第28話 後輩達の運命
8月。スペースバイウェイはオーバーアゲイン、ナイトオブファイア、メロディーオブラヴと一緒に新潟競馬場へと向かった。
出走するレースは、前者の2頭が佐渡特別(1000万下、芝2200m。一緒に出走)、後者の2頭が未勝利(それぞれ芝2200m、芝1200m)だった。
先陣を切って2歳未勝利戦に出走したメロディーオブラヴは、人気こそ14頭立ての4番人気と悪くはなかった。
しかし8枠13番だったことに加え、3~4コーナーをうまく曲がれずに、外に大きく振られてしまい、他馬と接触してしまった
結果は人気を下回る7着に終わった。
「先生、すみませんでした!」
今年になってまだ1勝もしていない、鞍上の道脇騎手は、勝てない悔しさを懸命にこらえながら星調教師に頭を下げた。
「今回は馬の若さが悪い方向に出てしまったようだな。」
星調教師は何か言いたい気持ちを抑えながら、遠まわしに敗因を述べた。
「いえ。僕の腕前です!」
「まあ、自分を責めるのはいい。勝ったらここに滞在して新潟2歳Sに出すつもりだったが、中山の秋競馬で出直しだ。」
星調教師はレース後、道脇騎手にそう言い残してナイトオブファイアのところに向かっていった。
次に出走したのは、ナイトオブファイアだった。
この馬はこれまで目立った長所がなかったせいで勝ちきれず、今年の春までもどかしい状況が続いていた。
しかしオーバーアゲインと同じく、スタミナを徹底的に伸ばす調教をしてからは3着、2着となり、陣営は今回こそは絶対に勝つつもりでいた。
11頭立ての3枠3番に入ったナイトオブファイア鞍上の久矢君は、スタートすると先行策に打って出た。
そして長い正面スタンド前の直線を利用して徐々に前に出て行き、1コーナーでは2番手にまで上がった。
そのまま2番手を追走して向こう正面を回り、内回りの直線までやってくると、最内を走ったまま一気に先頭に立った。
そして最後まで逃げ粘り、見事に1着でゴールインした。
「先生、やりました!キャップに続いてファイアも3歳未勝利を勝ち抜けました!」
関係者エリアに戻ってきた久矢君は、星調教師に向かって誇らしげに勝利の報告をした。
「よくやってくれた。他馬からマークされるきつい展開だったと思うが、お見事だった!」
「はいっ!この調子で、後のレースも勝ちにいきます。」
「頼んだぞ。」
「はいっ!」
2人は満面の笑顔を浮かべながら、しっかりと握手をした。
その日の午後、オーバーアゲインは久矢君と共に、スペースバイウェイは栗東所属の逗子一弥騎手と共に、佐渡特別に出走した。
レースはオーバーアゲインが先行策を取り、スペースバイウェイが差しに打って出た。
しかし、2頭とも最後の直線では手応えが怪しくなってしまい、先頭争いをしているトランクハテンコウとレコードブレーカーを尻目に、順位をどんどん落としていってしまった。
『トランクハテンコウか!?レコードブレーカーか!?』
『2頭並んでいる!並んだままゴールイーーン!!』
ゴールシーンの解説から1秒半程遅れて、スペースバイウェイは14頭立ての10番目に、オーバーアゲインは12番目にゴール板を通過した。
レースはレコードブレーカーがハナ差でトランクハテンコウに競り勝った。
3着までの差は5馬身も離れてしまったため、結果的に関西から遠征してきたこの2頭の強さばかりが目立つレースとなってしまった。
「うーーん…。1000万クラスの壁というやつかなあ…。このクラスには降級したばかりの3勝馬もいるし、3歳の2勝馬もいるからライバルがたくさんいる。何とかしてその壁を打ち破ってほしいものだが…。」
星調教師は厳しい表情で腕組みをしながら、こちらに戻ってくる2頭の馬を見つめていた。
翌月。ナイトオブファイアは未勝利を勝った勢いに乗って、中山競馬場の開幕週に行われた3歳以上500万下も勝ちあがり、2連勝を飾った。
しかしまだ未勝利のソーラーエクリプスは、同じ週に行われた未勝利戦で10着に敗れてしまい、同じく未勝利のトランクレッツゴーは体調を崩したためにレースを回避せざるを得なくなってしまった。
この2頭に残されたチャンスはあと1回。スプリンターズSの週に開催される、最後の未勝利戦だけだ。
2頭は自分を見失いそうな程の恐ろしいプレッシャーに連日襲われた。
そして何度もスペースバイウェイに会っては
『キャプテン、助けてください!』
『何かいいアイデアを教えてください!』
『このまま引退したくないです!』
『廃用になるのだけは絶対に嫌です!』
と、すがるように詰め寄った。
自身も去年、恐ろしいプレッシャーと闘ってきただけに、彼らの気持ちは十分に理解できた。
『とにかく落ち着きなさい。あんた達は十分に強くなっているわ。』
『あんた達がこれまでやってきたことは、去年、私がおねーちゃんに教わりながらやってきたことよ。私だって勝てたんだから、あんた達も勝てるはずよ!』
『下を向いてはダメ。Chin Upよ。最後まで上を向いて、胸を張りなさい!』
スペースバイウェイはキャプテンらしく、冷静にアドバイスを重ねていった。
もちろん、ヘクターノアとオーバーアゲインも2頭にできる限りの協力をし、スペースバイウェイを支えた。
そして運命の日。ソーラーエクリプスは、去年スペースバイウェイが出走して初勝利を挙げた、3歳未勝利戦(中山、ダート1800m、天候は雨で、馬場状態は重)に出走した。
なお、鞍上は前走までは久矢君だったものの、馬主の意向で思い切ってテン乗りの坂江騎手となった。
10頭立ての2枠2番に入ったソーラーエクリプスは、単勝3.0倍の1番人気に支持された。
しかし馬が極度の緊張のためにスタートでやや出遅れてしまい、後方からの競馬になってしまった。
(まあ、出遅れたことは仕方ない。このまま内に付けて、最短距離で走り切る作戦で行こう。)
坂江騎手は全くあせることもなく、馬にそう言い聞かせながら冷静にレースを進めた。
一方のソーラーエクリプスは、出遅れた瞬間は『やってしまった!もうだめだ…。』という気持ちになってしまったが、騎手の手さばきのおかげで徐々に冷静さを取り戻した。
そして前の馬が蹴ったドロをかぶらないように、うまく位置を調整しながら徐々に順位を上げていった。
(よし、その調子だ。この馬は未勝利で終わるような馬ではない。実力さえ出し切ればきっと勝てる。)
坂江騎手は展開を見ながら、どのタイミングでスパートすればベストかを考えた。
そして4コーナー手前で前の馬が外に少しずつ振られていき、内ラチ沿いに隙間ができた時を見計らって、いよいよスパートを開始した。
ソーラーエクリプスは内を走ったままぐんぐん順位を上げていき、直線の坂の途中でついに先頭に立った。
(よし。あとはゴールまで全力で走りきるだけだ。この馬の未来は開けたぞ。)
坂江騎手は勝利を確信し、自信を持って馬を追った。
ソーラーエクリプスは他馬に先頭を明け渡すことなく、半馬身差をつけてそのままゴールインした。
「よおーし!エクリプスが勝ち抜けたぞ!!」
星調教師はスタンドでガッツポーズをし、飛び上がりながら喜んだ。
一方の坂江騎手はゴールインした後も、ガッツポーズ一つしないまま冷静に馬をクールダウンさせていた。
その光景は、去年の同レースを勝った後、クールダウンをすっかり忘れて右手を高々と挙げ、顔をくしゃくしゃにしながら「サキ!勝ったぞっ!!」と叫んでいた久矢君とは全く対照的なものだった。
翌日、スプリンターズS当日。トランクレッツゴーは中山競馬場で3歳未勝利戦(芝1200m)に出走した。
当初、騎乗する騎手は久矢君の予定になっていた。
しかし直前になってレッツゴーの馬主が
「今回ばかりは最高の成績をおさめている騎手に乗ってほしい。」
という理由でここでも彼を降ろし、この後スプリンターズSでの騎乗を控えている網走騎手に依頼した。
16頭立ての3枠6番に入ったトランクレッツゴーは、単勝138.0倍の最低人気だった。
その倍率は、プレッシャーとなって馬主や星調教師の心にグサリと突き刺さった。
レースでまずまずのスタートを切ることができた網走騎手は、他馬の出方を伺いながら先行するか、控えるかを考えた。
すると、馬の方がはやる気持ちを抑えきれなくなったのか、勝手に前へと出ていってしまった。
(こらこら!落ち着け!)
網走騎手はとっさに手綱を引いた。
しかしどうしても勝たなければならないプレッシャーで我を忘れたトランクレッツゴーは、スペースバイウェイから言われていたことも忘れて、自分から混乱状態になってしまった。
(くっ…。馬がこれではどうしようもない。こちらとしては他力本願で奇跡を願うしかないな…。)
網走騎手は思わぬ形で先頭に立ってしまい、なす術がなくなってしまった。
案の定、トランクレッツゴーは4コーナーで手応えがどんどん怪しくなっていった。
そして最後の直線にやってくるとあっさりと先頭を明け渡してしまい、この時点で現役続行の道は事実上閉ざされてしまった。
後は網走騎手もどうすることもできないままズルズルと後退していき、シンガリの16着でゴールした。
「ちくしょう!レッツゴー!お前なんかクビだ!繁殖にはあげんぞ!」
愛馬の無様な敗北にキレた馬主は、周りに人が大勢いるにも関わらず、大声で叫んだ。
そして星調教師に当り散らした後、足早にその場を立ち去っていった。
一方の星調教師は、この後九十九里特別(1000万下、芝2500m)に出走するオーバーアゲインのところに、網走騎手は次のレースに備えて、馬主の元を立ち去っていってしまった。
(オーバーアゲインはハナ差でトランクハテンコウの2着に敗れ、またも関西馬に引導を渡されてしまった。)
未勝利のまま引退が決定したトランクレッツゴーは、2度と美浦に戻ることはなかった。
スペースバイウェイとは、レース当日の早朝に交わした言葉が、結局最後の会話になった。
その知らせをオーバーアゲインから聞いたスペースバイウェイは、ソーラーエクリプスが自身と同様に引退ギリギリで勝ち抜けたことを喜びながらも、もう1頭を救えなかった無念さを抱えていた。
そして悔しい気持ちをぐっとこらえながら、ソーラーエクリプスに
『レッツゴーの分まで頑張りなさい。彼女はきっとどこかであんたを見守っているわ。』
と、アドバイスをした。
『分かりました。頑張ります!』
ソーラーエクリプスは大切な仲間を失った悔しさを抱えながら、精一杯の返事をした。
4歳9月の時点におけるスペースバイウェイの成績
15戦3勝
本賞金:1200万円
総賞金:3190万円
クラス:1000万下
名前の由来コーナー その19
・トランクハテンコウ(Trunk Hatenko)(オス)… 「トランク」は冠名、「ハテンコウ」は「今まで誰も成しえなかったことに挑む」という意味の故事成語「破天荒」から取りました。それまでこの言葉を「豪快な、すさんだ」という意味で使っていましたが、テレビのクイズ番組で取り上げられたのを機に、正しい意味を見につけることができ、それを忘れないようにという思いから馬名に使いました。
・レコードブレーカー(Record Breaker)(オス)… 意味は「記録を破るもの」です。トランク牧場で「破天荒」を馬名に使ったを受け、キノ牧場でも何かそういう意味合いのある名前を付けたいと思い、この名前にしました。




