015.体力テスト
レイナは学校が好きな生徒だ。
当初、兄であるレイの風評被害によって周囲からは恐れられていたが、持ち前の人当たりの良さで誤解も解けていた。
しかし、そういった状況が気に食わないと思われる人も中にはいた。
それがレイナの悩みだ。
「さっきの先生の話分かった?」
「ううん。あんまり分からなかった」
「だよね。安心した」
レイナは勉強が苦手ということは無いが、胸を張って得意といえるほど優秀でもない、どこにでもいるような生徒だ。
魔法種だからといって、全てが万能という訳ではない。
だから理解できない授業だって存在するし、友人も同じだと安心だってする。
しかし、その中でもある意味で一番苦手な授業があった。
「はあー。次は体育かー」
「なんで?レイナちゃん、凄い得意じゃん」
更衣室で着替え終えて次の授業のことを考えると思わず溜息をついた。
「得意といえば得意だけどさ」
「目立っちゃうから気にしてるの?」
「だって魔法種だからできるだけで、なんかズルしてる気分になるんだ」
魔法種は身体能力が高い。
その差は隔絶しており、それは一般人がどう足掻いても努力で埋められるようなものではなかった。
とはいえあからさまにサボるのも何だか一生懸命取り組んでいる人に失礼な気がして、どういうスタンスで取り組むべきか測りかねていたのだった。
元々先頭に立って目立つことはあまり好きではない。
しかし、体育の授業では真面目に取り組むほど目立ってしまう。
それは魔法種の宿命みたいなもので、ある程度は仕方がないと受け入れているが、それでも魔法種であることを恨んでしまうくらいだ。
「それに、アイツが絡んでくるのが一番面倒くさい」
「あぁ、あの子ね。どっかで諦めてくれるよきっと」
「他人事だね」
「いや、うん。あれでも小学生のときよりはマシになったんだ。それはレイナちゃんのお陰だからさ、みんな感謝してるよ」
でも実際のところ、レイナが一番体育で嫌なことは授業そのものや目立つことではなかった。
レイナの友人であるカエディは、あの彼女の存在を思い出すと、避けるように慌てて取り繕い、レイナを褒め称えた。
レイナはうんざりした表情で再びはぁーと一息吐く。
「今日は半期の体力テストです。皆さん、頑張りましょう」
『はーい』
今日の体育の授業は体力テストであった。
種目は握力、五〇メートル走、シャトルランとなっていた。
すらっとした女教師が記録用の紙を各自に手渡すと、競技は開始された。
「では、カエディさん」
「はいっ!」
気合を入れて一呼吸。
出番がやってきたカエディは握力計を渡されて、精一杯握りしめた。
「んんんっ」
「はい。二二キロです」
「ふうっ」
どこにでもあるような標準的な記録であった。
記録用紙を受け取ると、カエディは少し肩で息をしてから先生に握力計を渡し、そしてレイナの隣に座った。
「次はユメノさん」
「うっす」
呼ばれたユメノは肩を回して握力計を受け取ると、全身の力をそこだけに注ぎ込むように握りしめた。
計測器の針はみるみる回っていった。
「……一四三、一四六、一四七ですね。流石です」
『おおっ~』
周囲は一般人の女子中学生どころか怪力の男性でもまず出せないような数値を見て大きな声を出して湧いた。
しかし、ユメノは周りの反応とは違って、その記録的な数字を見て不機嫌であった。
そして次の人間であるレイナに直接握力計を渡すと、無言で睨みつけた。
「……ふんっ」
レイナはその喧嘩腰の視線を無視して、握力計を見て色々と考える。
「次はレイナさん」
「はい」
「手を抜いたら駄目ですよ」
「えっ」
レイナはどれくらいの数字を出すのがベストなのか測りかねていた。
そして、ユメノとの関係もあった。
彼女との関係が、レイナの一番の悩みのタネであった。
ユメノは握力計の記録を見て分かる通り、一般人ではなくキャリアである。
彼女は同世代よりも頭一つ分背が高く、道場の娘であったこともあってか一際強かった。
小学校が同じだったカエディに聞くと、学校の頂点に立って子分を引き連れる番長のような存在だったという。
しかし、弱いものいじめのようなことはしなかったが、その強さを引け散らかして浮いていたらしい。
それが中学生に入るとレイナの登場で、学年一の頂点から降ろされることになったのだ。
ユメノは魔法種が気に食わないのか、それとも単に一番になれないからか、それから常にレイナに突っかかってくるのであった。
『どれくらいでやるのが正解なんだ!?くそっ、先生も余計なことを言いやがって!』
レイナは当初、ユメノよりも少しだけ上の数値を出すことを考えていた。
それよりも数値が低いと、あからさまに手を抜いていることがバレる。
それにユメノが苦手とはいえ、負けるのもなんだか癪に障った。
だから周囲から浮かない程度を考えると、それくらいがちょうどいいのではないかと思っていたのだ。
「頑張れ~」
カエディの呑気な応援が届く。
私の気苦労を全く理解していないじゃないかと、心中は愚痴で埋め尽くされていた。
『もう、先生が悪いんだから!』
レイナは考えるのを止めて、握力計を握りしめた。
計測器の針は一瞬で回転する。
バキッ!バキッ!
「あぁ~、やっちゃいましたか」
先生は呆れたような声を出した。
測定不能。
そこには機器の残骸だけが取り残されていた。
『うぉ~』
『ひえ~』
周囲には感嘆と恐怖の声が同時に響いていた。
レイナは目を瞑り、そして耳を塞いで周囲の声を聞かずに地面に座った。
「……くそが」
ユメノは側を横切ったまだ余裕の感じられるレイナの様子に苛立つようにそう呟いた。
「では、次は五十メートル走です」
生徒たちは次々と五十メートルの距離を駆け抜けていく。
早い記録もあれば遅い記録もあり、それはどこにでもあるような光景だ。
「はい、八・五秒」
「はい、七・七秒」
『速~い』
「では、次はユメノさん」
「……」
ユメノは呼ばれるとスタート位置に着く。
「よーい、どん!」
ユメノは合図と共に地面を蹴り上げた。
身体は一瞬で加速する。
『速っ!』
風を切る音が聞こえてきそうな速度でゴールラインを駆け抜けた。
「四・三秒です!」
『おお~』
「ふん」
これまでで圧倒的な記録であった。
周囲の生徒はあまりの速度に驚き感嘆している。
しかし、これでもユメノは満足していなかった。
記録用紙を受け取ると、次の走者の方を見た。
「次はレイナさんですね」
「頑張れ~」
教師は何故か期待に満ちた目をしている。
そしてまたもや能天気な応援が届く。
悪気はないのだろうけれど、レイナはそこに悪意を感じていた。
『あぁ、面倒くさい』
これがレイナの本音だ。
良い記録を出せば周りから褒めてもらえるけれど、漏れなく面倒な女がついてくる。
悪い記録を出せば教師から叱責をくらうことだろう。
「さて、何秒になるのかしら」
そんな混ざった感情のまま、レイナは目にも留まらない速さで駆け抜けた。
「……一、二、三……うわっ、もう着いてる!?」
女教師は風になったレイナの姿を捉えることができなかった。
手動のストップウォッチに目をやった瞬間にはもう五〇メートルラインを過ぎていたのだ。
慌てて女教師はレイナの後ろ姿を見て時計を止めた。
「三・九秒ですね」
本当であれば三秒を切っていたことだろう。
しかし、女教師はどちらにしろ一番なのだからと、数字を訂正しない。
『うお~』
『やっぱり魔法種は別格だね』
とはいえ、正確に測らなくても一般人から見れば凄い記録なのは変わりがない。
周囲はその速さに一名を除いて熱狂して沸いていた。
「レイナちゃん、やっぱり凄いよ!全然姿が見えなかったもん」
「ふう。先生ちゃんと測ってなかったな」
レイナは決して本気を出した訳ではなかったが、特段に手を抜いたこともなかった。
そして、女教師の怠慢も見逃しはしない。
あと一つの種目で授業が終わる。
一人の強烈な視線を無視して、最後の種目に挑んだ。
「最後のシャトルランです」
『はあ』
『何回くらいできるかな?』
シャトルランとは二〇メートルの距離を一定のリズムで走り、持久力を測る競技だ。
その間隔は時間を経つことに短くなっていく。
他の種目とは違って回数を数えるだけなので、二〇人が一斉に走ることになった。
「はい!……はいっ!」
女教師はストップウォッチを見ながら一定の間隔で手を叩いて合図する。
しばらくして二〇回を過ぎたころには最初の脱落者が現れた。
そして、五〇回を過ぎたあたりには残った生徒は半分を切っていた。
「はあ。もう無理~」
カエディもその頃には脱落した。
二人の生徒を除いて、残っている生徒たちは必死の形相だ。
そしてその速度も、開始時とは比べ物にならない速さであり、合図の手を叩く女教師すらも疲れた表情である。
次々と回数を重ねる度に生徒は少なくなっていき、一〇〇回を過ぎた頃にはレイナとユメノだけが残されていた。
「二人とも凄いよね」
「うん。全然息を荒げてないし」
「先生のほうが苦しそう」
脱落した生徒たちもみなその光景を眺めていた。
二人ともまるで脱落する様子はなく、工場に置かれた機械のように目の前を反復していく。
しかし、ある程度回数を超えた頃にはいつ終わるのだろうと皆が思い出し、見学している生徒からは欠伸も出る始末だ。
そんな周囲の状況であるにも関わらず、レイナとユメノは足を止める気配もない。
ユメノはまだ余裕があることをアピールするような涼しい顔で、レイナは既に走る興味を失ったような能面の表情であった。
「……はいっ、三〇〇回。もう駄目」
結局崩れ落ちたのは生徒ではなく女教師であった。
手を叩くのもそれなりに重労働であったようだ。
或いは、終わらない戦いに生徒たちと同様に飽きが来たのかもしれない。
「おい、まだできるだろ!」
競技が止まると、やっと終わったかと満足したレイナとは対象的に、ユメノは納得せずに声を荒げた。
「ええ。二人とも素晴らしい記録でした」
「そんな問題じゃねえ」
女教師は立ち上がると悪びれた様子すら見せずに二人を称えた。
しかし、納得のいかないユメノは抗議の声を続ける。
「でも、授業の時間もありますからね。二人とも最高点を上げますから、それで満足してください」
そして女教師は自分の非を一切認めずに全て時間のせいにした。
だが、体育の授業は限られた時間であり、いつシャトルランが終わるのか分からないことを考えれば賢明な判断でもあった。
するとユメノは教師には話が通じないと考えたのか、矛先をレイナに変えた。
「おい、てめえ、放課後勝負の続きだ!」
ユメノが一番自信のある身体能力は持久力であった。
パワーやスピードでは流石に魔法種には分が悪いと思っていたが、スタミナは結局種族関係なく根性だろうと考えている。
だからレイナにはこのシャトルランでは負けられなかったのであった。
「絶対嫌だ」
「何でだ!?」
「意味ないじゃん。私そもそも走るの好きじゃないし」
「はあっ!?」
だが、レイナには勝負する理由がない。
運動だって特別好きではないのだ。
好き好んで何でやりたくないことをやらなければいけないのかと考えている。
そして、授業の終わりを告げる鐘の音が鳴いた。
「はいはい。もう私よりユメノが凄いでいいよ。はい、凄いねー。私の負けだわー。お疲れさまー」
「おいってめえ」
絡まれるのが面倒になったレイナはユメノをあしらって離れると、女教師のところへと向かった。
「ねえ、先生。一つ聞きたいことがあったんですが」
「なんでしょうか?」
「私、体力テストする必要があったんですかね?だって、色々と危ないじゃないですか。機械も壊しちゃったし」
レイナにはテストを受けるにあたって引っ掛かることがあった。
魔法種の身体能力が特別であることはよく知られている。
通常の競技スポーツであれば勝負にならないため、参加を禁止されているものも多い。
そういった背景があり、小学生の時には体育のテストは免除されていたくらいだ。
騎士学校など魔法種に適した環境であるならまだしも、一般人が多数を占める普通の学校でテストをする必要があるのか疑問だったのだ。
「ごめんなさい。本当はやらなくて大丈夫でした。魔法種が計測不能になるのは理解されてますから、免除されることになってます」
「じゃあなんで?」
すると女教師は痛いところを突かれたのか、慌てて頭を下げた。
レイナが疑問を投げかけると、女教師は顔を上げ、喜々とした瞳を輝かせる。
「だって、魔法種がどれだけ記録を出すのか興味があるじゃないですか!」
「おい、てめえ!見世物にするんじゃねえ」
「ひゃっ」
レイナは女教師に向かって声を荒げて握り拳を振り上げた。