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018.初めての依頼

 来訪を知らせる鈴の音が、静かに店内に響いた。

 受付に座っていたマナカは顔を上げると、扉をくぐった年配の婦人と目を合わせる。

 冒険者ギルドには似つかわしくない、品のある身なりの女性だった。

 マナカは柔らかな笑みを浮かべ、言葉を使わず、視線だけで受付へと優しく誘った。


「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」

「あの、ご相談したいことがあって……」


 六十代ほどに見える品の良い婦人は、どこか落ち着かない様子で周囲を見渡していた。

 初めて訪れる場所に戸惑いを覚えているのが、所作の端々から伝わってくる。

 マナカはそれに触れることなく、手際よく依頼用紙とペンを取り出し、木製カウンターの上にそっと差し出した。


「かしこまりました。こちらの用紙にご記入をお願いいたします」


 ──依頼だ。

 胸の奥が、ほんのわずかに高鳴った。


 このサウスウエスト支部に持ち込まれる本物の依頼は、数えるほどしかない。

 だが、マナカはそんな高揚をおくびにも出さず、いつも通りの受付嬢としての笑顔を崩さなかった。


「とても可愛らしいお嬢さんが働いているのね」

「ふふ、ありがとうございます。最近、こちらで働き始めたばかりなんです」

「そうなの。おいくつ?」

「十七です」

「あらまあ。羨ましいわ。私はもう、すっかりおばあさんよ」

「そんなことないですよ。姿勢が良くて、とても上品で綺麗です」

「あらまあ……嬉しいこと言ってくれるのね」

「……あ、住所は町名までで大丈夫ですよ」


 マナカがそう添えると、婦人はくすりと笑ってペンを走らせた。

 短い会話のやりとりのなかでも、そこには不思議と穏やかな空気が流れていた。


 ──やっぱり、自分の年齢で受付をやってるのは少し珍しいのかも。

 そんなことを思いながら、マナカは用紙に視線を落とす。


「……これで、よろしいかしら?」

「ありがとうございます。記入に漏れがないか確認いたしますね」


 手際よく確認を済ませると、マナカはにこやかに言葉を継いだ。


「ギルドマスターを呼んでまいりますので、どうぞこちらのブースでお待ちください」


 婦人を小さな応接ブースに案内すると、マナカは奥の執務室へと向かった。

 執務室ではレイが一人、机に山積みの書類と格闘していた。


「レイくん。お客さんだよ」


 その声にレイはペンを止め、顔を上げた。


「……お客さん?」

「うん。しかも──初めての依頼」


 マナカはどこか誇らしげな表情で依頼書を差し出した。

 レイは受け取った書類に目を通しながら、ほんのわずかに眉を寄せた。


「ブースでお待ちいただいてるから、早く行ってあげて」

「……うん、そうだね」

「……あれ? あんまり嬉しくなさそう?」


 浮かない表情を見て、マナカは小さく首を傾げる。


「いや、そんなことないよ。まずは話を聞かないとね」


 そう言って立ち上がると、レイは書類を片手にブースへと向かった。

 マナカはその背を見送りながら、「私、飲み物の準備してくるね」と声をかけて給湯室へと消えていった。


「はじめまして。ギルドマスターのレイ・ディガードです」

「あら、ギルドマスターさんもずいぶんお若いのね」

「はい、最近代替わりをしまして。頼りないかもしれませんが、よろしくお願いします」


 レイが着席すると、婦人──マーサ・スクリーニャは柔らかく笑みを浮かべた。

 たぶん、こういう反応には今後も慣れていかなくてはならないのだろう、とレイは心の中で思う。


「では、マーサさん。ご依頼の内容について、お聞かせいただけますか?」

「はい。昨年の秋のことでした……夫が、山菜を採りに山へ出かけて、それっきり戻ってこなくなってしまって」


 マーサの声は穏やかだったが、言葉の端々に寂しさが滲んでいた。

 レイは相槌を打ちながら、手元の書類にも目を通す。


「警察には捜索していただきました。でも、遭難か、強化種に襲われたのではないかということで……事件性はないと判断され、捜査は打ち切られてしまって」

「……なるほど。それで、ご主人を探してほしいと?」

「ええ」

「何か、警察の判断に疑問が?」

「いいえ。警察の判断は、私も妥当だと思っています。あれから時間も経ちましたし……もう、亡くなっているのだろうと、頭では分かっているつもりなんです」


 マーサはそっと目を伏せた。

 言葉に滲むのは悲しみでも不満でもなく、ただ深く静かな後悔のようだった。


「その……私も、軽率だったと思っています。夫は元教師でもキャリアでしたから、年齢を重ねても一人で山に入ることを当たり前のようにしていて……本当なら、誰かに同行してもらうべきだったんです」


 静かな口調で語られる言葉は、どれも真摯で、重たかった。


「後悔しても後悔しきれないとは、こういうことを言うんだと──最近、よく思うんです」


 レイは黙って耳を傾けていた。

 そのとき、ノックの音が静かに響いた。

 マナカはお盆に乗せたお茶を丁寧に二人の前へと置いた。


「……失礼します」


 マーサは小さく頭を下げた。

 マナカがブースを後にして再び静寂が戻ると、マーサは目線をカップに落としたまま、ぽつりと呟いた。


「アミールが亡くなったことは理解しているつもりなんです。でも、まだ実感がなくて」


 彼女の手が、カップの縁をそっとなぞる。


「彼が最後に何をされて死んでしまったのか。彼は最後に何を見たのだろうか。そもそも山菜採りとは言ってましたが、本当にそうだったのか。結局私も足掻きたい我儘な女なんでしょうね。彼が本当はどこか生きているんじゃないかって」


 レイは彼女の言葉を静かに受け止めながら、果たして彼女の旦那──自分たちがアミールを探すことができるかどうか考える。

 警察が捜査を完了した事件だ。警察の判断に不自然な点はなく、既に亡くなっている可能性は圧倒的に高い。

 もし調査を引き受けた場合、山での探索が業務の中心になるだろう。それには時間も人手も大量に必要だ。

 警察が多くのリソースを割いて亡骸や遺品を見つけられなかったのだ。再び捜索をしても、必ず見つけられる保証もない。

 そういった難易度の高い調査を、弱小ギルドである自分たちが引き受けてよいものだろうか。


「その、やはり引き受けてもらうのは難しいでしょうか?実はミハラさんの方には引き受けてもらえなくて。この依頼料だと難しく、依頼料を何倍に引き上げてもうちではご期待に応えられないと。ひょっとしたらサウスウエストさんだと引き受けてもらえるかもと、ギルドマスターさんにご紹介いただいて、こちらまで伺ったんですが」


 レイが書類を見ながら考え込んでいると、婦人はどこか諦めたような口調でそう言った。

 そもそも何故うちに依頼がやってきたのかと思っていたが、レイの師匠とも言える存在──エンゾからの紹介ということで納得がいった。

 確かに内容に対して依頼料は安く、ざっと頭の中で見積もりを算出しても、三人で五営業日も調査すれば予算の底がついてしまう金額だった。

 レイがマナカから依頼用紙を受け取ったときに表情が曇ったのも、実はこれが要因だった。

 たとえ予算に余裕があっても、依頼者の期待に応えられるかは未知数だ。安易な増額も憚られる。

 冒険者ギルドとして依頼を引き受ける以上ビジネスであり、ミハラ支部が断ったのも正しいし、顧客の損失を考慮した誠実な判断だともいえる。

 だが、ミハラと同じ判断で、本当にいいのか?サウスウエストとしてそれは正しいのだろうか?

 何より、彼女の期待に応えたいという自分の素直な気持ちを無視することは正しいことなのだろうか。

 レイはその思いを、真正面から整理するように息を整える。


「……分かりました。正直に言って、簡単な依頼ではありませんが……お引き受けします」


 レイがそう言うと、マーサはわずかに目を見開き、それから静かに頷いた。


「ありがとうございます」

「ただし、条件をつけさせてください」


 レイはギルドマスターとしての顔に切り替え、言葉を続ける。


「ご主人がどこかで生きている可能性は、正直言って高くありません。遺品や亡骸を見つけ出すことも保証できません。調査は警察が踏み入れなかった範囲に限らせていただきます。それでもよければ、引き受けさせていただきます」

「……はい、お願いいたします」


 レイの言葉は軽くない。マーサにとっては、現実を突きつけられたような条件だ。

 けれど、そのレイの真摯な眼差しを静かに受け止めるように、彼女は再び頭を下げた。

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