01 リヨンの叛乱
――止め処なく座辺にうごめく悪魔、 そいつは手応えのない空気のように私のまわりに漂う。
ボードレール「悪の花」
一七九三年。
フランスは燃えていた。
革命という火が熾り、それはパリを焼き、国王を焼き、王妃を焼いた。
そして今、フランス各地にもその火はめらめらとその熱をおよぼそうとしていた。
その地、リヨンにも。
これからそのリヨンは――消滅する。
*
おおい、おおい。
リヨンの市城の城門で、あらん限りの声を振りしぼって、男が叫んでいた。
男は大きな石をかかえていた。
「おおい、見てくれ」
男――シャリエという元僧侶は、石を持ち上げて言った。
「これはバスティーユ監獄の石垣の石だ。パリで革命が起きた! これはその証拠だ!」
シャリエは六日六晩歩き、パリから石を持ち帰ってきた。
差し上げたその石が、本当にバスティーユ監獄のものなのかはわからない。
しかし、その血走った目を見ると、真実味が増した。
次に口にすることも、真実と思えるくらいに。
「革命だ!」
シャリエはバスティーユの石を、リヨンの城壁にぶつけた。
そうすることによって、リヨンの蒙を啓くかのように。
「革命を起こすぞ! パリに負けていられるか! このリヨンにも革命を起こす! 逆らう奴はギロチンだ!」
シャリエは唾を飛ばして叫んだ。
われこそが知恵を授ける神である、かのように。
城門に集まった人々は眉をひそめていたが、やがてシャリエの言うことに耳を傾け始めた。
パリで起きた革命のことは、すでに伝わっていた。
だからこう思った。
「この機会に、邪魔なあいつらを排除してやる」
あいつらとは、ある人にとってはブルジョアであり、ある人にとっては労働者である。
そう、リヨンは深刻な対立をかかえており、それが革命という熾火により、炎となって燃え上がろうとしていた。
*
シャリエは――パリの革命勢力とのコネがあり、そのため労働者が彼を擁してその党与となった。
称して、シャリエ派という。
シャリエ派はリヨンを牛耳ったが、当然ながらブルジョア――王党派はそれを恐れた。
「六日六晩パリから歩いてきて、あんな石を持ってくる男だぞ」
「奴はマラーを信奉している」
ジャン=ポール・マラー。
山岳派の革命指導者として知られる。当時山岳派は、首都パリを重視し、フランス共和国の象徴とし、パリとその他の都市に格差をつけようとしていた。
リヨンの王党派には、それが面白くなかった。
「このままでは、リヨンはパリに負ける」
かくして王党派は、リヨン議会を動かし、シャリエを拘束した。
当然ながらシャリエとシャリエ派は抗議するが、王党派は、何とシャリエの手紙を偽造し、それはフランスへの裏切りの証拠とし、彼の死刑を可決した。
泡を食ったのはパリの国民公会である。
「待て、いきなり死刑はないだろう」
国民公会であずかるというと、リヨン議会も意地になる。
リヨンのことだ、放っておけと。
こうなるともう、法の下の厳正な捜査や裁判などない。
あるのはただ、意地の張り合いである。
そうこうするうちに、とうとう国民公会がしびれを切らせた。
「いい加減にしろ」
国民公会は、リヨンにギロチンを送りつけた。
これ以上、国民公会の意向に逆らうとギロチンにかけてやる、という脅しだった。
ところが、こちらもしびれを切らせたリヨン議会も、怒りを爆発させた。
「ならば使ってやろうではないか」
あろうことかリヨンは、そのギロチンでシャリエの処刑を執行した。
ところがそのギロチンがあまりいい出来のものではなく、処刑は三回も失敗した。
うまく首を刎ねられず、シャリエは処刑されるという恐怖と、耐えがたい苦痛を三回も与えられた。
「致し方ない」
最終的に、シャリエはナイフで首を斬られた(斧とも言われる)。
あまりの悲惨さに、処刑場であるテロー広場に集まった民衆は、顔を背けた。
やり過ぎではないか、国民公会が攻めてきたらどうする、という声も上がった。
それでも王党派の者たちは豪語する。
ヴァンデやトゥーロンも、国民公会に叛旗をひるがえした、と。
「しかも鎮圧できてない。であれば、このリヨンにも手出しできぬ」
しかし八月八日、三万からなるフランス共和軍がリヨンへと向かわされ、あっという間にリヨンを砲撃により沈黙させ、リヨンは降伏した。
そして──国民公会はこう宣言した。
一、国民公会は、公安委員の建議により、猶予するところなくリヨンの反動革命を武力をもって懲罰する目的をもって、五名の議員よりなる非常委員会を指名す。
二、リヨンの全住民は武装を解除せらるべく、しかしてその武器は共和国の防禦者に引き渡さるべし。
三、武装の一部は、富者及び反動革命家の圧迫をこうむりたる愛国者に交付するものとす。
四、リヨン市は破壊さるるものとす。有産階級の住居せし家はすべて破壊さるべし。貧民の家、殺戮もしくは追放せられたる愛国者の住家、工業建築物、並びに慈善および教育の目的に使用し得るもののみは、残存しおくに差支えなし。
五、リヨンなる名称は、共和国の都市表より抹殺せらるるものとす。残存せる家屋よりなる集合体は、今後ヴィル・アフランシなる名称をもって呼ばるるものとす。
六、リヨンの廃墟には記念柱を建て、王党の都市の罪と罰を天下後世に知らしむる目的をもって「リヨンは自由と戦いを交えたり――リヨンはもはやあらず」なる碑銘を刻むものとす。
(ツワイク「ジョゼフ・フーシェ――ある政治的人間の肖像」)
と。
この宣言が議決され紙に記されて送られた時――フランスからリヨンという都市は消滅した。




