん飾ったそうだ。

 部屋には新潟記念、新潟大賞典、そして京成杯AHのトロフィーだけでなく、3レースの記念写真が並べられ、まさにアンダースローさんは牧場の救世主としてたたえられる存在になっていた。

 私はそんな偉大な義兄に少しでも近づきたいと思いながら、放牧期間を終えて、牧場を後にしていった。


 美浦に戻ってきた私は、カヤやノア君、ファイア達と一緒に併せ馬をしながら、少しずつ体を鍛えることになった。

(※アゲイン君は障害の調教をしているため、一緒に走っていません。)

「まずは脚の具合を見ながら走らせ、不安がないようなら少しずつ走る距離を伸ばして仕上げていこうと思います。」

 長伸君はそう言いながら私の調教に付き合った。

 しかしある日、調教を終えたカヤが私を呼び止めると

『ねえバイウェイ。まだ右前脚に不安を抱えているの?』

 と言ってきた。

『えっ?まあ、ちょっとした違和感ならあるわ。でも大したことではないけれどね。』

『ということは、自覚症状はあるわけね。』

『そうだけれど、走ることはできるから、心配しないで。キャプテンである私がこんな程度で休むわけにはいかないし、走りながら治していくわ。』

『ダメよ、そこで無理をしたら。私の二の舞になるかもしれないわ。』

『えっ?二の舞って?』

『あっ、いけないっ!』

 カヤはそう言うと、思わずはっとしながら黙り込んだ。

『ねえ、どういうことよ。話してくれない?』

『……。』

『黙ってちゃ分からないわよ。私はキャプテンなんだから、みんなのことをしっかり把握しておきたいの。だから隠してないで話してよ。』

『…まあ、バイウェイになら打ち明けてもいいかもしれないわね…。私としては、思い出したくもないことだけれど…。』

 カヤは迷いながらそう言うと、恐る恐る2年前の9月にあった出来事を話してくれた。


 私が勝たないと引退となる未勝利戦を控えていた時、1000万クラスのレースを控えていたカヤは、私と一緒に追い切りを行うことになった。

 その時、彼女は1週前から左後脚に何か違和感を覚えていた。

 自覚症状があって気にはなるものの、特に痛いというわけでもないし、別に走れないわけでもないので、彼女は追い切りをしてレースに出る気になっていた。

 そしてその症状のことは他の馬達や厩舎の人達にはひた隠しにしていた。

 しかしサキおねーちゃんだけはそれに薄々気付いていた。

 そのためあの日、調教で乗る予定だったヒロミチおにーちゃんを引き止め、身軽な自分が乗ることを申し出た。

 そして……。


『…そういうわけなのよ。もしもあの時、私が脚に違和感があることを正直に打ち明けて、検査を受けていれば咲お姉ちゃんはあんなことにならなくて済んだのにって、今でも思うの…。』

 カヤは震える声で、今まで封印していた過去を話してくれた。

『そうだったの…。』

『だから無理だけはしないで、検査を受けてほしいの。』

 話しながらカヤの目には涙があふれ出した。思い出すのも嫌な、ずっと忘れていたいことを思い出したのだから、無理もないでしょう。

『分かった。先生に打ち明けてみるわ。』

 私は内心では大したことないと思いながらも、彼女に説得される形で検査を受けてみることにした。


 数日後、私は検査の結果をカヤ、アゲイン君、ノア君達に報告した。

『バイウェイ、右前脚の骨が弱ってきているって、本当なのか?』

『うそだろ?だって調教のメニューもちゃんとこなしているしさあ。』

 アゲイン君、ノア君は信じられないという表情で問いかけてきた。

『本当なの。私も最初は信じられなかったけれど、元々体の弱かった私が他の馬達よりもたくさん調教を重ねてきたものだから、これ以上走ると骨が耐え切れなくなって、疲労骨折をするかもって言われたわ。』

『やっぱり私の考えは間違っていなかったみたいね。バイウェイに私の体験談を話しておいて良かったわ。』

 みんなが動揺する中、カヤだけは冷静にそう言ってきた。

『カヤ、教えてくれてありがとう。もしあのまま走っていたら、私は調教で骨折して大変なことになっていたかもしれないわ。あんたは私の恩人よ。本当にありがとう。』

 私は深くお辞儀をしながら彼女に感謝をした。

『私としては自分の二の舞だけは絶対に嫌だったから。だから念のために言っておいたの。私の大ケガも無駄ではなかったみたいね。良かったわ、勇気を出して忠告しておいて。』

 カヤは複雑な表情をしながらも、私のケガを回避できたことにほっとしていた。

 私はそんな彼女にひたすら感謝をし続けた。

 ノア君やアゲイン君達も、そんな私達を見て、自分も気をつけようという教訓にしてくれたようだった。


 その後、オーナーの道脇伸郎さんは星先生と私の今後について話し合いを重ねた。

 道脇さんは考えた末に

「思えば体の弱かったスペースバイウェイが5回もレースを勝ち、6350万円もの賞金を稼ぐなんて、夢にも思っていませんでした。先生方を始めとする関係者の人達には本当に感謝していますし、バイウェイもよく頑張ってくれました。ここが引き際になっても悔いはないです。」

 と言い、引退させる意向を示した。

 結局、私は1600万クラスのレースには出走することなく、この住み慣れた美浦を離れていくことになった。

『キャプテン、こんな形で別れなければならないなんて嫌です!』

『もっと僕達に色んなことを教えてほしかったです。』

『せめて来年の春まで現役でいてほしかったのに…。』

 ナイトオブファイア、ソーラーエクリプス、トランクキャップを始めとする後輩達は、すごく残念そうな表情で私に話しかけてきた。

 その気持ちはアゲイン君、ノア君、カヤも同じだった。

『みんなそう言ってくれてありがとう。私もまだ走りたい気持ちはあるし、正直ここを離れるのは辛いわ。でもみんなと過ごした日々は決して忘れない。本当にありがとう。これからはみんなでこの厩舎を切り盛りしていってね。』

 私は寂しい気持ちをぐっとこらえながら、みんなの前で言った。


 美浦を離れ、故郷の道脇牧場へと出発する当日、みんなは総出で私を見送りに来てくれた。

『バイウェイ。君の頑張りは絶対に忘れないよ。正直、僕はエプソムC以来1年4ヶ月勝利がなくて悔しいけれど、きっともう一花咲かせてみせる。』

『僕は優しさばかりで厳しいことが言えずにいたけれど、君の態度を参考にしてみんなを引っ張っていくよ。そして障害の重賞を勝って君にいい報告を届けるよ。』

『私は4勝目を目指しながら、他の馬達の健康管理に目を光らせていくわ。そしてみんなが故障をすることなく、競走馬生活を全うできるように努めるからね。』

 ノア君、アゲイン君、カヤは別れを惜しみながらこれからの意気込みを私に話してくれた。

 その気持ちは後輩の馬達も同じだった。

『みんな頑張ってね。離れ離れになっても心はいつも一緒よ。生まれ故郷の牧場で、いい知らせを待っているわね。』

 私はそう言い残した後、ヒロミチおにーちゃんに連れられて馬運車へと乗り込んでいった。

『キャプテン!今までありがとうございましたーーっ!!』

 後輩達のその声を聞きながら、私は厩舎を後にしていった。

 こうして私の現役生活は、静かに幕を下ろしていった。



 スペースバイウェイ号 全成績


2歳

9月 新馬      中山芝1800m 11着 久矢騎手(13頭立て13番人気)


10月 未勝利    東京ダ1300m 13着 道脇騎手(13頭立て12番人気)


12月 未勝利    中山ダ1800m 9着 坂江騎手(9頭立て9番人気)


3歳

3月 未勝利    中山芝1600m 3着 坂江騎手(10頭立て10番人気)


4月 未勝利    中山ダ1200m 5着 坂江騎手(9頭立て9番人気)


5月 未勝利    東京ダ1600m 7着 道脇騎手(10頭立て8番人気)


6月 未勝利    東京ダ1600m 8着 久矢騎手(12頭立て2番人気)


8月 未勝利    新潟芝1000m 7着 久矢騎手(13頭立て2番人気)


9月 未勝利    中山ダ1800m 1着 久矢騎手(11頭立て2番人気)


4歳

1月 500万下   中山ダ1200m 6着 久矢騎手(14頭立て9番人気)


2月 500万下   東京ダ1600m 3着 久矢騎手(8頭立て2番人気)


3月 岡崎特別   中京芝1200m 1着 久矢騎手(10頭立て1番人気)


6月 鎌倉特別   東京ダ1400m 4着 久矢騎手(15頭立て10番人気)


7月 勿来特別   福島芝1800m 1着 久矢騎手(14頭立て1番人気)


8月 佐渡特別   新潟芝2200m 10着 逗子騎手(14頭立て10番人気)


10月 1000万下(牝)東京ダ1600m 10着 久矢騎手(12頭立て6番人気)


5歳

1月 1000万下(牝)中山ダ1200m 3着 久矢騎手(10頭立て6番人気)


2月 1000万下(牝)東京ダ1300m 7着 久矢騎手(10頭立て8番人気)


3月 潮来特別   中山芝2500m 1着 久矢騎手(10頭立て4番人気)


6月 1000万下  東京芝2400m 16着 久矢騎手(16頭立て8番人気)


7月 三春駒特別  福島芝1800m 1着 久矢騎手(15頭立て7番人気)


21戦5勝 2着0回 3着3回

本賞金:2400万円

総賞金:6350万円

 名前の由来コーナー その23


・クリスタルリング(Crystal Ring)(メス)… 母の名前ダイヤモンドリングにちなんで「リング」を名前に入れようとした結果、「クリスタルキング」と引っ掛けてこの名前にしました。


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