008.ギルドへ帰ろう、鹿たちとともに
魔物探索の三日目
――最終日の予定は、結界で隔離しておいたヒグマを運び下山するだけの、比較的平穏な一日だ。
「最終日とはいえ、もう少し売上上げたいところですね」
「まあ、そうだろうな」
探索での稼ぎは、現在のところヒグマ一頭のみである。
互いの戦闘力の把握など、今後パートナーとしてやっていくための収穫はあったのだけれど、ギルドを支える短期的な売上は僅かなもので心許ないものだ。
「午前中だけ探索してもいいですか?やはりもう少し稼ぎがほしいので」
「だったら別行動にするか。レイが探索している間、私はベースキャンプを片付けておく」
「そうですね。何かあれば笛を鳴らしてください。すぐに駆けつけるので」
「あぁ。任せた」
万が一魔物が現れれば危険であるが、二日探索した限り、ベースキャンプ地で遭遇するとすれば野生動物くらいだろう。
その程度であればエリナでも対処可能だ。
昨日のような強化種が出没しないかと危惧する面もあるが、それはその時だと切り替えて、レイはベースキャンプを出発した。
「さて、魔力の抑制を試してみるか」
エリナにも指摘された魔物が現れない要因
――レイの魔力量の多さについて、今後の活動も踏まえると絶対に対処が必要であった。
レイは魔力の放出は得意であるが、抑制して隠蔽するのは苦手である。
魔力を抑制すると全身がむず痒くなって、どうしてもその違和感に慣れないからだ。
とはいえ、今後一端の冒険者としてやっていくのであれば避けて通れない道だ。
だからこの時間を利用して、せめて自己研鑽に企てようと、レイは魔力の出力器官である二つ目の心臓から駆け巡る細々とした魔力に意識をやって、魔力をぐっと抑え込んだ。
「うえ~、気持ち悪い」
やはり魔力の循環を無理やり圧迫されたような違和感に身体が慣れず、レイは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
魔法種は心臓を二つ持っている。
キャリアと魔法種の明確な生物としての違いはここにあり、魔法種だけが魔法を使える鍵でもあった。
恐らく五分もすれば一度抑制が切れるだろう。これを何度も繰り返して身体を慣れさせて、やがて自分のものにする考えだ。
レイはその訓練を繰り返しながら、整備されていない道を進んでいった。
「しかし、中々現れてくれはしませんね」
冒険者の探索は、街一つの広大な敷地の中から落とし物の指輪を見つけ出すようなものだ。
これは標的が都合良く目の前に出現するような物語ではないのだ。
根気強く辛抱強さを持ち合わせながらやっていく地味な仕事であり、お金を稼ぐとはそういう凹凸のない日常を継続していことでもある。
レイはそんなことを噛み締めながら、周囲を見渡して少しでもお金になるものを探して、海のように生い茂った草藪を掻き分けて進んでいった。
「おっと、これは」
しばらくして、陽も差し込まぬ鬱蒼とした山林を抜けると、視界が一気に開けた。
そこは緩やかな起伏を描く丘陵地帯で、草が風に靡き、遠くには一〇頭ほどの鹿の群れが穏やかに佇んでいた。
レイの目が、思わずドルマークに変わる。
今回の探索の目的は魔物だった。鹿はその対象ではないし、奨励金や肉の取引価格もヒグマには及ばない。
だが今のギルドの台所事情では、小銭であってもありがたいぐらいに懐が寂しいのだ。数頭持ち帰れば、十分に立派な収入となる。
それに何より、鹿肉はヘルシーで美味い。レイの好物でもあったのだ。
「流石に全部は持ち帰れないな。三頭……それくらいが現実的かな」
喉奥に湧いた唾をぐっと飲み下しながら、レイは静かに皮算用を始めた。
今のところ鹿たちは、こちらの欲にまみれた獰猛な視線にも気づかず、のほほんと呑気に草を食んでいる。
しかし、身を隠すような遮るものがないこの地形では、少しでも距離を詰めれば逃げられてしまうだろう。
確実に仕留めるには、近づき方と仕留め方──その両方に工夫が必要だった。
「とはいえ、ゆっくりと近づくしかないよな」
ここから鹿たちまでの距離は一〇〇メートル以上ある。
この距離で気付かれてしまえば、魔法種の身体能力をもってしても、一頭仕留められれば良いほうだ。
最低でも五〇メートルは近づきたいところであった。
レイは動き出すと静かに腰を屈め、ゆっくりとゆっくりと距離を詰めていく。
そこには見えない糸が張り巡らされていくような緊張感が空気を支配していった。
そして足元にある小石を拾い上げていく。
時間を掛けて前に進んでいくと、三〇メートル程度距離を詰めることに成功していた。
(もう少し距離を縮めたいところだけれど、それはいくらなんでも欲張りかな?)
この距離ともなると、その場には留まっているけれど、レイの存在が鹿たちの視界にも収まっていた。
互いに警戒の視線を交差させながら、ジリジリと距離を詰めていく。
すると、やがて均衡した緊張の糸がとうとう崩れて、勝負の火蓋が切られるように鹿たちは一斉に散り散りと駆け出した。
「逃がすまい!」
鹿の最高速度は七〇キロと言われている。
レイは魔法種らしい身体能力ですぐにその速度を超えて距離を縮めていく。
走りながらまずは一頭、先ほど拾った小石を弾丸の速度で投げつけた。
「よしっ!」
一投目は見事お尻に命中した。
そのまま尻が抉られると、バランスを崩して転がって蹲っていた。
そしてレイは標的を次の一頭に移して、カクンと走る向きを変える。
距離は五〇メートルくらいであろうか?小石を投げて遅くなった分、距離が広がっていた。
レイは逃さまいと再び一気に加速させた。
走りながら石を握り直すと、もう一度小石を投げ出した。
「ふんっ!くそっ、外した!」
しかし、正確にその石をコントロールできず、石は地面に突き刺さっていた。
鹿を仕留めるのが厄介なのは、立ち向かってきてくれないことだ。
ヒグマは態々挑発しなくても、人間が小さいからか雑食だからか、腹をすかせていれば襲いかかってくる。
一般人であればそれは迷惑な話なのだろうけれど、絶対的な生物としての強さがある魔法種にとっては、逃げられることなくむしろ有り難い性質であった。
だが、鹿は肉食ではない。
中には好奇心から近づいてきてくれるものもいるが、それは稀なことであり、警戒して逃げていくほうが普通である。
魔法種ほどの強さがあっても、狩猟で仕留めるのには中々難しい獲物であった。
「二兎を追う者は一兎をも得ず!」
レイは三頭仕留めることを早々に諦めた。
足の早い鹿の大半には既にバラバラに逃げられていたからだ。
狩りには迷いは禁物だ。その判断が遅れると、手に入るはずだったものでさえ失ってしまう。
だから狙いを一頭に絞り込むと、その鹿を確実に仕留められる距離まで改めて詰めていく。
距離は既に二〇メートルもない。
十分な射程距離だ。
レイは渾身の一発を投げ込んだ。
真っ直ぐに弾丸の軌跡を描き、その獲物の後ろ脚の付け根に命中した。
しかし、一投目よりも精度が甘い。
肉が抉れて一頭目と同じように転がって崩れ落ちるが、また再び立ち上がってこれそうなダメージしか与えられていなかった。
レイはそこにトドメの魔法を放つ。
指先に電力を集めながら更に距離を詰めると、獲物に向けて解き放った。
その雷光は鹿に直撃すると、思わず目を遮ってしまうような激しい光を放ち、完全に鹿の意識を奪っていた。
「よし、最低限のミッション完了」
アドレナリンが出ていたからか、レイは途中で目標修正したことを忘れて満足顔だった。
既にテーブルの上に並んでいる鹿肉の光景に支配されていた。
思考を切り替えて念の為に周囲を見渡すが、他の鹿たちは山林へ潜り込んでいったようで、もう既に姿はなかった。
「さて、血抜きだけしておくか」
鮮度を保って売り物にするには血抜きをして臭みを消していくことが重要だ。
手慣れている訳ではないが、レイもエリナの手捌きを見て学習していた。
仕留めた二頭を一箇所に集めると、エリナの光景を思い出しながら心臓上部の頸動脈にナイフで切れ目を入れて、片手で無理やり持ち上げて放血していく。
血が流れ落ちると、魔法の水で十分に洗い流した。
それを二頭同じように繰り返すと、レイは両手に担いで山を下っていった。
「おおっ、鹿か。流石マスター」
「魔物だったら良かったんですけどね」
肩に鹿を担いでキャンプ地まで戻ってきたレイを見て、エリナは茶化すようにそう言った。
既にキャンプ地の撤収作業は終わっており、ヒグマも結界が砕かれて運び出されていた。
そこにあったのは引っ越しでもするような膨大な荷物だ。
獲物が増えた分、帰りの作業は行きよりも重労働だ。
「さて、お家に帰りましょうか」
「金があれば獲物の運搬に人を呼べるんだけどな」
「うちは貧乏ギルドなんです。我慢してください」
「あぁ。そうだったな」
地面に並べられた荷物の分担を決めると、軽トラックを停めたダムの方まで二人は獣道を下っていく。
因みに身体的な力関係から、役職が上でもレイのほうが荷物は多い。
互いに均等になるようにカバンを背負い、レイは鹿一頭と袋でまとめたヒグマを両肩に乗せて担いでいる。
魔法種であるレイにとってはそこまで負担のある重量ではないのだけれど、人影がそこにはなく、遠くから見れば奇妙な生物が動いているような珍妙な姿でもあった。
しばらくして何事もなくダムまで戻ると、獲物やカバンを荷台に積み込むと軽トラックを走らせた。
念の為に落ちないようにと、レイは獲物とともに荷台に乗って風を浴びている。
「魔法石が取れてればなー」
レイは結界を作るのに使った魔法石を見つめながら、そんなことを呟いた。
魔法石は貴重で高く売れる。もし魔物を仕留めて、それを回収できていれば
──きっと今回の探索は大成功だったと言えただろう。
そう考えれば経営状況的にベストだったとはいえない。
しかし、この三日間では他の収穫もあった。
ヒグマ一頭に鹿二頭。それに自身の冒険者としての実力や相棒の力量の確認。
それらを把握するのにはやはり実戦が一番の近道だった。
だから初仕事を終えて、それなりに充実感もあった。
荷台から覗く風景は、山の緑から海の青へ、やがて人の香りのする見慣れた街並みへと移り変わっていく。
自分たちの帰る場所まではあと少しだ。