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05 惡の花

「フーシェ」


 ロベスピエールは今や、立ち上がり、卓を回って、フーシェの眼前にまで迫った。


「あれだけのことをしておいて! 議決にしたがったまでだと! 他意はないだと!」


 一方のフーシェは、その冷然たる視線を崩さず、だから何だというのだ、と答えた。


「……少しは認めんのか、自分のやったことが、惡であると!」


「まったくわからんな」


 あきれたような口調が、かえってロベスピエールの癇に障った。

 しかしフーシェは、ロベスピエールが次の台詞を言う前に、その節くれだった指を一本立ててさえぎる。


「ロベスピエール、君は私のやったことを惡だというが、その根拠は何かね?」


「何だと? 言うまでもないが言ってやろう、大勢の人たちの命を奪った! これに尽きる!」


 法廷の勇者であるこの私に論戦など、という得意げな顔をしたロベスピエール。

 だがフーシェは相変わらずの無表情だ。


「最初に言ったろう」


 フーシェが一歩進む。

 おのずと、ロベスピエールは一歩しりぞいた。


「これは国民公会の議決だ、と。であれば私のやったことが惡とみなされるなら、国民公会こそ惡であろう」


 こいつ、とロベスピエールは歯がみした。

 国民公会の議決は、たしかにリヨンの消滅を求めていた。

 しかし、人々を殺せ、とまでは言っていない。

 ロベスピエールはそこを追及した。


「何を言っている」


 フーシェは酷くつまらないと言いたげな表情をした。

 無表情な彼が表情を作ったこと自体が稀だが、それがこの表情なら、無い方がましだ――そう思える顔だった。


「私が処断したのは皆、犯罪者だよ、ロベスピエール」


「犯罪者?」


 フーシェが着任した時、そこにはコロー・デルボワが放置した密告の書状の山があった。

 フーシェは丹念にそれを見て、その一々が有罪と判じられるものばかりだった。


「金貸しのピエールは暴利をむさぼり、工場主のジャンは労働者を酷使し、男爵夫人のリュシエンヌは気に入らないという理由でお針子を打擲ちょうちゃくし……」


 結果、それぞれ人を殺したという。

 解放市ヴィル・アフランシ――リヨンは、ブルジョアと労働者サン・キュロットの対立があり、互いに相手を傷つけ殺し合うことが日常茶飯事になっていた。

 その狂熱の一端が、密告状というかたちを取って、フーシェの前にあらわれた。

 すぐにリヨン政府の主だった者を呼びつけ、聞くと、リヨンの治安と司法は、前々から機能しなくなっていたという。


「シャリエとかいう道化者のせいもあるが、それはもう、滅茶苦茶だった。それはパリもそうだったはずだ」


 犯罪者や反革命の政治犯などで、首都パリの監獄がいっぱいになっているのを、公安委員会のメンバーたるロベスピエールが知らないはずがない。

 フーシェは言外にそう言っていた。


「それらを処分しなければ、秩序が乱れる。私はそう判断した。派遣議員であり、解放市ヴィル・アフランシ非常委員会の委員として」


 国民公会は公安委員会の建議を受けて、「猶予するところなくリヨンの反動革命を武力をもって懲罰する目的をもって」非常委員会を設置すると宣言している。


「だからと言って!」


「ロベスピエール、国民公会はルイ十六世やマリーアントワネットも死刑にしたな? ひるがえって君は死刑の廃止を提唱していたな? いや、私はその矛盾を突くつもりはないよ。むしろ哀れむ。自説を捻じ曲げてでも人を死なせることは、さぞつらかったと……」


「おためごかしを!」


 この日何度目の事か、ロベスピエールは激昂した。

 たしかにロベスピエールは死刑廃止論者だった。

 だが、国王という存在は、革命に対してどうしても共存ができないとして、その死刑を求めたのだ。

 そして皮肉なことに、その後、前線司令官の裏切りがあり、革命政府を保つために、死刑制度を擁護していくことになる……。


「ロベスピエール、君は人を善きものだと思っている。だから自分もそうだと思っている。だが、ちがう。王宮でも教会でも市井でも、人は善いとは限らんよ、だから……」


「もうよい!」


 ロベスピエールはフーシェの発言をさえぎり、「出て行ってくれ」と叫んだ。

 これ以上、聞きたくなかったからだ。

 フーシェは黙ってうなずき、踵を返した。

 執務室の扉を開ける時、ほんの少しだけ顔をうしろに向けて、言った。


「人というのは種だ。善の花にもなれば、惡の花にもなる。それがわからなければ……」


「フーシェ、退室を命じたはずだぞ! 余計なことを言うな! 出て行け!」


 ロベスピエールはそれを聞かなければ、自分はまだ人が善であると信じられる、惡は摘むべきだと言わんばかりの態度だった。

 フーシェはひとつため息をつき、今度こそ本当に退室した。

 扉を閉めたあと、誰にも聞かれないように、そっとつぶやいた。


「ロベスピエール、ロベスピエール、知っているか? 今の君こそがまさに惡とささやかれていることを」


 そしてその君を摘んでやろうと、そいつは手応えのない空気のように君のまわりに漂っているぞ、と予言めいたひとことを残し、去って行った。


 まるで悪魔のように、足音も立てずに。


【了】

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