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第31話 決断の時

 世間が有馬記念に関する話題で盛り上がっている頃、道脇長伸騎手は美浦を離れ、両親が経営している道脇牧場に戻ってきた。

 彼は雪が降る中、最初の仔を受胎しているダイヤモンドリングや、アルゴンランプ。そしてアンダーラインを見て回った。

 次に井王君や長谷さん、さらには獣医師兼従業員と新たに加わった兄の道脇 珪太けいたにも会って簡単に会話を交わした。

 会話が終わると彼は家に入っていき、伸郎とケイ子に会った。

「父さん、母さん。ただいま。」

「お帰り。こうやって家で会うのは本当に久しぶりだな。」

「そうね。それにしても、かなり疲れきった顔をしているわね。」

 2人は、心配そうに長伸の顔を見た。

「うん…。ちょっと大事な話があって…。」

「大事な話か?」

「話してちょうだい。」

 両親にそう言われて、長伸はうつむきながら、心の内を話すことにした。

「実は…、結論から言うと、もう騎手をやめようと思うんだ…。」

「……。」

「……。」

 伸郎とケイ子は動揺することもなく次男の話を聞いていた。

 彼は今年、成績が振るわなかったために騎乗依頼がみるみる減っていき、夏以降は騎乗依頼のないまま、厩舎で週末を過ごすことが増えていった。

 たとえ騎乗依頼が来たとしても、自身の所属している厩舎の人気薄の馬に1日1回騎乗する程度で、とても勝利を期待できるような状況ではなかった。

 この週も結局土日共に騎乗依頼はなく、今年は障害も含めて1勝も挙げられないまま終わることが決まってしまった。

 彼の通算勝利数は平地で5勝、障害で1勝のままで、しかも2ヵ月後の来年2月いっぱいで平場(新馬戦、未勝利戦、500万下、1000万下という名のレースの総称。)のレースにおける3kgの減量特典がなくなってしまうため、そうなればますます立場が厳しくなってしまう。

 さらに悪いことに、所属していた厩舎からはフリーになることを勧められてしまった。

 これは、事実上のクビを宣告されたようなものだった。

「そういうわけなんだ…。はっきり言って、もう騎手を続けても、いいことなんて全くないような気がして…。」

 長伸は悔しい気持ちを懸命にこらえながら両親に決断を打ち明けた。

「まあ、確かにここが潮時かもしれんな。」

「勝負の世界だし、仕方ないわね。」

 彼らは次男の状況をよく把握していただけに、素直に意見を受け入れた。

 しかし牧場では珪太が加わったことで、人数はすでに足りていた。

 そのため、現時点ではここで彼を採用することはできない状態だった。

 一方の長伸も、親や兄に迷惑をかけたくないという気持ちがあった。

「とにかく、今はこれからどうすればいいのか分からないけれど、しばらくの間ここで休ませてほしいんだ。」

「まあ、それは構わんがな。」

「ありがとう…。父さん…。」

 長伸は父親に向かって深々と頭を下げた。


 その週の日曜日、井王君、長谷さん、そして珪太の3人は馬券の買える施設まで赴き、有馬記念について色々予想をした。

「ねえねえ、長谷さんとケイ君(珪太のニックネーム)はどの馬からいく?」

「私は少し人気薄だけれど牝馬アメリカーノの単勝でいくわ。あと、滑り止めとしてこの馬の複勝も。馬連も考えたけれど、やっぱりこれだけにする。」

「僕は1番人気のブラッケンドと2番人気のヘヴンアバーヴを軸に、もう1頭を加えて3連複でいこうと思う。井王君は?」

「僕は一獲千金を狙って穴狙いでいく。だからブラッケンドとヘヴンアバーヴは外した。アメリカーノも少しは考えたけれど、やめる。」

 3人は各自のやり方で馬券を買った。

 それから30分後、ファンファーレが鳴って馬がゲートに入り、いよいよ有馬記念がスタートした。

 レースは最後の直線で懸命に粘るヘヴンアバーヴをブラッケンドとアメリカーノが並んだまま交わしていった。

 ゴール前では2頭によるマッチレースとなったが、アタマ差でアメリカーノがブラッケンドに競り勝ち、見事に有馬記念を制した。

 ヘヴンアバーヴは見せ場は作ったものの、最後に失速して馬券圏外となる5着に沈んでしまった。

「きゃーー!!牝馬が勝ったわ!!単勝と複勝のダブル的中よ!珍しーーーっ!!期待はしていたけれどまさか本当に牝馬が来るなんて!!」

「ブラッケンドはいいけれどヘヴンアバーヴが撃沈したら、他のどの馬が来てもだめだよなあ。やっぱりヘヴンに2500mはきついのかなあ…。」

「僕は全部大はずれ。人気のブラッケンドが来た時点でもうおしまいだよ。まあ、アメリカーノを買っていれば滑り止めにはなったけれど…。」

 長谷さんは賭けた2000円が12880円になって戻ってきたが、珪太、井王君は結局損をしてしまった。

 でも彼らは楽しい時間を過ごせた喜びを一緒に分かち合っていた。


 一方、長伸は競馬のことを考えたくないという思いから、ダイヤモンドリング、アルゴンランプ、アンダーラインの世話にも参加せず、テレビもつけないまま部屋で過ごしていた。

 3頭の世話をしている伸郎とケイ子も、そんな彼に対して下手に声をかけるようなことはせず、そっとしていた。

 有馬記念も終わり、辺りが薄暗くなってきた頃、ふと家のコードレスホンが「ピリリリッ!」と鳴った。

 辺りがシーンとしていたせいで、少し離れた部屋にいた彼にも、その音ははっきりと聞こえた。

「何だろう?」

 ボーっとしながらベッドに横たわっていた彼は、ゆっくりと上体を起こし、部屋を出て電話へと向かっていった。

 受話器を取るまでの間、電話のベルは12~3回鳴り響いた。

「お待たせしました。道脇牧場です。」

 長伸は相手を待たせてしまったことを気遣いながら言った。

『もしもし。美浦の星厩舎の調教師、星駿馬と申します。』

「お世話になります。」

『こちらこそ。さて、そちらに道脇長伸騎手はいらっしゃいますでしょうか?』

「あの、僕が長伸ですけれど。」

『そうでしたか?では、早速本題に入りたいのですが、今お時間はよろしいでしょうか?』

「はい。大丈夫ですけれど、ご用件は何でしょうか?」

『実はですねえ…。』

 星調教師は長伸に今後のことを踏まえながら、色々なことを話した。

 その内容とは…。


 名前の由来コーナー その21


・珪太… 「珪」は「ケイ子」の名前の由来にもなっているケイ素(漢字では「珪素」)に由来しています。そこからどういう漢字を組み合わせたら名前としてふさわしいか考えた結果、この名前になりました。


・アメリカーノ(Americano)(メス)… Lady GaGaの歌う「Americano」という曲から取りました。東日本大震災が起きた時、世界に風評が飛び交う中で日本の安全性を訴えた彼女のことを思い出し、それに敬意を表す意味で、勝ち馬の名前をLady GaGaの歌から選ぶことにした結果、これにしました。

(Americanoは僕の好きな映画の主題歌になっています。)


・ブラッケンド(Blackened)(オス)… Metallicaの歌う「Blackened」という曲から取りました。歌い出しの歌詞が「バケツリレ~!水よこせえ~!」と聞こえる歌として知られています。


・ヘヴンアバーヴ(Heaven Above)(オス)… Future Breezeの歌う「Heaven Above」という曲から取りました。マツダスタジアム広島やQVCマリンフィールド(千葉マリンスタジアム)に野球を見にいった時、試合開始前にこの曲がインストゥメンタルで流れていました。


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