016.女番長
ユメノには夢があった。
それは世界一の武道家になることだ。
キャリアとして生まれ、実家は格闘術を教える道場だ。
ユメノを指導する祖父はかつて騎士たちにも戦闘技術を教えたことがある人で、ここサウスパレスでは名門である。
戦士として成長する上で十分な環境と、そして才能にも恵まれたと思っていた。
「とりゃっ!」
「うぅっ」
ユメノが中段蹴りを放つと、大柄な組み手相手は道場の端まで吹き飛ばされた。
「うむ。相変わらずこの歳なのに強いな」
彼女が組手をすれば、見学している周囲からはそういった感嘆する言葉が自然と産まれる。
それは煽てではなく事実であった。
歳上で明らかに体格の差があるキャリアの男に対してであっても負けることはなかった。
「ふう」
ユメノは道場で一汗かくと、乾いた喉を潤すために水を流し込む。
「やっぱ物足りねえ」
周囲からどれだけ褒められても、それがユメノの正直な気持ちであった。
もうこの道場で正面から相手になるのは師匠である祖父だけだ。
道場に限らず、このサウスパレスで相手になる人間すらいないと思っている。
人間ではないものを除いて。
「なんでアイツは本気でやらねえんだ」
ユメノがレイナに苛立つ原因がそれであった。
彼女は魔法種であり、真剣に戦いに打ち込めば、必ず自身が到達できない遥か高みへと至ることができる。
それにも関わらず、彼女は戦いを好まない。
自分よりも恵まれた才能があるのに、勝負へと向き合わない姿勢に腹が立って仕方がなかった。
「くそっ。アイツのことを考えると身体が疼く。自宅まで行ってみるか」
レイナは残念ながら単細胞の直情型で頭が回る方ではない。
先日子分たちをけしかけたが、思い通りにはいかずに追い返されたのだった。
であるならば、今度は自分の番だろう。
そう結論を下すと、修行を切り上げて彼女は道場を出た。
自宅である道場からレイナの家までは歩いて四〇分くらいの距離にある。
呑気に歩いてなんかいられない。
とはいえ、道場の修行終わりであり、レイナと対面した後のことを考えると体力は節約しておかなければならない。
その妥協の産物で、ユメノは一〇分程度の速度で彼女の自宅前に到着した。
「おい、レイナ。出てこい!」
レイナの自宅前に到着すると、彼女の名前を遠慮なしに叫んだ。
それはまるで道場破りのような声であった。
閑静な住宅街に彼女の呼び掛ける声だけが響く。
音沙汰はない。
しかし、彼女がこのドアの向こう側にいることをユメノは確信していた。
特に根拠があるわけではなく、あくまで自分に都合の良い解釈である。
「おい、レイナ!出てこなければお前が淫乱であることを言いふらすぞ!」
「淫乱じゃねえ!」
ユメノが挑発すると、レイナはドアが壊れそうな勢いで飛び出した。
面倒なので居留守を使うことも考えた。
しかし、ユメノは思い通りにいかなければずっと家の前に居座るような性格である。
最悪、自宅に不法侵入されることも考えられた。
それに、格下にアリもしないことを吹き回されるのはやはり癪であるのだ。
「なんか用?マジで迷惑なんだけど」
「家の道場に入れよ。そうしたら毎日戦えるだろ?」
「はあ。いつも言ってるけど私は戦うこと好きじゃないの。あんたみたいな戦闘狂じゃないんだよ。人を同じだと考えるな」
露骨に不機嫌な表情であるレイナに対して、ユメノはそんなものは無視して自分の都合を押し付けた。
繰り返しになるが、ユメノは頭が空っぽな女番長だ。
相手の都合などお構いなく、脳みそも筋肉でできているといってもよいくらいはた迷惑な女なのだ。
しかし、当然のようにレイナは呆れて拒絶した。
「でも、魔法種だろ?定期的に戦ってるじゃないか」
「それは仕事。義務だからやるけどさ、好きでやってることじゃない」
レイナは兄とは違って戦いが好きではない。
魔法種として生まれたから仕方なく戦うのであって、何で好き好んでわざわざ戦いに赴かなければいけないのかという考えだ。
しかし、ユメノは自分都合の論理を展開する。
話が分かる都合の良い女ではないのだ。
「だったら俺と戦え」
「なんでそういう話になるんだ。ほんと馬鹿。マジ迷惑なんだけど」
レイナは眉間に幾重にも線を刻みながら、強く大きな声でそう伝えた。
心の奥底から吐き出した叫びである。
もし第三者がいれば、これだけ一方的に迷惑を掛けられてもブチ切れない彼女を表彰モノだと称賛することだろう。
だが、ここには残念ながら第三者はいない。
それに、ユメノはあくまで自己本位な人間である。
ユメノの情熱の炎はその程度では吹き飛ばされない特別なものだ。
ただ自分の欲望に忠実であると言い換えても良い。
「負けるのは分かっている。けれど、俺はお前より強くなりたい。そのためにはお前と戦う必要がある」
あくまでレイナの主張を無視して、己の願望をユメノはギラギラと瞳を輝かせて強く伝えた。
ユメノの真の欲望は、誰よりも強くなることだけだ。
「はあ」
レイナは確かに強い。たとえ相手がキャリアの強敵であっても、苦戦することはあっても負けるようなことはない。
そして、とんでもなくしつこく迷惑な女を前にしているのだ。
ここで折れるのは癪であるが、話が終わるのであればもうそれでもいいかと思うくらいレイナの忍耐は限界が来ていた。
しかし、本当に面倒なことはできるだけ避けたいできる女がレイナなのだ。
だからあくまでこんな状況でも冷静にことを考え、目の前に立つ馬鹿に真剣な表情の女を直視する。
ユメノは本当に一回戦う程度で満足する女だったのかと。
相手は真っ当な人間ではなく、まともな会話が通じない自己本位な戦士だ。
きっと、何度倒しても懲りずに立ち向かってくることだろう。
そんな姿が簡単に想像ができた。
駄目だ。条件を出したところで、そんなもの簡単に無視されるに決まってる。
すると、レイナはここで妙案を思いついた。
いや、以前の言葉を思い出したと言ったほうが正確だ。
或いは、問題を彼に押し付けたといってもよいだろう。
「あのさ、私よりも強いおにいを紹介するよ」
「おにい?お前、兄貴がいたのか」
「うん。ちょっと前まで首都の方にいたんだけど、最近戻ってきたんだ。私よりも全然強いよ」
「なにい!?」
「多分領主様を入れてもサウスパレスではおにいが一番強いと思う」
レイナは不機嫌な表情から様変わりして悪い表情でそう言った。
すると、女番長は簡単にその話に食いついた。
ユメノはいうまでもなく馬鹿であり、言い出されるまでレイナに魔法種の兄がいることなんて想像がつかなかったのだ。
しかし、彼女の言葉によって、その稀有な存在を思い出したのだった。
「レイ・ディガード。そうか、何でこんな重要なことを忘れてたんだ!あの伝説のレイ・ディガードがレイナの兄貴か!」
「あっ、知ってたんだ」
「そりゃそうさ。六歳のときには我が祖父をも簡単に倒し、絡んでくる輩の腕を砕いて回ったというあの伝説の!」
「えっ」
兄は同じ魔法種だから名前くらい知られていても可笑しくはないと思っていたが、そんな伝説をレイナは当然知らなかった。
それもどこか悪名チックだ。
詳しく聞いてみたいが、詳細が耳に入ると後悔しそうなそんな響きであった。
「と、とにかく。おにいは事務所にいるはずだから、そこまで案内するよ」
「おう!想像するだけで血が滾ってくるぜ」
レイナは早速前のめりなユメノを連れて冒険者組合の事務所に向かった。
事務所には作業をしているマナカだけがいて、レイは裏の駐車場にある倉庫で備品を清掃しているとのことだった。
「お、レイナ。どうしたんだ?」
「おにい。この子はユメノ。私の同級生で、強くなりたいっていうから連れてきた」
「うっす。ユメノ・エンドウです」
裏の敷地で組合の備品を片付けていたレイに、レイナはユメノを紹介した。
ユメノは相手が目上であるからか、それとも伝説の存在を目前にしたからか、緊張気味な様子であった。
「レイ・ディガードです。それで強くなりたいってどういうこと?」
レイは立ち上がりながら、目の前に立つ彼女の姿を下から上まで舐めるように見た。
すらっとした背丈で自分よりもやや小さいが、女性ではかなり大柄であることが理解できた。
身体が大きいことは戦う上で恵まれた資質である。
レイには彼女がどれだけ魔力を持ち合わせてるのか把握はできないが、身体能力には恵まれていそうだという印象を抱いた。
「ユメノはキャリアだよ。おにい、戦える人探してたでしょ?」
「確かにそうだけど。あの噂の子?嫌がってなかった?」
「ううん。あのときは私も混乱していたからさ。冷静に考えると、おにいに預けるのが一番だと思って」
「なるほど」
レイナが適当に話を絆ぐと、レイはレイナとの以前の話を思い出していた。
妹の嫌がることはしたくなかったこともあり、彼女が連れてきたことは好都合でもあったので、レイは素直に納得した。
「それでは早速私と一本勝負を!」
「勝負?いきなりだね」
レイとは違って、ユメノは長年の経験から目の前に立つ男が強敵であるということを直に感じていた。
その姿は一見すらっとした美形の男子であるが、そんな見掛けには騙されない。
ユメノはキャリアでありながら彼の身体の芯から発する魔力を感じ取っており、思わず武者震いをしてしまうほどだ。
だから我慢しきれずに戦いを申し込むのであった。
「それでルールはどうする?」
「ダウン二回で終了。武器、魔法はなし。押さえ込み一〇秒、一〇分ルールでお願いします!」
「オッケー」
レイは出会って即戦いを申し込まれたことには驚いたが、どれくらい彼女がやれるのか試したい気持ちもあり、ユメノの申し出を断ることはなかった。
それにレイは戦うことが好きだ。本人は隠せているつもりであるが、世間一般の価値観から見れば大好きの部類に入る。
「じゃあ、私が審判するね」
「うん。お願い」
ルールは魔法種たちの訓練ではよくある形であり、総合格闘技と殆ど同じシンプルなものといってもよいだろう。
違いが押さえ込みだ。
魔力障壁のある戦いでは勝負が簡単にはつかず、必然的に長期戦となってしまう。
それを防ぐためのルールが押さえ込みであった。
これは身体能力に違いがあっても技術次第で勝負に持ち込める、キャリアにとっても勝利が望めるルールでもあった。
「準備できた?じゃあ、はじめ!」
レイナの掛け声によって、砂利の転がる駐車場が即席のリングへと変わった。
ユメノはレイから距離を取りながら慎重に周囲をぐるぐると回る。
相手はユメノ史上最強の相手といってもよい。
恐らく殴られば数発で魔力障壁は砕かれてしまうとユメノは計算していた。
だから接近戦に持ち込むのは圧倒的に不利であり、それは避けなければいけない。
とはいえ、もしユメノが勝利できるとすれば、何処かで組み付いてテイクダウンするしかない。
だから丁寧に相手と距離を取って、何処で仕掛けるのかタイミングを測っていた。
(さて、どう戦おうか)
レイは自分が負けるとは微塵とも思っていない。
武器のない戦闘ではあるが、レイは素手での戦いも当然のように得意としている。
どうやって相手に怪我をさせずに戦いを終わらせるのか考える余裕があるくらいだ。
とはいえ、秒殺はあまり面白くない。
できれば相手のやりたいことを全て吐き出させて、彼女には何ができて何が不得意なのかを知れるような戦いが今後も考えると理想であった。
だから彼女が慎重に時間を掛けるのに付き合って、自分からは一切仕掛ける様子は見せずにただ構えていた。
(くそっ、隙がない!)
それがユメノの本音であった。
どこか甘いところがあれば、それを起点に仕掛けるものも、そういった様子は見せずにただ不動の壁のように相手は構えていた。
キャリアでも分かる魔力密度が目の前にそびえ立っていた。
恐れを抱くのも当然であった。
(少しは打撃でも入れて腰を浮かせるしかないか!?)
打撃を入れるということは、接近戦の時間を相手にも与えてしまうことでもある。
だが、何もこちらから仕掛けなければ相手は動かない。
これは己を値踏みする相手の挑発でもあるのだろう。
簡単に挑発に乗るほどヤワな精神ではないと考えているが、やはり戦士であるユメノには我慢できないものがあった。
それに相手は遥か高みにいる格上だ。
こちらがリスクを負わない限り、勝利を手繰り寄せることはできないだろう。
(やってやる!)
その決断に費やした時間はコンマ数秒、しかしその時間は彼女にとってその数倍にも感じられるものであった。
ユメノは決意すると、一気に低く跳んで殴りかかった。
「はっ!」
初手から体重を乗せたストレートのパンチだ。
勿論倒せるとは思っていない。
しかし、十分に魔力を乗せない限り、相手の魔力障壁に干渉することは不可能だと考えていた。
それに、意表を突く狙いもあった。
だからジャブではなくストレートを選択したのであった。
(くっ、硬い!)
レイはユメノの打撃をガードの上からそのまま受け止めた。
威力は魔法種には及ばないが、この年齢のキャリアであれば十分なレベルの重さであった。
とはいえ、ヤワな鍛え方をしていないレイにとっては、百発受けても問題は起きないだろう。
彼にとってはそういう余裕を出せる程度の攻撃でしかなかった。
(次に繋げる!)
ユメノはガードからレイが反撃を打ってこないと判断すると、コンビネーションの要領で足下への打撃へと繋げた。
ローキックでバランスを崩して、その隙を突いて組み付く算段であった。
『うん、悪くない』
レイは彼女のパンチからローキックへ繋げるコンビネーションをそう評価した。
確かに一切反撃する素振りを出さなかったので、彼女の判断は適切であると考えていた。
キャリアが勝つためには、相手を寝かせる必要がある。
それにはタックルを仕掛けて、相手の体勢を崩すのが必然だ。
その狙いを考慮すると、至って教本に沿った攻撃の選択であった。
(くそっ、硬すぎて崩れない!)
彼女は十分に魔力を脚に込めて蹴りを放った。
しかし、太ももをしっかりと捉えたにも関わらず、レイの魔力障壁はびくともしなかった。
(無理に組み付くか?それとも一度距離を取るか)
ユメノはこの刹那の時間で考える。
普通の人間であれば吹き飛ぶような打撃を入れても、相手の体勢は崩れなかった。
当然、魔力障壁には大したダメージを与えられていないだろう。
しかし、最初に立ち会ったときとは違って、若干腰が甘くなっているように感じられたのであった。
これは絶好の好機なのか?
距離を取れば時間を作ることはできる。
だが、もう一度同じようなチャンスは果たして訪れるのだろうか?
相手は一〇〇回やって一回勝てただけでも評価できるくらい、最強の相手である。
たとえ勝つ可能性がゼロに近くても、掴み取れる可能性があるのであれば、そこに手を伸ばすべきではないだろうか?
胸を借りても恥ずかしくない、負けて元々の相手だ。
それに、組み付いたときに打撃を打たれるようであればすぐに離脱すればいい。
たとえ相手の間合いにされてしまっても、一、二発程度であれば耐えることぐらいはできるだろう。
だって、私は、根性だけはあるのだから。
どれだけこれまでの人生で長く修行に費やしてきたと思ってるんだ。
どれだけ私が戦いに掛けてきたと思っているんだ。
私は戦士なのだ。
『私は逃げない!』
彼女はそうやって自身を奮い立たせると、打撃の構えからタックルへの体勢に移行した。
(さて、一発攻撃をしてみるか)
戦いにおいて一番重要なことは攻撃よりも防御である。
命を失っては元も子もないからだ。
キャリアや魔法種は魔力障壁があるためそれに頼りがちであるが、如何に直撃させずに魔力障壁の消耗を防ぐ重要性は、騎士学校での教えやレイのこれまでの経験から十分に身に沁みていた。
とはいえ、魔力障壁の強度が十分にあれば、それを武器に戦略を組み立てることも否定されるべきものではない。
彼女は一体どれくらい魔法種の打撃に耐えられるのであろう。
彼女の伸び代はどれくらいあるのだろうか。
レイはそんな軽い興味で彼女に緩いフックを放った。
「あっ」
『ひでぶっ!』
魔法種にとって本気でない緩いフックであっても、キャリアにとっては時が加速したような拳であった。
レイの打撃はタックルの体勢に入って隙だらけとなったユメノの魔力障壁の薄い側頭部へと見事に命中した。
そして、彼女は積み木が崩れるように地面に落ちた。
「うわー。気失ってるじゃん。おにい、流石にやりすぎだよ」
「ごめん。キャリアだと魔力障壁の移動が必要だったね」
魔力障壁での防御が間に合わずに地面へと倒れ伏した少女を見て、ジト目で妹に睨まれたレイはばつが悪そうに顔を背けた。