●34 異変
展望台から西の方向を見渡す。太陽が沈んで行く。ときにわたしの心を照らし、ときにわたしを苦しめる、太陽。
オレンジ色から空色のグラデーションがゆっくりと濃紺に変わっていく過程。景色の移ろいで、山道で自分を見失いかけたことが遠い過去のよう。
太陽は沈むけれど、夕焼け空に橙の帯として、わたしの体に熱として、まだ残っている。やがてそれも消えるだろうが、また次の太陽が昇る。その繰り返し。
いつか、今隣に立っている人が消えたら、わたしの心からも消えてしまうのだろうか。そして生まれ変わってまた別のわたしに…
当人は、ずっと黙ったまま、浸っているわたしに気を遣っているのだろう。本当はずっと夕焼けを見ていられるのだけれど、わたしから声をかける。
「すごく綺麗。苦労して登った甲斐があったね」
「うん」今度は素直なよしつね。
「近くでこんな景色がみられるなんてね、また来よう」
「もうええわ」
「えー何で?つまんなかった?」
「いんや。りかおんが具合悪くなったりキレ散らかしたりするのは嫌やからな」
「ごめん、でも具合は悪くなったけどさ、キレてないよ」
「ほな、具合悪くなるから嫌」
「やけに素直だね?」
「またキレられたらかなわんからな」
「全然素直じゃない」
「ともかく、無理するからな、りかおんは?」
「じゃあどうしたら?」
「考えてみ?」
「うーん。水を飲むとか、ゆっくり歩くとか?」
「ちゃうな、不正解」
辺りは暗くなって次第に夜が近付く。建物、橋、車、人々の点す灯りの数々が目についてくる。
「ロープウェイ」
「せやな。正解」
「でもそしたら苦労してないからさ、感動が減らない?」
「今日の思い出が消えるわけやないやろ?思い出したらええんや」
橙の帯は消え、空は濃紺、けれどまだ、わたしの身体には熱は残っている、それに思い出もずっと。
「そういえばさ、これ」とバッグから勾玉を取り出して、紐を持ってよしつねと自分に見せて「どうしようかな?」
「かまへんで。放るなら人がおらんとこに、な?」
「うん。でもさ、もう来世では掘り起こしちゃだめだよ」
「せやな。りかおんに負担かけてまうからな」
「…やっぱり、持ってることにするよ」
「そか。ふふっ、バチ当たるかもわからんで?」
「そしたらさ、一緒に受けてあげるよ」
「すまんな」
「かまへん…よ」
少し夜景を堪能したあと、ロープウェイで下山する。降りた先でお土産を買う。営業終了まであまり時間がなかったので藍染のハンドタオルを二つ買ってもらい、一つはよしつねに渡す。喜んでくれた。そっちのお金なのに。
いったん御代史堂に寄って荷物の整理。もらった帽子は汗かいたし洗わないと。白いバッグも山道で土がついたみたい。落ちなくても思い出になるだろうか。
送ってもらうついでに駅前で夕食にラーメン。最近ハマっている。今回の店は麺の硬さが選べる。わたしはふつうで、よしつねはバリカタを頼む。少し食べさせてもらう。食感がいいのはわかるが消化に良くないのではと思う。
帰り道。今日はたくさん楽しんだけど、迷惑もかけた。謝りたいけれど、言ったら水を差してしまうから言わないでおく。わたし、冷静だからね。そう思っていたのだけど、異変に気付かないなんて、やっぱり浮かれていたのだろう。
家が見えた。今日のお礼をよしつねに伝える。歩いたから少し飲み物でも飲んで行けばと家に招き入れる。電気が点いているけれど、母が点けっぱなしにしたのだろうと気にも留めずに。母が仕事に出るのはまだ明るい時間だということも忘れて。
玄関を開けると、母が出てきた。わたしのすぐ後ろにいるよしつね、出くわした。
「莉花、その人は?」
「え、あの…」
振り返るとよしつねはいない?いや、土下座している。
「莉花さんを連れ出してしまいました。申し訳ありません」
いつかこうなることを知っていた、それとも覚悟していたのだろうか?よしつねが瞬時に頭を地面に付け謝っている。わたしは泣いている。
「あなたは話さないで。莉花、答えなさい」
「…うん」
どうしたらいいのだろう。
心配かけたのはわかる。でもわたしは、人にどう思われるかわからないけれど、悪いことをしたとは思わない。けれど全面的に正しいとも思わない。
だから、伝えて、それで、母が許してくれなかったら、もう終わろう。隠し事はもうしなくて良いのだから。
「あのね、この人はみよしさん。アーケードで雑貨屋さんをやっている人、前に倒れているところを、わたしが水をあげて、その、助けてね。
それで、別のとき、まいちと会う約束したときに通りがかって、店、見たらやってなくて、そのときに古着屋さん、なぎささんと知り合って、みよしさんまた倒れちゃってて、みよしさんとなぎささんがいとこだって、教えてもらって。
それで、学校帰りに具合悪くなって、その、なぎささんに助けてもらったときもね、みよしさんもいて、助けてくれたりして、それで、今日はわたしがお願いして、山登るの付き合ってもらって…」
「急にトーキョー行きたいって言ってたのも?」
「えっと…うん、その…みよしさんがね、ご両親のお墓参りに毎月行くって聞いて、それでわたしも夏休みにトーキョー行きたいから連れてってもらおうって思って、それでママを説得する方法を一緒に考えたりしてもらって、だからね、この人は悪くないの…」
「莉花、でもね、たまたまこの人がそうだっただけでね、あなたのしたことは危険なことなの、わかる?」
「うん、ごめんなさい。ママに話せなくて。やっぱり良くないことだって思っていたから話せなかったんだと思う。でも…わたし…」
よしつねを失いたくないという気持ちを伝えたいけれど、伝えたらいけない思いが邪魔をして、言葉が出てこない。
「もういいわ、莉花。あなたのことはわかるから。みよしさん、顔をあげてくださる?」
矛先がよしつねに向いてしまう。何とかしなければ。その場で母にすがりつく。
「ママ!違うの!この人は悪くない。わたしが全部…。もうトーキョーも、盆踊りも行かないし、夏休みは…ずっと家から出ません。だからお願いします。この人を責めないでください…お願い…します…」
よしつねのことを思って発した言葉、でもよしつねは自分が責められることよりも、わたしが責められる方がずっと傷付くのだと思う。
だからわたしのこの言葉もよしつねを傷付けてしまっているのだ。だったら今はよしつねを責めればいい?全部よしつねのせいにして、わたしと母の関係は変わらないままにして?
でもそんなことしたらわたしの心は壊れてしまいそう。それこそもっとよしつねを…もうわからなくて、ただ涙が止まらない。
すると母はわたしの頭を撫でながら「優しい子ね、もう怒っていないから、中で座りましょう?つねはる君も」と、ゆっくりとなだめるように言ってくれた。
母の優しい声、安心する。もう怒っていない、それが本当なら。でも、どうして?母がよしつねの名前を?よしつねの方を見る。
「…はい」
よしつねが、目を見開いて驚き、そして潤ませて、いや涙を流した。どうして?




