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003.ジビエと酒とスパイスと

「うまくいかないもんですね」

「最初はそんなもんさ」


 ヒグマを解体した後も、しばらく探索を続けた。

 しかし、途中で野兎を数匹仕留めただけで、肝心の魔物とは遭遇しなかった。

 陽が落ち始める頃、二人は撤退を決め、キャンプ地へと戻る。


 標高の高い場所にあるため、日が暮れるにつれ気温はぐっと下がっていった。

 二人は暖を取るために、火種になるものを集め、枯れ木を適当に折りながら石を積み上げて焚き火の準備をする。


「ふぅ……寒いな。マスターの門出なんだから、今日はしっぽりやりましょうや」

「そうですね。沈んでいても仕方がないですし」


 即席の焚き火台が完成すると、レイが魔法で火を灯す。

 炎は瞬く間に燃え広がり、木々はパチパチと小気味よい音を立てた。

 焚き火の暖かさがじわじわと体に染み込んでいく。

 レイは食事の準備のため、調理器具を取り出して並べた。

 一方、調理担当のエリナは、仕留めた野兎を手際よく捌き、自家製の調味料を振りかけた後、焼き網の上に並べていく。

 夕食は、狩猟の終盤で仕留めた新鮮な野兎の肉だ。


「レイも飲むか?」

「あぁ、いただきます」


 エリナはスキットルを片手に揺らして誘う。

 レイもコップを取り出し、注いでもらった。


 酒は百薬の長――魔法種にとってはなおさらだ。


 魔力の回復を促す、いわば万能薬。

 中には、酩酊しながら戦う魔法種もいるほどである。

 二人はコツンと杯を重ね、それぞれの喉へと流し込んだ。


「やはり、山で飲む酒は格別だな」


 エリナは蒸留酒を喉で味わい、満足そうに微笑む。


「エリナさんが仕事してくれて助かりました」

「よせよ。レイだったら、もっと簡単にやれただろう」

「そういうことじゃないです。本当は、今日一人で全部やらないといけないんじゃないかと思ってたんですから」


 少なくとも昨日までのエリナは、とても仕事ができる精神状態とは思えなかった。

 だから、レイは最悪、一人で山に籠もる覚悟をしていた。

 だが、こうしてちゃんと同伴してくれた。

 それだけでも、大きな一歩だと感じていた。


「一緒に来てくれただけで、僕は嬉しかったんですよ。だから、感謝です」


 レイが素直に感謝の言葉を口にすると、エリナは照れくさそうに顔を背けた。


「……まあ、仕事だしな」


 話題を逸らすように、エリナは焚き火を見つめ、肉の焼け具合を確かめる。


「おっと。火力が強いから、すぐに焼けるな」

「いい匂いですね」


 エリナは焼き網の上の肉をトングで返す。

 炎の勢いが強いため、片面にはすでに香ばしい焼き色がついていた。


「ほれ。新鮮な兎は美味いぞ」


 両面がしっかり焼き上がると、エリナはシェラカップに肉を取り、レイに手渡した。


「うん、美味しい。さっぱりしてるけど、しっかり味がついてますね」

「酒の肴にはバッチリだ」


 口に入れた野兎の肉は歯ごたえがよく、嫌な臭みもない。

 脂身が少なく、いくらでも食べられそうな味だ。

 レイは、空になった網の上に次の肉を乗せる。

 焚き火の火力が強いため、あっという間に焼き上がり、すぐになくなってしまいそうだった。


「それに、このスパイスも美味しいですね。これって自家製ですか?」

「あぁ、そうだけど……サウスウエスト直伝のやつだ」

「これ、売れませんかね? 市販してみるとか」

「どうだろうな。そんなこと考えたこともなかった」


 レイは肉を口に運び、今度はじっくりと舌で味を確かめる。

 塩胡椒だけでなく、ガーリックや数種類の香辛料が調和し、肉の旨みを引き立てていた。

 ほどよい野性味があり、思わず手が止まらなくなる。

 気づけば、レイは次の肉をすぐさま口に放り込んでいた。

 そして、何かのスイッチが入った。


「……うん、これはいける。肉だけじゃなくて魚にも合いそうだし、焼き物なら何でもいける。各家庭に一瓶あれば便利だろうし、エリナさんを働かせる手にもなる。売上が伸びれば、別に人を雇えばいい。エリナさんで作れるくらいなら、きっと誰でも作れるはず。採算ラインはどのくらいか? 原材料の仕入れ値が課題か……でもetc」

「おい、ちょっと私の評価低くないか?」

「あぁ、すみません。でも今は経営が苦しいので、お金になりそうなことは何でもやらないといけないんですよね」


 自分の世界に入って早口になっていたレイはエリナに引き戻されると、ギルドマスターらしい現実的なことを言った。

 すると、酒も回ってしっぽりと朗らかだったエリナは、憂いを帯びた表情へと変わる。


「……本当に苦しいんだったら、私を首にしてくれてもいいんだぞ?」

「それは絶対にしません。それをやるくらいなら、一緒に潰れます」


 エリナはギルドのために、自分を切ることを提案した。

 経営のことはからっきしだが、恩人の倅に苦労をかけるのは忍びなかったのだろう。

 しかし、レイは迷わず首を横に振る。

 そんなことをすれば、自分がギルドを引き継いだ意味がなくなる。

 弱小ギルドとはいえ、これまでに築き上げた歴史や文化、受け継がれてきたものがたくさんある。

 それを守り、発展させることが、自分の役割だと考えていた。


「私はそんな大した人間じゃないぞ? お前の親父に拾ってもらわなきゃ、社会不適合で野垂れ死んでたようなやつだ。おまけに、恩人を……お前の親父を殺したどうしようもない女だ。生きてる価値があるのか、本当に分からんやつなんだよ」

「エリナさんっ!」


 レイは、自己嫌悪モードに入りかけたエリナと向き合い、声を張り上げた。

 エリナは驚いて、思わず目を見開く。


「自分を過小評価しないでください。これからも一緒に戦っていくんですよ? 頼りにしてるんですから、本当に」


 レイは、真正面からまっすぐに気持ちを伝えた。

 これはただ部下を励ますための言葉ではない。

 ギルド経営の中で、数少ない頼れる存在――それがエリナだった。


「……あぁ、すまん。全く……言いたくないこと言わせちまったな」


 エリナは苦笑しながら、素直に反省する。

 年長者であるにもかかわらず、こんなことを若造の前で口にするのは情けないと感じながら。


「それが分かっていれば、今は十分です。ほら、エリナさんも冷めないうちに食べましょう?」

「そうだな」


 レイは、酒ばかり飲んでいたエリナに食事を勧める。

 まだ狩りの初日だ。こんなところで暗い気分になっていても仕方がない。


「そうだ、野兎は生でも美味いんだぜ」

「それ、僕も聞いたことあります」


 エリナは残りの野兎を捌き、薄くスライスしていく。

 瓶詰めからおろしニンニクを取り出し、スプーンで掬ってシェラカップに落とす。

 最後に醤油をたっぷりと注ぎ込んだ。


「ほれ」

「うん……これも絶品だ」


 まな板に並んだのは、野兎の刺身。

 レイはまな板から直接フォークで刺し、シェラカップのタレに軽く漬ける。

 口に運ぶと、ニンニクと醤油の風味が肉のあっさりした味と絡み合い、ちょうどいい濃厚さが広がった。

 続いてエリナもひと切れ口に運ぶ。

 しっかりと咀嚼して味わい、最後にアルコールで流し込んだ。


「ぷはー、こりゃあやめられねえな。野営の数少ない楽しみだ」

「目的は達成できなかったけど、これを食べれば、一日ぐらいまっいっかって思えますね」

「私たち冒険者は、むしろこれが目的だったりするくらいだからな。猟が失敗したら、ただ寒いだけで目も当てられないけどな」

「ほんと、食事の準備だけは調子いいですよね。スパイスだけじゃなく、おろしニンニクやタレ、果ては酒まで持ってきてるなんて」

「なんだ? むしろ助かっただろ」

「まあ、そうですけど」


 焚き火の炎がゆらめく中、まだ残りの肉は十分にある。

 先行きが不透明な経営のことで頭を悩ませていたレイにとって、この食事は肩の荷を少し軽くしてくれる、そんな夜食となった。

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