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001.受け継いだ実家の冒険者ギルドはワンオペ経営難でした

中世ヨーロッパは食傷気味なので、一九世紀後半の欧米っぽい世界観(魔法あり、一部オーバーテクノロジー)をイメージしています。

 久しぶりに実家で家族と朝食を囲んでいた。

 とはいっても、小学生のときに母が、先日に父も亡くなったので、前に座るのは妹のレイナだけだ。

 レイの三つ下の中学生である妹は、朝食の箸を止めると、ひと息ついてから静かに言った。


「おにい、本当に良かったの?」

「嫌々やる訳じゃないから大丈夫だよ」

「でも、騎士学校辞めちゃうんでしょ?」

「それは仕方がないよ。通える距離じゃないし」


 騎士学校は首都にあり、ここサウスパレスからは電車で一日掛かる距離にある。

 どう考えても働きながら通える距離ではなかった。

 あと一年もすれば卒業であることを考えれば、少しばかり名残惜しさがあるのも嘘ではない。

 しかし、それ以上に大事なものがレイにはある。


「無理しなくてもいいんだからね。私のこと、気遣う必要もないしさ」


 レイナは自分のために兄が騎士学校を辞めて、家業とはいえ生活のために働くことには反対だった。

 生きていれば父だって同じように反対したことだろう。

 何なら家業である冒険者ギルドを誰かに売っ払っても問題ないとさえ考えていた。

 無理をしてまで跡を継ぐ義務などないという考えだ。


「本当に大丈夫。責任感だけで引き受けたわけじゃないんだよ。俺がやりたかったことは、本当は騎士じゃなく冒険者だったから。予定が少しばかり早まっただけだよ」

「だったらいいけどさ」


 レイはギルドマスターになったことを本当に後悔などしていない。

 身内の不幸とそのドタバタによって年相応の気疲れこそ引き起こしていたが、決して家庭の事情だけでその役割を引き受けた訳ではなかった。

 予定が早まったとはいえ、来たるべきときが来たのだと冷静に受け止めていた。


 とはいえ、妹が身の上を心配してくれるだけでレイは救われた気にもなる。

 最近は険しい表情ばかりであったけれど、じゃじゃ馬娘であった妹が知らぬ間に成長した姿を見て、自然と頬が緩んだ。


 レイナは箸を動かし始めると、違う話題を口にした。


「そうそう、最近リアイ姉に勉強教えて貰ってるんだ」


 リアイとは家族ぐるみで付き合いのあった幼馴染のことだ。

 レイとは同い年で、レイナは本当の姉のように親しくしている関係だった。


「そっか。リアイは頭良いもんな」

「うん。賢いし綺麗だし、なんだか憧れちゃう」


 レイたち兄妹には、父以外に頼れる身内が近くにいなかった。

 それは、父と母が駆け落ち婚だったからだ。

 どうして駆け落ちしたのか、両親は決して語らなかった。

 墓場まで持っていくと言い、本当にその言葉通りにしてしまったくらいだ。

 しかし、駆け落ちという選択にはこんな形で代償がついてくるのかと、レイは体験することになる。


 その代償とは、葬式の取り仕切りだった。

 どこから手を付ければいいのか見当もつかないまま、数少ない家族だけで全てをこなさなければならなかったのだ。

 当然のように途方に暮れていたところ、手を貸してくれたのがリアイたちフォーデン家だった。


「今度会ったら何かお礼しなきゃな。お菓子でも買ってきて、渡しておいてくれないか?」

「うん、そうだね。お葬式手伝って貰ったもんね」

「じゃあ、そろそろ俺は家を出るね」

「うん。食器はキッチンまで運んでおいてね」


 レイは空になった自分の食卓の食器を片付けると、自宅から新たな職場へと足を運んだ。


 冒険者ギルド・サウスパレスウエスタンエリア支部、通称サウスウエストは文字通りサウスパレスの西部にある商店が連なった場所に事務所を構えている。

 事務所は古びた石造りの二階建てで、一階には小さな受付と事務スペース、冒険者がたむろできるオープンスペースがあり、二階には執務室と会議室が設置された構造だ。

 事務所に常駐している職員はパートが一人、そして正職員が一人であることを考えると、余分に贅沢な広さがあった。


「父さんは凄い人だったんだな」

「いや、これは本当に正しかったことなのだろうか」


 執務室の棚に並んだ資料を手にとって、レイはぼんやりと口にした。

 亡くなった父は当然のように引き継ぎ資料を準備していなかったので、ここ数日のレイは片っ端から残された資料を読み漁って、ギルドの現況を把握するように努めていた。


 そこで分かったことは、父はギルド運営に必要な事務作業や営業活動を一手に担っていたことだ。

 以前、ギルドを一緒に切り盛りしていた母の代わりを雇うことはしなかったと言っていたので、母が亡くなった後は父が一人でやっていたということだろう。

 確かに経費は安くつくだろうし、一人ですべてをこなしていた父は偉大だったと思う。

 しかし、こうして後を引き継ぐ立場から見れば、はっきり言って迷惑だった。


「あの、ちょっとこの状況で言い辛いことなんですけど」


 レイの作業を手伝ってくれているのはパート職員のミサエだ。

 元々受付を担当しており、事務作業は機械的な作業を手伝うだけで、多くを知るわけではなかった。

 しかし、他に頼る当てもなかったので、こうしてレイの横に並んで、レイの知りたいことを知っている範囲で答えてもらっている。


「アインスさんとは以前から調整をしていたんですが、今週いっぱいでここを辞めることになっているんです」

「えっと、本当ですか?」


 レイは作業の手を止めて、初めて知る事実に驚いた目を向けた。

 ミサエは申し訳無さそうに頷く。


「本当はここで長く働けたらとも考えてたんですが、子育ても落ち着いたところ、別のところからフルタイムの正職員で働かないかとお声掛けしてもらってまして。どうしてもパートだと、その、生活もありますし、それにアインスさんも経営的に長時間働かせるのは難しいとおっしゃっていたので」

「そうですか。残念です」


 レイは事実を受け止め、素直に肩を落とした。

 本当は引き止めたかった。

 けれど、理由を聞けば納得するしかなかった。


 そして、数日調べて見てはっきりと分かったことがある。

 それはこの冒険者ギルドの経営状況が 非常に厳しいということだ。

 年々、職員の減少に比例するように売上も落ち続けていた。

 幸い、建物の償却は終わっているものの、借入金が残っており、キャッシュフローは今にも底を突きそうだ。


 さらに、父の死後は組合内の混乱も重なって、殆ど売上が立たなくなっていた。

 正職員とはギルドに常駐する職員のことであり、業務の有無に関わらず毎月固定の給与を支払う必要がある。

 ミサエを引き止めるためには、最低でも正職員として雇用することが誠意を示す条件だ。


 だが、それは苦しい経営状況の中でさらに固定費を増やすということであり、今のギルドにはそんな余裕はなかった。

 父が不覚を取ったのは、経営不振のギルドをたった一人で支え続けた過労やストレスもあったのではないかと考えるくらいだ。


「代わりに入る人は聞いてなかったですよね?」

「アインスさんが一旦引き受けるとだけ」


 レイは指先でこめかみを押さえながらゆっくりと息をつく。

 父はどれだけ働くつもりだったのだろうと。

 営業活動や事務だけでなく現場にも出るのだから、身体がいくつあっても足りなかったのではないだろうか。


 恐るべきワンオペレーションギルドマスターだ。


 自らの意思でギルド長を引き継いだとはいえ、容赦のない無慈悲なこの状況を恨みたい気分にもなった。


「はぁ。流石に一人だと厳しいので、エリナさんにもやってもらいますか」

「……」


 レイは状況を受け入れて作業を止めると、受付のある一階へと向かった。


 エリナはサウスウエストで唯一の正職員であり、父の長年の相棒でもあった実力者だ。

 魔法種と違って魔法は使えないが、魔力を扱うことができるキャリアと呼ばれる人種でもあり、レイにとっても幼い頃からの馴染みの女性だった。

 実戦経験も豊富な、サウスウエストの現場を支える頼れる冒険者のはずだった。


「……」


 受付のあるオープンスペースは組合員たちが交流を深めたり、依頼内容の確認や軽い商談など、ミーティングができるようにいくつかの島が用意されている。

 人が沢山いれば、そこには活気のある景色が広がっていたことだろう。


 しかし、エリナ以外には人がおらず、ガランとした殺風景な空間が占めていた。


 それはまだいい。


 本当は良くないが、経営危機に直面しているといってもいいこのギルドにはある意味相応の姿だ。

 そこにあったのは、室内ではあまり好ましくない臭いだ。


 一つはタバコの臭い。


 もくもくとした白い煙が空間に浮かび、もし嫌煙家であれば悪夢のような臭いが漂っている。室内は流石に禁煙ではなかったのだろうか?


 そして二つ目の臭いの元凶は、テーブルにぐったりと横たわっていた、女らしくない化粧っけの薄い中年女性と、酒が空になった銀色の寂れたスキットルだ。


「……朝っぱらからなにやってるんですか!ここは職場ですよ、エリナさん!」


 その職場にあるまじき無惨な光景に呆れながらも、新入りのギルド長として舐められないようにレイは大きな声を出した。


「あぁ、私は本当に駄目な人間なんだ」

「知っていますから。ほら、早くしゃきっとしてください」


 レイは灰皿にあったタバコの火を押し消すと、今にも酒臭くてドロンと死に絶えそうな目をしている、唯一の正職員でもあるエリナの身体を無理やりに起こす。


 エリナは決して真面目で清廉潔白な女性ではない。

 しかし、ここまで落ちぶれてしまったのには、それ相応の理由があった。


 それは、レイの父であるアインスの死に直接対峙しているからだ。

 アインスの死因は、魔物刈りの最中に腕を食い千切られたことによる大量出血死である。

 その惨劇が起こったのは、共に狩りに出ていたエリナが体勢を崩し、絶体絶命の状況に陥ったからだ。

 既に戦闘で消耗していたアインスは身を挺してその攻撃を引き受け、エリナを守った。

 そして、腕を失いながらも最後の一振りに全ての魔力を込め、エリナの命を繋いだ。

 つまり、エリナにとってアインスは絶対的な英雄であり、そのアインスを殺したのは自分ということだ。


『死ぬべきはアインスではなかった』


 あの最期の光景を思い出す度に、自らを責め続けるような日々を過ごしていた。

 しかし、レイにはそんなエリナを責めるような感情は一切ない。

 別にエリナが父を殺した訳でも無いし、魔物狩りは常に危険と隣り合わせの仕事だ。

 魔法種であるギルド長が部下を庇うのは当然の役割でもある。

 父が選んだ行動は感情だけでなく、現実的な戦略であったこともレイには理解できる。

 魔物は人間を喰らうと生物としての強さが一段と増すのだ。

 その獲物がエリナのようなキャリアであれば、より強さが際立って手のつけられない存在へと変貌する。

 局所の災難が厄災へと進化してしまうのだ。

 エリナが喰われていれば、そういった事態に発展していた可能性は十分にあり得た。

 もしも父が魔物から足を向けて逃げ出していれば、片腕を失うことがあっても、命を失うことまでは無かったかもしれない。

 しかし、再起不能な程の魔力を失ってでも、眼前に立つ魔物を倒すことが必要だったと父は判断したのだ。

 それは人類の守護たる騎士にも通ずる立派な精神であり、魔法種たる自分たちに課された宿命みたいなものだ。

 だからこそ、そんな強敵と父と共に立ち向かったエリナは十分に立派だった――レイは理性でも感情的にもそう考えていた。


「……レイはなんでそんなに冷静なんだ?」


 しばらく黙り込んで目をどろんとさせていたエリナはぼそりと問いかけた。


「父は最後まで職責を果たしたと、心の底から受け入れているからです」

「私のことを責めないのか?」

「責めませんよ。むしろ、全てを失わずに済んでよかったとさえ思っています。ボロボロになった父さんを運んでくれたのはエリナさんですし、エリナさんもこのギルドにとって大切な職員です。だから、自分を責めないでください」

「レイは立派だな。私なんて、あれから逃げてばかりだ」


 エリナは自嘲するように笑い、スキットルの表面を指でなぞった。


「僕はそんなに甘くないですから。ほら、水でも飲んで」


 レイはミサエが用意してくれた水をエリナに飲ませようとした。

 しかし、エリナはグラスに口をつけずに拒んだ。


「こうやって優しくされるより、お前たちに責められたほうが楽だったかもしれない」


 エリナはボソリとそう呟くと、逃げるように虚空を見つめた。

 次の瞬間——

 レイはそんなエリナの髪の毛を掴み、ぐっと顔を近づけて睨みつけた。


「はぁ?甘えんなよ」

「……甘えさせてくれよ。もっと私を責めてくれよ。何なら私を殺してくれよ」


 レイが裏返したような低い声を出すと、エリナは視線を逸らし、今にも泣き出しそうな声で言葉を吐き出した。

 レイは年長者とは思えないようなエリナの顔面を、そのままテーブルに叩きつけた。

 銀色のスキットルが驚いたようにガシャンと倒れ、置かれたグラスの水面はしゃぱんと波を立てた。


「うぅっ」

「もう一回言うよ。甘えんなよ」

「……」

「なんで自分が生き残ったとか、そんな意味とか考えんなよ。感傷に浸るなよ。そんなこと考える暇があったら、目の前をもっと足掻けよ、父さんのように」


 レイは間違いを犯した子どもを叱りつけるようにそう言うと、持ち上げたエリナの髪をそっと手放した。

 そして、すぅーっと深く息を吸って空気を入れ替える。


「聞いて下さい。このギルドは売上がまったく足りません。このままいけばエリナさんの今月の給与を払えないかもしれませんし、来月には潰れてしまうかもしれません。そこで、明日から魔物を狩りに向かいます。エリナさんにも当然働いてもらいます。いいですね?」


 レイはエリナの目を見据え、念を押すように告げた。

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