第26話 長袖の理由
この章は、スペースバイウェイの一人称で物語が進行します。
また、人間と馬が会話をする設定になっています。
私が放牧を終えて美浦に戻ってくると、厩舎にはすでに3頭の2歳馬が入厩していた。
各馬の名前は次の通りだった。
ロマリア(メス)、メロディーオブラヴ(メス)、トランクインパクト(オス)。
これと言って目立った長所のあるような馬達ではなかったけれど、これから私達が責任をもって面倒を見ていかなければ思った。
約1ヶ月後のゴールデンウィーク。この週は春なのにやけに暑い日が続いた。
このせいで私はなかなか調子が上がらず、予定していたレースを回避することになってしまった。
せっかく厩舎の人達が仕上げようとしてくれたのに、申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。
NHKマイルC(GⅠ)が行われる当日。私が飼い葉を食べ終えてのんびりとしていると、そこにサキおねーちゃんが嬉しそうな表情をしながら、私のところにやってきた。
「ねえねえ、スペースバイウェイ!いいニュースが飛び込んできたわよ!」
『何?おねーちゃん。』
「あのね、今競馬中継を見て、アンダースローが新潟大賞典(GⅢ、芝2000m)を勝ったわよ!」
『えっ?本当?』
「うん。外枠から馬場のいいところを走り続けると最後の直線で好位から抜け出して、トランクアース、ミラクルロッジ、ワンダフルワールドを振り切ってくれたわ!これで重賞2勝目よ!」
『すご~い!また伸郎さん達は大金を手にすることができるわね!』
「ええ、そうよ。今頃伸郎さん達4人は、新潟で大喜びしているわ。良かったわね!それに聞いた話では、ダイヤモンドリングが無事に仔を受胎したそうだし、ワイルドウィンドもアルゴンランプの指導を受けながら順調に成長しているそうよ。牧場では本当にいいニュースが続いているようね!」
おねーちゃんは自分のことのように喜びながら、アンダースローさんの快挙を祝福してくれた。
もちろん、私もそれは嬉しかった。
しかし、これでアンダースローさんの総賞金が2億円近くになったのに対し、私はその10分の1の1900万円。
私は喜びながらも、心の中では悔しさも抱えていた。
(その後、おねーちゃんはそのレースに出走していたヒロミチおにーちゃん騎乗のノア君が8着に敗れたことも教えてくれた。)
しばらくして、気持ちが落ち着いたおねーちゃんは、かたわらに座りながらハンカチを取り出し、「暑いわね~。」と言いながら、顔を拭いた。
彼女は次に、長袖の服の右腕だけをまくり、左手で右腕を拭いた。
しかし左腕はまくろうとはせずにそのままだった。
(何でかしら?それに今日は暑いのに…。)
不思議に思った私は、思い切って聞いてみることにした。
『おねーちゃん、暑いのにどうして長袖なの?』
「えっ?」
おねーちゃんは驚いたようにこっちを向くと、しばらくそのまま黙り込んでしまった。
『どうしたの?』
「…まあ…、バイウェイなら…、見せてもいいかもしれないわね。」
おねーちゃんはそう言うと、左の袖をめくり、腕を見せてくれた。
彼女の左腕には何ヶ所もの手術のあとが痛々しげに残っていた。
『うわっ!ひどい傷!』
私は思わず、恐れおののくようにして声を出してしまった。
(そういうことだったのね。こんな傷があるなら、他人に見せたくないのもうなずけるわ。)
私が驚きを隠せずにいると、おねーちゃんは袖を元に戻して私の方を向いた。
「そういうわけよ。私の腕を見る度に、最初はみんな驚くの。だから暑くても半袖を着たくないのよ。ちなみに手術のあとは左肩にもあるわよ。」
おねーちゃんは少し寂しそうな表情をしながら、訳を話してくれた。
『辛くなかった?』
「その思いは何度もしたわ。未だに馬には乗れないままだし、左手では水の入ったバケツも持ち上げられないから。でもね、久矢君はこれを見た時、にっこりと笑って『きれいだよ、その腕。』って言ってくれたの。」
『おにーちゃんが?』
「ええ、そうよ。最初は戸惑うあまりに『やめてよ!そんな言い方!』って言っちゃったけれど、後になってだんだん嬉しさがこみ上げてきたの。だから今では、他人からこの腕のことを何と言われても、彼の言ったことを信じることにしたの。」
『そうなんだ。おにーちゃんってとても優しいんだね。』
「うん。私、久矢君ほど人を好きになったことはないし、これからも彼より人を好きになることは、きっとないと思うの。」
おねーちゃんは顔を赤らめながら、おにーちゃんへの思いを話してくれた。
私はそんな2人がとてもうらやましかった。
おねーちゃんが話を終えた後、私は今度は自分のことをおねーちゃんに打ち明けることにした。
『あのね、今度は私のことを話してもいい?』
「何?バイウェイ。」
『私ね、先日現役を引退したウェーブマシン先輩から、「次は君がこの厩舎のキャプテンだ。頼んだぞ。」って頼まれたの。』
「すごいわね。良かったじゃない!」
『そうかもしれないけれど、私は逆に不安なのよ。実績はノア君やアゲイン君の方が上だし、本当に私なんかにつとまるのかと思って…。』
「私はバイウェイの方があっていると思うわよ。ノアは実力はあってもどこかKYだし、アゲインは優しすぎるから、みんなを引っ張っていくタイプじゃないし。そう考えると、やっぱりあんたが一番よ。あの2頭もきっと納得してくれるわ。」
『でも、いざやるとなると、自信ないわ。みんなに何を言えばいいか、分からないし…。』
私はおどおどしながら、おねーちゃんに悩みを打ち明けた。
「私から調教を通じて教わったことを、みんなに伝えればいいわ。そしてみんなの前で堂々としていること。そうすればノアやアゲインがサポートしてくれると思うし、私の方からも、そう2頭に伝えておくわね。」
おねーちゃんは色々アドバイスをしながら、私にサポートを約束してくれた。
「とにかく、キャプテンとしてできることを精一杯やってみなさい。いくつもの困難に打ち勝ってきたあんたなら、きっとできるはずよ。」
おねーちゃんの元気な声を聞いて、私は少しずつ元気がわいてきた。
『分かりました。こんな私でよければ、精一杯やってみます!』
「その意気よ。しっかりやりなさい。」
『はいっ!』
おねーちゃんは私との会話を終わらせると、アゲイン君のところに歩いて向かっていった。
(さあ、頑張らなきゃ。でもおねーちゃんならきっと「Just Be Yourself.(君は君のままで。)」と言うだろうから、気負わないようにやっていこう。)
私は気合いを入れながら、キャプテンとして頑張る決意をした。
名前の由来コーナー その18
・ロマリア(Romaria)(メス)… テレビゲーム「ドラゴンクエストⅢ」に登場する地名です。母が「ローマンホリデー」だったので、ローマに関する名前を付けようと思って、このようになりました。
・メロディーオブラヴ(Melody of Love)(メス)… KOKIAの歌う「愛のメロディー」から命名しました。この歌が主題歌となった映画にハマッていた頃を思い出しながら、馬名に使ってみました。
・トランクインパクト(Trunk Impact)(オス)… トランク」は冠名、「インパクト」は「ディープインパクト」にあやかって命名しました。ちなみにディープインパクトと血統的な共通点はありません。




