第12話 厩舎に起きた変化
この章では、久矢君がレースの時、スペースバイウェイの前に立ちはだかる敵として登場します。
それを考慮して、とりあえず「久矢君」ではなく、「久矢騎手」と表記しています。
星厩舎では、年明け最初の週のレースでカヤノキが未勝利戦を勝ち上がった。
前年はとうとう1勝、しかもトレーナーランキングで最下位に沈んでしまう屈辱を味わってきただけに、この勝利はうれしかった。
一方、気性難が災いし、厩舎のトラブルメーカーだったヘクターノアは、思い切って去勢に打って出ることになり、世間が箱根駅伝で盛り上がっている時期に手術を受けて、現在放牧中だった。
オーバーアゲインは最高3着という実績があるものの、いかんせん鈍足のため、担当の村重君は調教に頭を痛めている状況だった。
(今年は幸先良く1勝を挙げることができたが、もっといい成績がほしいな…。今春に少しでも素質のある2歳馬を獲得するためにも…。)
星調教師はどうすれば春までの間に厩舎の成績を上げられるか、毎日試行錯誤を重ねていた。
1月のある日、雪の積もる道脇牧場には4歳になったアンダースローが戻ってきた。
アンダースローは、冬至Sで11着になった後、カヤノキが出走した同日に行われたアレキサンドライトS(1600万下、中山、ダート1800m)に出走し、5着になった。
堂森調教師は当初、もう一回レースに使いたい意向だったが、4ヶ月連続で走ったことによる反動で調子が落ち気味になったため、結局放牧に出されることになった。
「アンダースロー、確かに4戦走って疲れてはいるけれど、故障もないし1ヶ月間ゆっくり休ませれば大丈夫だな。」
「そうね。厳しい戦いの日々だったでしょうから、ここでしっかりとリフレッシュさせてあげましょう。」
伸郎とケイ子は暖房を完備した馬房にアンダースローを案内して、同馬をねぎらった。
数日後には6歳になったアルゴンランプも牧場にやってきた。
アルゴンランプは引退を賭けて臨んだ3歳以上500万下(京都、ダート1800m)に出走し、15頭立ての11着に沈んでしまった。
そして、伸郎の指示によって競走馬を引退することになり、相生厩舎に別れを告げてここに戻ってきた。
(最終成績は21戦2勝、2着1回、3着0回。 最終総賞金は2095万円。)
ただ、戻っては来たものの、暖房のある馬房には入れてもらえず、さらにはこれからどうするのかは全く未定だった。
(これからどうしようかなあ…。簡単に廃用にはしたくないが、かといってここにいてもえさ代や世話のための費用がかかるだけだし…。)
月60万の預託料は今後支払う必要がなくなったものの、厳しい経営状態が続いている伸郎達には頭の痛い問題だった。
2月。スクーグさんによる厳しい調教が始まってから、もうすぐ1ヶ月になろうとしていたある日、スペースバイウェイは調教の反動から体調を崩してしまった。
その時はさすがに一旦調教はストップとなったが、それでもえさの量は減らなかった。
「食べるのも訓練よ。体調が良くなくても全部食べなさい。」
スクーグさんはスペースバイウェイに連日厳しい言葉をかけながら、そこでつかんだことを他の馬にも応用できないか考えていた。
その1ヶ月間に起きたことを、星調教師は道脇牧場にメールで包み隠さず打ち明けた。
道脇牧場の4人はメールが届く度にその内容をチェックした。
中でも伸郎は誰よりも目を通し、積極的にメールを送り返してもいた。
3月。最初の週の土曜日に、セン馬となったヘクターノアが未勝利戦に出走した。
レースはゴール前で2頭が並んだが、写真判定の末にヘクターノアがライジングホースをハナ差抑え、初勝利を挙げた。
間もなく2歳馬の入厩を控えている星厩舎としては、未勝利戦とはいえ、この勝利はうれしかった。
(一方、ライジングホースの馬主はゴールの瞬間、勝ったと思ってガッツポーズをしていただけに、かえって悔しさが増す結果になった。)
翌日、今度はスクーグさんによるハード調教に耐え抜いたスペースバイウェイが、3歳未勝利戦(中山、芝1600m)に出走した。
競馬場に駆けつけた伸郎は、馬の世話をしているスクーグさんに会うことができた。
「道脇さん、こんにちは。」
「咲さん、こんにちは。スペースバイウェイ、頑張っていますね。」
「はい。故障させたらどうしようというプレッシャーもありましたが、お父さんからのアドバイスにも支えられてここまで来られました。正直、こうやって無事にレースにこぎつけられて、私自身ほっとしています。」
「それは僕も同じです。それにしてもスペースバイウェイ、あなたのハードトレーニングによく耐えてくれましたね。どうしてなんでしょうか?」
「一つには、やっぱり私の身軽さが大きかったのではないかと思うんです。もし私が騎手だったら、どんなに軽い斤量でも、減量を気にすることなく騎乗できますから。」
「なるほど。」
確かにスクーグさんは見るからにそんな体型をしているので、話を聞いた伸郎は納得してうなずいた。
「あと、先生が言うには、私の調教の腕前が目に見えて上達しているようなんです。私としてはあまり実感ないんですけれど。」
「でも先生からそう言われるなんてすごいですね。」
「私としてはお父さんから教わったことをもとに、自分にできることを実践していただけなんですけれど…。」
伸郎とスクーグさんは色々会話をした後、2人で馬体をチェックした。
その中で、伸郎は馬体があまり変わっていないように見えることが気になり、スクーグさんに聞いてみた。
「まあ、本格的に鍛えてからまだ2ヶ月も経ってないですし、すぐに馬体が目に見えて変わるとは思っていません。でも厩舎の雰囲気は変わりましたよ。」
「どう変わりましたか?」
「まず、ヘクターノアがセン馬になって戻ってきてから、スペースバイウェイをいじめるようなことはなくなりました。そしてオーバーアゲインも、今度は自分がセン馬になる番かもと思って反省したのか、いじめをしなくなりました。さらにカヤノキがスペースバイウェイと段々仲良くなってきたようなんです。まるでカヤノキが『私とお友達になって。』と申し出たようなんです。」
彼女は表情を緩ませながら嬉しそうに言った。
「それは良かったですね。」
「はい。それに、このハード調教によって星先生や村重さんも、私を見る目が変わったんです。」
「どのように変わったんですか?」
「先生からはスペースバイウェイだけでなく、ヘクターノアやオーバーアゲイン、そしてカヤノキも鍛えて強くしてくれないかと頼まれました。だから私は今、調教の仕事が増えてかなり忙しくなりました。」
「それは嬉しいことじゃないですか?」
「はい、嬉しい悲鳴です。だからこそ、まだ未勝利のスペースバイウェイやオーバーアゲインには何としても勝ってほしいです。」
スクーグさんは言葉に力を込めてそう言い切った。
2人が話をしていると、いよいよパドックの時間が近づいてきた。
スクーグさんは手綱を持ってパドックに備え、伸郎はスタンドの馬主席へと戻っていった。
6枠6番に入ったスペースバイウェイの単勝は41.2倍で、10頭立ての最低人気だった。
しかし、その現実を突きつけられても、勝利を信じてやまないスクーグさんは手綱をぎゅっと握りしめ、スペースバイウェイと共に堂々とパドックを周回してまわった。
伸郎もスペースバイウェイの勝利を信じながら星調教師と共に、その様子をじっと見守り続けた。
ゲートが開くと同時に勢い良く飛び出したスペースバイウェイは、一瞬先頭に立った後、鞍上の坂江騎手の指示で後方へと下がっていった。
代わりに先頭に立ったのは、逗子騎手騎乗の1番トランクパレード(1番人気)だった。
2番手には網走騎手の指示を無視してかかってしまった3番のトランクリベラ(2番人気)が立ち、外から久矢騎手騎乗の8番ユーキャンゴーゼアが3番手を追走した。
少し遅れて5番のタマモロッジが続き、スペースバイウェイは10番のオーバーカム(3番人気)と並んで7~8番手にまで後退した。
「星先生。坂江騎手、あれはどういう作戦なんでしょうか?」
スペースバイウェイの動向が気になった伸郎は、星調教師に思わず質問した。
「道中は中段に控えてくれと指示したからな。まあ、ある意味作戦通りではあるが。」
「それにしても、せっかく好スタートを切ったのに、何だかもったいないような気がするんですが。」
「そうかもしれんが、スペースバイウェイがこの中山競馬場で先行策を取ったら、最後の急坂で失速してしまうだろう。だから今回はこのようにしてみた。後は咲の調教の成果を坂江騎手がどれだけ引き出すかだ。」
「そうですか。」
伸郎はそうつぶやくとそれ以降は黙り、レースに集中した。
各馬は外回りの向こう正面を通過しており、先頭のトランクパレードはもうすぐ内回りとの合流地点に差し掛かるところだった。
先頭は相変わらずトランクパレード。その後にはトランクリベラ、ユーキャンゴーゼアが続き、タマモロッジは単独5番手にいた。
一方のスペースバイウェイはオーバーカムを追い抜いて単独7番手になった。
各馬は内回りコースと合流した後、3コーナーに入っていき、先頭のトランクパレードはすでに4コーナーをまわっていた。
「今だ。行け!」
4コーナーに入ったところでスペースバイウェイ鞍上の坂江騎手は手綱を動かし、スパートをかけた。
スペースバイウェイはそれに応え、馬群を避けながら外に持ち出し、少しずつ順位を上げていった。
いよいよ最後の直線。先頭のトランクパレードはリードを広げ、逃げ込みを図っていた。
2番手を走っていたトランクリベラは直線に入ると手応えが怪しくなり、ユーキャンゴーゼアに交わされてしまった。
そのユーキャンゴーゼア鞍上の久矢騎手は、さらに前にいるトランクパレードを追い抜こうと懸命にムチを振るい続けた。
道中5番手だったタマモロッジは、外から一気に3番手にまで上がり、十分に先頭を狙える状況だった。
先頭はトランクパレード。2番手にはユーキャンゴーゼア。その後ろにはタマモロッジ。スペースバイウェイは懸命にスパートしているものの、5番手からなかなか順位が上がらずにいた。
レースは先頭のトランクパレードが逃げ切るかと思われた。
しかしその矢先、直線の急坂で急に失速し出した。
「こら!あと少しなんだ!頑張れ!」
逗子騎手は懸命にムチを振るい続けたが、伸びは鈍く、背後には内からユーキャンゴーゼア。外からはタマモロッジが迫ってきていた。
「さあ、咲さんの調教の成果を見せろ!」
坂江騎手はまだ5番手にいるスペースバイウェイの手綱を懸命にしごいた。
残り50m。ここで先頭がトランクパレードとタマモロッジの2頭が並んだ。3番手にはユーキャンゴーゼア。スペースバイウェイはようやく4番手に上がった。
道中でかかったトランクリベラはすっかり馬群に沈み、オーバーカムは追い込んできたものの、まだスペースバイウェイの後方にいた。
ゴール直前。ここでタマモロッジが先頭に立った!2番手はトランクパレード!
3番手はユーキャンゴーゼアで決まるか!?
しかし外からスペースバイウェイ迫る!
オーバーカムは5着も厳しい!
先頭はタマモロッジ!タマモロッジ、ゴールイン!
2着は1番人気のトランクパレードが粘りこんだ!
3着はユーキャンゴーゼアとスペースバイウェイ!
3番人気のオーバーカムは6着。2番人気のトランクリベラは9着に敗れた。
レースはタマモロッジ(6番人気)が勝ち、2着はトランクパレード(1番人気)、3着はユーキャンゴーゼアをギリギリで差し切ったスペースバイウェイ(10番人気)が入り、中波乱の結果になった。
スペースバイウェイは勝てなかったものの、初めて馬券圏内に入り、入着賞金を獲得することができた。
スクーグさんは坂江騎手の感想を聞いた後、引き込み場所で走り終えた同馬をねぎらっていた。
「見てバイウェイ!あの掲示板の3着のところにあんたのゼッケン、6番が出ているわよ!やればできるじゃない!良く頑張ったわね!」
彼女は大喜びしながら健闘をたたえていた。伸郎と星調教師の2人は、その様子を少し離れた後方から見ていた。
「咲さん、すごく馬をほめていますね。勝ったわけでもないのに、あれはちょっと大げさではないでしょうか?」
「あれも彼女の父、アーロンから教わったことだ。たとえ100点の出来でなくても、健闘をしっかりとたたえ、大げさに喜んでみる。そうやってその馬の能力をさらに引き出させようとしているんだ。」
「そういうことって馬にも応用できるんですね。」
「そういうことだ。これからは他の馬にも実践していこうと思っている。彼女の役割はますます大きくなるぞ。」
「ぜひそうなってほしいですね。」
「ああ。」
彼らはスクーグさんとスペースバイウェイの後ろ姿をじっと見つめていた。
その頃検量室では、ユーキャンゴーゼアに騎乗していた久矢騎手が、検量を済ませて着替えをしていた。
(くっそー、最後で一頭交わされたのは分かったけれど、よりによってそれがスペースバイウェイとは…。全っ然予想もしていなかった。スペースバイウェイはあの落ちこぼれ状態からはい上がってきているし、サキは調教での騎乗依頼も増えてきている。やっぱり彼女のやり方が間違っていなかったことを認めるしかないな…。)
その日以来、彼はスクーグさんとのわだかまりも解けて、彼女と仲良く接することができるようになり、スペースバイウェイに対する見方も変わっていった。
3歳3月の時点におけるスペースバイウェイの成績
4戦0勝
本賞金:0円
総賞金:130万円
クラス:未勝利
名前の由来コーナー その9
・トランクパレード(Trunk Parade)(オス)… 「トランク」は冠名。「パレード」はPCエンジンのゲームソフト「スーパースターソルジャー」のSTAGE8のBGM「Trounce Parade」から取りました。最初はキノ牧場で「トラウンスパレード」と命名しようとしていたのですが、トランク牧場でもスーパースターソルジャー由来の馬名を使いたかったので、このようにしました。
・ユーキャンゴーゼア(You Can Go There)(オス)… 母の名前が「メイビーユーキャン」だったので、「ユー」と「キャン」を使ってこの名前にしました。(ちなみにゲームではユーキャントライの2歳年下です。)
・オーバーカム(Overcome)(メス)… PCエンジンのゲームソフト「スーパースターソルジャー」のSTAGE6のBGM「Overcome Difficulties」から取りました。ゲームでは牡馬ですが、スーパースターソルジャー由来の名前を牝馬につけたケースが少なかったため、作品では牝馬に置き換えました。
なお、トランクリベラはこのレースの後、故障のために離脱してしまいました。




