第23話 放牧
この章では、スペースバイウェイの一人称で物語が進行します。
最後の未勝利戦を見事に勝ちあがった私は、その日の午後、胸を張って厩舎に戻ってきた。
『バイウェイ!初勝利おめでとう!良かったな!』
『これでこれからも一緒にいられるね!』
ノア君とアゲイン君は、私をもみくちゃにしながら祝福してくれた。
『先輩!おめでとうございます!』
『ボク達も先輩を見習って頑張ります!』
厩舎の後輩達も、ナイトオブファイアとソーラーエクリプスが代表して祝福してくれた。
さらには星先生や村重さんも次々と喜びのメッセージを送ってくれた。
その光景は、私にとって涙が出そうになるくらい嬉しかった。
ただ、サキおねーちゃんが入院中のため、不在だったことが残念ではあったけれど…。
一方、一度死の淵をさまよい、今なお憔悴しきったままのカヤは、私を見ても悲しい表情をしたままだった。
『私勝ったわよ。これからもこの厩舎にい続けることができるわ。』
『…おめでとう…。』
カヤは未だ癒えない悲しみの中、それでも声をしぼり出すようにして祝福してくれた。
『あの…、こんなこと言っていいのかは分からないけれど、これから治療のために育成施設に放牧に出たらしっかりとケガを直してね。そして、いつの日かきっとレースに復帰してね。私、待っているから。』
『……。』
私がそう言うと、かたわらで見ていたアゲイン君とノア君は、
『その言い方はやめてくれ。』
『カヤにそれは酷すぎるぞ。』
と忠告してきた。
確かにその気持ちは私にも理解できたし、カヤはとても現役のことを考えられる状態でないだけに、迷いはあった。
でも私としてはこれが今の自分に言える精一杯のことだった。だから、何とか笑顔を作りながら明るい声で言った。
翌日、私はカヤを始めとするみんなの姿を見届けた後、馬運車で放牧に出されていった。
「スペースバイウェイ、お帰りなさい。」
「初勝利、おめでとう。良かったわね。」
伸郎さんとケイ子さんは道脇牧場にやってきた私を、満面の笑みで迎えてくれた。
私は2人に連れられて馬運車を降りると、まずおかーさんの眠る場所へと向かっていった。
『メープルパーム号、ここに眠る』と書かれたお墓の前に立つと、私は伸郎さん、ケイ子さんと一緒に深く一礼をした。
(おかーさん。私、ついに1勝を挙げることができました。一時はおかーさんを恨んだこともあったけれど、サキおねーちゃんやカヤを始めとする、大勢の人間や仲間の馬達のおかげでここまで頑張り抜くことができました。どうか天国で、これからも私のことを見守っていてください。そして、私を産んでくれてありがとう。)
私はお墓の前で、心を込めて母の冥福を祈った。
次に私は祖母のアンダーラインのところに行った。
『おばーちゃん、ただいま。』
『お帰り、スペースバイウェイ。疲れたでしょう。』
『うん。もう体中が筋肉痛で、疲労困ぱいよ。でも勝てたからこの疲れも心地いいわ。それにおばーちゃんの元気な顔を見たら、何だか元気が出てきたわ。』
『それは良かったわね。じゃあ、もう一頭の馬の顔を見たら、もっと元気が出るかもしれないわね。』
『もう一頭って?』
『これから案内してあげるわね。』
おばーちゃんはそう言うと、私を別のところへと連れていってくれた。
『リング、スペースバイウェイが帰ってきたわよ。』
おばーちゃんが『リング』と言うのを聞いて、私は思わず脚を止めて(えっ?)と思った。
『リングってもしかして?』
『そう。あなたのお姉さん、ダイヤモンドリングよ。』
『ええっ!?』
私がびっくりしていると、一頭の馬が姿を現した。
『お帰り、スペースバイウェイ。実に3年ぶりの再会になるわね。』
鹿毛の馬体に、額の流線。脚元の白い部分。そしてその声。間違いない。そこにいる馬は、確かにダイヤモンドリングだった。
『おねーちゃん、どうしてここに?休養で戻ってきたの!?』
『いいえ。繁殖牝馬としてよ。実は私、故障のために現役を引退したの。』
おねーちゃんは、ここに帰ってくるまでの経緯を話してくれた。
おねーちゃんはある俳優さんにセリで落札された後、栗東の相生厩舎で競走馬として走っていた。
そして4歳になった今年の春に関東に遠征して、エイプリルS(オープン特別、中山、芝2000m)に出走した。
しかしそこで故障を発生して競争を中止してしまい、その後は闘病生活を送っていた。
医師の話では、1年後にはレースに復帰できるということで、オーナーさんは再び競走馬として走らせたいという意向を示していた。
だが回復具合は思わしくなく、復帰までに要する時間は段々伸びていき、1年でレース復帰どころか調教再開も難しくなった。
それを受けてオーナーさんの気持ちも段々変化していき、結局8月に現役を引退させることを決意した。
(最終成績は13戦4勝。最終総賞金は6140万円。)
オーナーさんは馬を管理するための牧場を持っていなかったため、引退後の引き取り先について相生調教師と相談した。
すると、その話を聞きつけた道脇さん夫妻が
「ぜひうちの牧場で繁殖牝馬にさせてください。お願いします!」
「私達の牧場には今、繁殖牝馬がおらずに困っているんです!」
と、名乗り出てきた。
その結果、4月から8月までにかかった治療費を肩代わりしてもらうことを条件に、道脇牧場に引き渡すことにしてくれた。
『おねーちゃん、良かったわね。』
『ええ。放牧の時には栗東トレセン近くの施設に行っていたから、セリ市以来一度もここに戻れなかったけれど、こうやって帰ってくることができたわ。祖母も私と再会できるとは思っていなかっただけに、最初は驚いていたけれど、とても喜んでくれたわ。』
『これからは、おばーちゃんとずっと一緒ね。』
『そうよ。私は祖母と過ごしながら仔馬の生産に専念するから、あんたは競走馬としてしっかりと走りなさい。』
『はい、分かりました。』
私は満面の笑みで返した。
少し離れた場所では、アルゴンランプさんが幼い馬と一緒に走っている様子が見て取れた。
(あの仔馬は何かしら?今年は1頭も産まれていないはずだけれど。)
不思議に思った私はおねーちゃんとおばーちゃんに聞いてみた。
彼女達の話では、幼い馬は「ワイルドウィンド」という名前で、先日行われた0歳馬のセリで購入してきたということだった。
そしてアルゴンランプさんがコーチとなって、走ることを教えているということだった。
少し前までは慢性的な資金難に苦しんでいただけに、道脇牧場がダイヤモンドリングおねーちゃんを引き取り、ワイルドウィンドを購入できたなんて、にわかには信じられなかった。
おばーちゃんの話では、もし義兄であるアンダースローおにーちゃんが新潟記念を含む、怒涛の3連勝を達成していなかったら、この2頭がやってくることはなかっただろうということだった。
(すごいなあ…。賞金をたくさん稼いで、牧場の運命までも変えてしまうなんて…。私も1勝したことに満足していないで、もっと活躍したい。そして私の手で牧場を豊かにしてみたい。)
私はこれまでの激走の疲れをじっくりと癒しながらも、おにーちゃんという憧れの存在ができたことに、新たな闘志を燃やし始めた。
名前の由来コーナー その15
・ワイルドウィンド(Wild Wind)(オス)… B’zの「The Wild Wind」という曲から取りました。馬にワイルドネタにあやかった名前をつけようとした結果、これを使うことにしました。ただ、そのまま使うと何だか恐れ多い気がしたので、「ザ」を削りました。




