004.魔物だって馬鹿じゃない
今回の魔物探索は三日間の予定だった。
しかし、下山の時間を考慮すると、二日目である今日が狩りの本番であり、実質的な最終日でもある。
まだ薄暗さの残る朝、日の出とともにレイはテントから出る。
ゆっくりと明るくなっていく空を見上げながら、大きくあくびをし、背を伸ばした。
「エリナさ~ん、朝ですよ~」
「……ぅぅ」
レイはテントの中に籠もったままのエリナに声をかけると、白い息を吐きながら火を起こし、体を温めつつ朝食の準備を始める。
しばらくして、すっぴんのエリナが眠い目をこすりながらテントから出てきた。
昨夜の残りの肉を焼き、二人は簡単に朝食を済ませる。
「今日こそは魔物を狩りましょう」
「あぁ、そうだな」
探索の準備を終えると、昨日とは違うルートを進んでいく。
魔物の出現には主に二つのパターンがある。
一つは、突如発生するものだ。
これは予測ができず、人が多く住むエリアでも悪夢のように現れることがある。
二つ目は、迷宮から発生するもの。
サウスウエスト付近にも迷宮が一つ存在し、確実に魔物を狩るなら迷宮へ向かうのが手っ取り早い。
しかし、今回はそれができなかった。
迷宮は貴族の管理下にあり、立ち入るには申請が必要だ。
それには正当な理由もある。
魔物は人間、特にキャリアや魔法種を喰らうことでより強化されてしまう。
そのため、安易に素人が足を踏み入れないようにするための措置だった。
だから迷宮に入る場合は、貴族や魔法種たちで組織された調査団と共に行動するのが基本となる。
今回の探索は短期間で決まったものなので、当然、申請などしていない。
だが、迷宮に近づけば、溢れた魔物と遭遇する確率は高まる。
父の残した地図に記された魔物スポットも、迷宮に近づくほど密集していた。
そうした事情もあって、昨日はベースキャンプ付近を探索するルートを選んだが、今日の進行ルートは迷宮を目指す本命のルートだった。
「魔物の気配は……ないですよね」
最初のスポットに到着したが、魔物の気配を感じ取ることができない。
レイは確認するためにエリナへ声をかけた。
「多分な」
エリナは軽い調子で答える。
「ていうか、レイがわからなかったら、俺には確実に無理だぞ。魔法種じゃないからな」
キャリアの中には魔力感知に優れた者もいるが、エリナはそのタイプではない。
念のため、改めて自分の能力を理解してもらうために、強調するようにそう言った。
「ですよね……」
レイは少し残念そうに答えると、騎士学校時代に魔力感知の訓練を真剣に取り組まなかったことを悔やんだ。
魔法種には魔力を感知する能力があるが、レイは特に気配を探るのが苦手だった。
全くできないわけではないが、騎士学校でも上位だった戦闘能力と比べると、魔力感知の技術は赤点ギリギリ。
真面目ではあったものの、苦手なことを後回しにする性格が、ここで裏目に出ていた。
「やるっきゃないか……」
二人は早々に諦め、次のスポットへと向かう。
そこからの道はさらに険しくなり、傾斜も強く、人が歩いた形跡すらない道のりを進んでいく。
しかし――
二つ目、三つ目のスポットを経由しても、魔物の気配はまるで感じられなかった。
何も手掛かりすら掴めない状況に、レイは焦りを隠せなくなってきた。
「ここまで現れないと、さすがに不安になりますね……」
「そうか? これくらいは普通だぞ」
レイの不安をよそに、エリナはあっさりと答える。
「そうなんですか?」
「あぁ。アインスのときもそうだった。もっとも、アイツもレイと同じように、魔力感知は苦手だったけどな」
エリナはアインスの若い頃を思い出しながら、噛みしめるように言った。
「そんなところは遺伝してほしくなかった……」
そういえば――父も魔力感知が得意ではないと言っていたな。
レイはその事実を思い出し、苦笑する。
「辛抱強くやらないといけないんですね」
「そうだな。魔物と出逢えたらラッキー、見つからなかったら寿命が伸びて感謝。アイツはいつもそんなことを言っていたよ」
「経営、大変だったろうに……ずいぶんポジティブですね」
父の経営の苦労を知っている今、その言葉は能天気すぎるようにもレイには思えた。
「感傷に浸る暇があるなら、目の前を足掻け――だろ?」
レイの表情を見て、エリナがからかうように言う。
「……甘えんなよ」
「えっ」
「もう一度言う。甘えんなよ」
レイは以前に自分が放った言葉をそのまま返され、恥ずかしさに思わず顔を背けた。
「えっと……まだ迷宮までは距離がありますし、どんどん進みましょう!」
小恥ずかしさを誤魔化すように、レイは前を向く。
再び歩き出すと、これまでの険しい道とは打って変わって、広く開けた歩きやすい道へと変わっていった。
時折、息を切らしながら進んでいた山道も、今はハイキングのような穏やかな道のりだ。
魔物の気配を探りながら進むが、なんとなく鼻歌でも歌いたくなるような気分になってくる。
すると、エリナが突然立ち止まり、クスクスと笑い出した。
「どうしたんですか?」
不審そうに振り返ると、レイは首をかしげた。
「いや……レイの後ろ姿を見てたらな、やっぱり親子だなって思ってさ。アインスにそっくりだ」
「似てますか? ずっと似てないって言われてきたんですけど」
レイは母親似だった。
男らしい外見の父とは違い、中性的な顔立ちをしていたため、幼い頃はよく女の子と間違えられたものだ。
しかし、尊敬する父に似ていると言われるのは、悪い気がしない。
「男は歳を重ねると、父親に似ていくんだろうな。色んな意味で」
「そういうもんなんですかね。エリナさんはどうなんですか?やっぱり母に似てくるとか」
「私は親父に似てきたな」
エリナの背格好を見る。
よく見れば顔は整っているが、女性にしては背も高く、髪もショートカットで肌も浅黒い。
口調も男らしく、父の姿こそ想像できるが、母親の姿は浮かんでこなかった。
「私はおばさんというよりは、おっさんだろう」
「なるほど」
「おい、少しは否定しろ」
当然、エリナの幼少期など知るはずもないが、男臭さを溢れんばかりに醸し出しているエリナを改めて拝見して、レイは素直に頷いた。
ただでさえ魔法種は性欲も少ない。これでは父とも間違いを起こしようがない。
「結局親父と同じように離婚して、フラフラとその日暮らしている姿はまさに親父の歩いてきた道のりだ」
「そういやバツイチなんでしたっけ」
「そうだ。娘とはレイも会ったことあるんだぞ?」
「そうなんですね。覚えてないですけど」
レイにはエリナの娘の姿の記憶がなかった。
確か離婚して旦那さんと首都に引っ越したよと、父から聞いたことがあった。
「顔を合わせたのはよちよち歩きのときだけどな」
エリナはボソリとそう言うと、娘の姿に焦がれたのか、遠い目をしていた。
エリナは化粧っけもなく、よく言えば冒険者らしい女性だ。
実は子持ちでしたと聞けば、驚く人の方が多い。
けれどそんな意外な姿を見せたエリナに、レイは悪いことを聞いちゃったなと、反省して話を戻した。
「でも、なんでこう魔物は現れてくれないんですかね?ただ単に運が悪いだけなのかな」
「それなんだけどな。一つ仮説はあるぞ」
「仮説?」
エリナは考えていた核心に触れる指摘をする。
「レイ、お前は魔力が多いだろ? それ、隠してないよな?」
「あっ……」
エリナの指摘に、レイは思わず声を漏らす。
「魔物はそんなに馬鹿じゃない。強力な魔力を感じ取って、それを避けてるんじゃないか?」
レイは自分の身の上を振り返り、あり得ると思った。
騎士と冒険者では、強さとの向き合い方が違う。
レイが学んだ騎士の強さとは、魔物を寄せ付けない強さであり、防衛するための他を圧倒する抑止力と同義であった。
一方、冒険者の強さとは、生活するための、暮らし向きを良くする現実的な強さだ。
だから騎士学校でも魔力感知はそこまで重要視されなかったし、それに通じる魔力の隠蔽技術も、戦闘能力ほどは重視されなかった。
隠せない魔力はむしろ誇るべき才能であり、学内のカーストにも影響を与えるほどのステータスだった。
「魔力感知が苦手って聞いてな、もしやと思ったんだ。単なる因子持ち程度の魔力なら影響はないだろうけど、お前は魔法種だろ?それも、騎士学校で上位になれるほどのな。そう考えると、魔物がレイを恐れて逃げてる可能性は十分あるよな」
「……仮説どころか、それ、確実な気がします」
レイはエリナの説明を正当なものだと理解して表情を曇らせた。
大半の魔物を殺せる力を持つ自分を魔物が避けるのは自然なことだろう。
人類を脅かすことが目的の魔物にとって、自分のような存在に近づくことはリスクでしかない。
レイは冒険者としての格を上げるために、騎士学校へ通っていた。
確かに、魔物を狩るのに十分な戦闘力を得ることはできた。
だが、それが必ずしも冒険者に適したものではなかったことを、今、思い知らされていた。
「すみません。僕のせいだったんですね」
魔物が狩れなかったのは、ただ運が悪かったわけではなかった。
レイがその事実に肩を落とすと、エリナは年長者らしく、優しく励ました。
「いや、別に責めてるわけじゃないさ。魔物は狩れなくても、ヒグマは確保したんだ。経営には厳しいかもしれないが、多少は金になる。冒険者ってのは、そういうもんだぞ?」
エリナはそう言いながら、レイの背中を軽く叩く。
「お前の親父も、冒険者になってから魔力の隠蔽を練習したって言ってたよ。レイもアインスと同じようにやればいいさ。それに、アイツよりずっと若いんだ。強さはすでにそれ以上だし、すぐに立派なギルドマスターになれるさ」
「……そうですね。努力します」
「そうそう。落ち込んでても仕方ないしな」
「まさかエリナさんに励まされるとは」
「立場が逆転したな」
「年齢的にはこっちが自然ですけどね」
二人は昨日のやりとりを思い出し、顔を合わせてくすくすと笑う。
レイは自分の思い上がりを恥ずかしく思い、気を引き締めた。
強さがあれば、簡単に冒険者として活躍できると思っていた。
騎士学校に入る前も、何度か父の手伝いをしたことがある。
そのときは、細かい技術や気配りに目を向けることなく、魔物に立ち向かう強さばかりに憧れていた。
しかし、実際には、そうした「小さな技術」こそが、真の冒険者には必要だったのだ。
「とはいえ、我がギルドは魔物を狩らなければなりません。やれることは、できる限りやりきりましょう」
「そうだな。その意気だ」
二人は気を取り直し、次のポイントへと向かおうとした。
そのとき――
遠くから、何かが迫ってくる気配がした。
強い風が吹きつけ、まるで危機を知らせる鐘のように、肌をざわつかせる。
そして――
次の瞬間、激しく迫る「それ」が、すでに射程距離に入っていた。
「……ヒグマ? いや、これは……」
二人の表情は、一瞬で険しいものへと変わる。
目の前にそびえ立つのは――
ヒグマよりも獰猛で、より強大な、三頭の魔物だった。