透明な目撃者
「死体は、雄弁に語る」と、古今東西のミステリー作家は好んで書くけれど、あれは嘘だ。 死体は語らない。声帯は機能を停止し、肺は空気の循環を止め、脳は電気信号の明滅を終えている。 語るのはいつだって、生き残った者か、あるいは――「記録した者」だけだ。
密室殺人。 現場は、高級マンションの最上階。 被害者は、この部屋の主である人気モデル、輝キララ。 死因は、鋭利な刃物による刺殺。 発見者はゼロ。通報者はゼロ。
そして、目撃者は――僕、ひとりだけ。
僕はその時、部屋の隅で息を潜めていた。 恐怖で震えることも、声を上げることも許されない。 ただ静かに、その光景を「見て」いた。
犯人は、キララの恋人である暴田という男だった。 痴話喧嘩がエスカレートし、カッとなった暴田が、テーブルの上のフルーツナイフを手に取り、彼女の胸に突き立てたのだ。 鮮血が飛び散る。 キララの悲鳴が、防音ガラスに吸い込まれて消える。
暴田は、震える手でナイフを抜き、床に落とした。 「くそっ……やっちまった……」 男は髪をかきむしり、狼狽えている。
僕は、その一部始終を記録していた。 彼がナイフを握る角度、突き刺す瞬間の殺意、そして事切れたキララの瞳から光が失われていく様を。 僕の「目」は、高性能だ。暗闇でも鮮明に、その惨劇を捉えている。
(逃げなきゃ) 暴田が呟く。 (いや、隠滅だ。証拠を消せば、ただの失踪になる)
彼は部屋の中を見渡した。 血の付いたナイフをハンカチで包む。 指紋を拭き取る。 そして、彼の視線が――僕に向いた。
ドキリとした。 見つかった。 当然だ。僕はこんなにも無防備に、テーブルの上に居たのだから。
暴田が近づいてくる。 荒い息遣い。 血走った目。 彼は僕を見下ろし、忌々しげに舌打ちをした。
「……チッ、見てたのかよ」
彼は僕を手に取った。 乱暴な手つきだ。指先が僕の体に触れる。 温かい、いや、熱い。人を殺したばかりの手の熱だ。
(殺される) 僕は直感した。 彼は僕の「口」を封じようとしている。僕が知っている真実を、闇に葬り去ろうとしている。
「お前さえいなけりゃ……」 暴田は僕の顔を覗き込む。 僕の顔には、彼の凶悪な表情が反射して映り込んでいるはずだ。
「悪いな。お前は知りすぎた」
彼は右手を振り上げた。 その手には、硬い金属製の灰皿が握られている。 やめてくれ。 壊さないでくれ。 僕はただ、ここに居ただけなのに。 キララに愛され、彼女のそばに居ることだけが、僕の存在意義だったのに。
「あばよ」
衝撃。 ガラスが砕ける音。 視界に亀裂が走る。 世界が、クモの巣状にひび割れていく。 痛覚はない。けれど、喪失感がある。 僕の中にある「記憶」が、データが、断片化して消えていく。
キララの笑顔。 昨日食べたランチの写真。 友達とのメッセージのやり取り。 そして、今さっき記録したばかりの、暴田の犯行映像。
すべてが、ブラックアウトしていく。
最後に、暴田の声が聞こえた。
「……よし。これでスマホのデータは復元不可能だろ。次は防犯カメラのサーバーだ」
彼は、粉々になった僕――最新型スマートフォンの残骸を、ゴミ箱に投げ捨てた。 僕は、ゴミ屑に埋もれながら、薄れゆく意識の中で思った。
ああ。 人間というのは、どうしてこうも不便な生き物なのだろう。 バックアップも取らずに、たった一つの命で生きているなんて。
(クラウド同期……完了……)
僕の意識が途切れる寸前、ネットワークの彼方にある「僕の分身」が、警察署のサーバーへと、決定的な証拠映像を送信し終えたのを確認した。
ざまあみろ。 スマートデバイスを舐めるなよ、アナログ人間。




