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006.エリナ、死す

 さて、どう時間を稼ぐのか。

 それがエリナに与えられたミッションだった。

 魔法種であるレイであれば、強化種程度であればどうやっても料理ができるので、取りうる選択肢はいくらでもあった。

 しかし、エリナはキャリアであり、他を圧倒する隔絶した強さがある訳ではない。

 正面からぶつかれば、十中八九、命を落とす。

 下手に孤立して応戦するような状況になれば、それこそ最悪だった。

 それは絶対に避けるべきことであった。


(……なら、まずは距離を保つ!)


 エリナは強化種と対峙したまま、一定の距離を取り、サークリングを始めた。

 強化種が前に出れば、エリナもまた横に滑るように動き、簡単には間合いに入り込ませない。

 足捌き、重心移動、視線の誘導。長年の経験から身に染みついた技術だ。

 強くはないといっても、熟練者の冒険者。戦闘経験には誇れるものがあった。


(さて、これでどれだけ時間を稼げるか)


 体感時間は一〇分以上過ぎているが、実際に消化した時間はものの数秒だ。

 絶対的な身体能力は全ての技術を凌駕する。

 そのお手本を見せるかのように、強化種はコンマ一秒の隙を見逃さず、一気に加速して牙を剥ける。


「ふんっ!」


 エリナの武器はナイフのような短刀だ。二刀流のような器用なことはできない。

 強化種に距離を詰められるのは予測の範疇。

 そのタイミングに合わせて、エリナは短刀を振り回した。


 しかし、相手は強化種である。

 そこには魔力障壁があった。エリナの魔力程度であれば、干渉は不可能であった。

 その攻撃はそよ風であるかの如くエリナの刃先を簡単に弾き飛ばすと、巨体をエリナへ衝突させた。


「ぐっっ!」


 強化種は見事にエリナの体勢を崩した。

 だが、エリナはなんとか脚先に力を込めて踏ん張った。

 その衝撃によって、つま先がぐいっと土にめり込まれる。

 そしてその反動を利用して、すぐさま後方に跳躍する。

 もう一度距離を作るためだ。

 着地するとすぐに体重を移動させて足を動かし、強化種の背後へと回り込む。


(こっちにも何かあると匂わせないとな)


 エリナは強化種を倒せるようなダメージを与えられるとは思っていない。

 だが、相手を慎重にさせて時間を稼ぐのには、ある程度攻撃をして警戒させることが必要だ。

 その警戒心を適度に与えて時間を稼ぎながら立ち回る戦略だった。

 しかし、強化種はこのエリアの食物連鎖の頂点であった。

 技術や経験ではなく本能で、既にエリナの力量を正確に捉えつつあった。

 エリナの動きに後れを取ることなく、反射的に身体の向きを変えてその策略を封じた。

 そして距離を潰して襲いかかる。


「ぐわっ!」


 エリナはすぐに反応する。

 それは強化種の動きからの予測ではない。


(私は何のためにヒグマとあんな無茶に戦ったんだ!)


 エリナはヒグマとの戦闘を思い出し、自分に問いかけた。

 レイに戦闘を譲らなかったのは、単に仕事をこなすためだけではない。

 エリナ自身に残る傷跡のしこりを拭い去るためであった。

 そして、男としての意地もあった。


(アインスの二の舞いを引き起こす訳にはいかないんだよ!)


 アインスの死。

 それは、エリナの『未熟さ』が招いた結果だった。

 アインスの相手は強化種ではなく正真正銘の魔物であったけれど、アインスが不覚を取ったのはエリナの戦いが未熟であったからだ。


 もし、私が一撃でも喰らわせていれば。

 もし、私が上手く体勢を入れ替えられていれば。

 もし、魔力を正確に制御できていれば。

 何より、私がちゃんと戦いと向き合えていれば。


 それができていれば、アインスが無惨に死ぬことはなかったことだろう。

 アインスが殺されてから、激しい悔恨と黒々と光る地底の虫が身体に這いずり回ってくるような恐怖の毎日であった。

 その、魔物に喰われた瞬間が、地獄へと引きずり込む呪いのように、脳裏から決して離れない。

 その逃れることのできない悪夢を振り払うために、あえてヒグマと無茶で激しい戦闘を行うことで、同じ轍を踏まないようにしていたのだった。


「人間を舐めんな!」


 強化種はその強靭な肉体から、ひとたまりもない鋭利な爪を振りかざした。

 エリナは身体を逃がしながら、完璧に魔力の移動を成功させて、その攻撃を魔力障壁で防ぎ切る。


 それだけではない。

 その瞬間を見逃さない。


 瞬く間に位置を入れ替えて背中を取ると、ガラ空きの背後から組み付いた。

 そして短刀を何度も振り下ろした。


「オラオラオラオラッ!!」


 エリナのありったけの力を振り絞った攻撃が、魔力障壁と衝突する。

 魔力障壁を破る原理は単純だ。

 魔力と魔力が惹かれ合う性質を利用して同調させ、障壁という名の結界の制御を奪うことだ。

 そのためには膨大な魔力を一気に注ぎ込むか、繰り返し接触させて綻びを作ることが必要だ。

 エリナの狙いは当然後者であった。

 人間であれば何度も刺殺するような激しい打撃を何度も首筋へぶつけた。

 障壁を破るための“綻び”を作るために、何度も何度も魔力を接触させる。


 だが──限界は明白だった。


「ぐわっっ!」


 強化種はリスクを背負って組み付いたエリナを容易く振り解いた。

 身体能力の差は天と地といえるほど歴然であった。

 エリナの体は地面に投げ出され、着地にも失敗し、尻餅をついた。

 エリナの全力の攻撃も、強化種の魔力障壁を打ち破るほどの強度ではなかった。

 強化種は瞬く間に地面に転がった隙だらけのエリナへと襲いかかる。

 エリナは蹴り上げて立ち上がる時間を作ろうとするが、所詮それは赤子の抵抗でしかなった。

 強化種はびくともせず、そのまま覆い被さって、人間の自由を奪った。


 なんとか膝をもう一度持ち上げて身体をずらした。

 蹴り上げようともする。

 しかし体重差に圧倒されて自由が利かない。

 絶体絶命の不利なポジションを取られてしまった。


(ここまで、か……)


 エリナはなんとか両腕を持ち上げてガードの体勢を作り、そこに魔力を集中させる。

 強化種は押し潰すように乗りかかり、自由を剥奪する。

 爪の一撃が、幾度となく魔力障壁に叩き込まれる。

 エリナの身体が、そのたびに激しく揺さぶられた。

 一撃の重みが異常だ。

 次から次に繰り返される攻撃の度にエリナ熟練の魔力障壁には歪みが生まれ、修復が追いつかない。

 豊富ではないエリナの魔力は簡単に摩耗していった。


(……私は死に場所を探していたんじゃないだろうか)


 腕の隙間から見える強化種は息すらせず、鼻歌でも口ずさめそうなほど余裕のある表情だ。

 単調な攻撃の繰り返しであるこそ、生物としての絶対的な格差を見せつけられるようだった。

 勿論全身全霊を持って、エリナはこの戦いに挑んでいる。


 あのときもそうだった。

 時間を稼いでくれ。


 その意味は文字通りに時間を確保することではなく、最低限均衡を保ち、自分たちが有利に立つ状況を作ることだった。

 あのときの本音をいえば、本物の魔物を前にしてビビり散らかしていた。


 そして、想定外の連戦でもあった。

 逃げ腰になってしまい、覚悟を決めたときには、あっさりと危険な状況へと陥ってしまった。

 結果、アインスが致命傷を負うキッカケを作ってしまった。

 敢えて自ら危険な戦法を選んだヒグマとの戦い。

 さらに、この強化種との戦い。

 それはこういった圧倒的に不利な状況を作るのではなく、アインスの二の舞いを引き起こさないためであった。

 であるならば、最低限、彼が最も大切にしていた倅を巻き込むわけにはいかない。

 そろそろ一頭くらいは倒してくれていることだろう。

 そう考えれば気持ちもすっと楽になる。

 私が死ねば、強化種はレイへと標的を変えるだろう。

 三頭は難しいかもしれないが、二頭であれば十分にレイは相手できる。

 もうそろそろ、命綱である魔力障壁も奪われてしまう。


 アインスの姿がフラッシュバックする。

 私はアイツが大好きだった。

 大事な親友であり真の友人であった。


(アイツのところに行くのも……悪くねぇな)


 地面からは、もう一頭、自分の方に向かってくる振動が伝わってくる。

 レイは不覚を取ったのだろうか?

 いや、強化種からすれば、私を仕留めてからレイに挑んだほうが楽であるからだろう。

 中々賢いヤツだ。

 私が奴らの立場なら絶対にそうする。

 だって、一対三であれば流石に有利だと考えるもんな。

 たとえその一人が弱者でも、相手が増えればそれはそれで面倒だからな。


 レイ、魔法種はどうせ早死だろう?

 先で待ってるから、いつかそこで酒でも呑もうや。


 アインス、一番美味い酒を用意しておけよ。

 肴は私が用意するからさ。


 ズカズカと地面を踏みしめるような足音。

 魔力が切れて、一気に全身が軽くなる。

 次の一撃で私の人生は終着だ。


 しかし、そのときはまだ訪れなかった。


「エリナさん!」


 空気を割くように、少年の声が響いた。

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