012.ミハラ支部ギルドマスターエンゾ・へベルト
パーティーを終えた翌日、レイはエリナに休暇を与え、一人で軽トラックを運転して食品業者まで狩猟の獲物を運び出していた。
「ヒグマ一頭に鹿二頭、確かに受け取りました」
形式的な挨拶を終えると、恰幅の良い営業担当に初冒険の成果を引き渡した。
サウスウエスト待望の売上である。
手にした伝票に記された金額はそこまで高くないとはいえ、初めての成果には充実感もあった。
しかし、次の業者の一言に、レイは思わず表情が固くなった。
「支払いは一〇日払になりますので、今月中に請求書をお願いしますね。……どうかしました?」
レイは物の売り買いと同じように、その成果はそのまま現金へと変わるものだと思っていた。
だがしかし、取引しているのは普段から付き合いのある業者だ。
そりゃ都度現金で支払うのは面倒であり、請求書払いが常識だろう。
頑張って成果を上げても、そんなにすぐに現金が手に入るわけではないのだ。
レイはとんだ勘違いをしていたことに恥じらいを覚えた。
「いえ、なんともないです。はは、まだ引き継いだばかりで、請求書早く出さないとなと思いまして」
「そうですか。そうですよね。アインスさんの件はその、残念でした。取引で分からないことがあれば言ってくださいね」
「いえ、お気遣いありがとうございます」
「では、こちらにサインを。あと、今月は月初に持ち込みありましたので、念の為売上確認しておきますか?」
「あっ、はい!助かります」
親切な営業担当は事務所に戻って帰ってくると、取引の書類を見せてくれた。
レイは手帳を取り出して、念の為にその金額をメモしていく。
分からないことがあれば格好つけずに積極的に教えを請うたほうがいいなと思うのであった。
そして、再び軽トラックを走らせると、次の目的地まで向かった。
「改めて帳簿を見直して、請求書書かないとな」
レイはハンドルを握りながらそう呟いた。
引き継ぎなど何も無い中で分かりやすく誰かに教えを請うこともできず、父が管理していた煩雑な資料を再び読み漁らなければならない。
一言でいうと面倒で億劫な気分だった。
「とはいえ大事なことだ。頑張ろう」
しかし、次の目的地であるミハラ支部が視界に入ると、気持ちを切り替えて、自分を奮い立たせるように気合を入れてハンドルを回した。
そして力強さが込められたような立派な門を潜り抜けて段差を超えると、とうとう敷地内へと進入した。
『建物の大きさからして違う』
レイのミハラ支部の前に降り立った第一印象がそれであった。
実はレイがミハラ支部に来たことは初めてではない。五年ほど前に一度亡き父と訪れていた。
以前と敷地内の広さは変わらずサウスウエストの数倍はある。
しかし、それ以外は全て様変わりしていた。
路面は歩きやすいように整備されており、芝生には噴水もあって、まるで大きな公園の中にギルドがあるみたいであった。
更に圧巻だったのは建物だ。
二階建ての建築物はサウスウエストと変わらないが、建築されてから築年数二年程度といった、同じ石造りでも都会的な小洒落た外観だ。
それに同じ二階建てでもサウスウエスト数個分の大きさがある。
訪れた人に清々しさを与え、自尊心を植え付けてくれるような施設であった。
そんなギルドの前で冒険者と思われる人が剣を振って訓練に集中している。
同じ冒険者ギルドとは思えない活気と上品さをミハラ支部は兼ね備えていた。
そして、肝心のギルド内も外観を更に上回る活気で溢れていた。
ギルド内には複数の受付があり、それ以外にも軽食を用意した売店や食堂があった。二階には武具屋や商売道具を手入れしてくれる鍛冶屋、生活道具や食材を売る雑貨屋まであるという。
階段は数人が余裕を持って歩けるほど広い。
オープンスペースには依頼が完了したのであろういくつものパーティーが席を囲んで談笑している。
嫉妬にもならなかった。
仕事がない日でも一日をここで過ごせてしまえそうで、レイの憧れる冒険者ギルドの光景がそこにはあった。
レイはいくつもある受付から一番人が少ないところへと並んだ。
遅れて数分待つと、やっとレイの出番がやってきた。
「すみません、エンゾさんいらっしゃいますか?サウスウエストのレイ・ディガードです。挨拶に伺いました」
「挨拶ですか。あの、アポイントは取ってらっしゃいました?」
「いえ、申し訳ございません。近くに寄ったもんですから立ち寄りさせていただきました」
「畏まりました。少しそちらでお待ちいただけますか?」
カウンターに向けてそう言うと、受付の女性は奥に消えていった。
そして数分すると、この冒険者ギルドの頂点に立つ人が姿を現した。
エンゾ・へベルト。
サウスウエストよりも少し大きい程度だったミハラ支部を一〇年で国内有数の冒険者ギルドにまで発展させた、数百人の冒険者を束ねるギルドマスターである。
「突然お忙しいところお邪魔して申し訳ございません。父の葬式ではお世話になったので挨拶に伺いました」
「いえ、そうでしたか。お父君の件は残念でした。まあ、ここではなんですし、上がってください」
「ありがとうございます。失礼いたします」
レイは突然立ち寄っても問題がないような無難な口上を述べて頭を下げた。
実際に父の葬式まで来ていたので、何処かで挨拶をする必要性はあったのだ。
だが、予定があって直接挨拶ができない可能性も十分にあったので、レイのために時間を作ってくれたことは意外でもあった。
エンゾは受付に目をやると、その並びにある会議室までレイは通された。
「これはつまらないものですが」
「あぁ、すみませんね。まあ座ってください」
レイは硬い革張りのソファへ座る前に、用意していた茶菓子を紙袋のままエンゾに手渡した。
「改めてお父君のことは残念でした。ギルドマスターとしてあるべき姿であったと思います」
「いえ、こちらこそ葬式まで来ていただいてありがとうございました。父もエンゾさんにそう言っていただけて、少しは溜飲を下げていることでしょう」
互いに着席して改めて挨拶をすると、背の低い漆で塗られた木製のテーブルに受付の女性がお茶を用意した。
その女性はエンゾから紙袋を受け取ると、一礼して部屋を出ていった。
「それに、こんな時間をわざわざ作ってもらって」
「それは当然ですよ。お父君の件だけでなく、結果的にミサエさんを引き抜くことにもなった訳ですから」
「いえ、ミサエさんの件はうちのギルドの落ち度であったと思います。彼女にもその、生活がありますから」
ミサエとはサウスウエストで少し前まで働いていたパート職員だ。
この件を詳しく聞くと、彼女の生活を配慮して、父がミハラ支部まで話を通して雇われることになった経緯があったのだった。
つまり、ミサエがミハラ支部で働くことになったのは、父の勧めがあってということだ。
元々ちゃんと正職員として雇えていなかったサウスウエストに落ち度があるのであり、ミハラ支部を責めるのは筋違いだとレイは考えていた。
「そう言っていただけると助かります」
エンゾはそう言うと丁寧に頭を下げた。
レイは自分のような小童にも誠意を持って接するエンゾを意外に思った。
エンゾはレイよりも大柄で立派な体躯を持ち、強面で威圧感のある冒険者らしい男であった。
だからそういった印象に拍車を掛けているのかもしれない。
「いえ、頭を上げてください。それに詳しく聞くと、父がエンゾさんにミサエさんをお願いをしたようじゃないですか。むしろ助けて貰ったのはこちらの方です」
「ふむ。本当のところは確かにそうですが。しかし、レイさんは何やら不満を溜め込んでそうですな」
エンゾはレイの口調の僅かな変化を見逃さずにそう言った。
すると、レイは全てを包み込むような圧倒的な雰囲気をエンゾに感じて、思い切って相談することにした。
これは午前中に取引した営業とのやり取りや、リアイの言葉を信じてみた結果でもあった。
「レイさんは止めてください。レイで構いません。そして、できれば弟子にしていただけませんか?」
「弟子?」
「はい。同じサウスパレスの競合とはいえ、恥ずかしながら我がサウスウエストは弱小ギルドです。このままではジリ貧で、数年後には潰れてしまうことでしょう。僕はそんなサウスウエストでも、決して潰したくはないんです。せっかく父が愛して残してくれた大切な冒険者ギルドなんですから」
レイはエンゾの目を力強く真っ直ぐ見て、正直に思いの丈をぶつけた。
嘘偽りのない、若者らしい本音に溢れた請願であった。
そして勢いよく頭を下げた。
それを受けたエンゾは目を丸くして、そして目を瞑ると考え込んだ。
しばらくの静寂がその場を包みこんだ。
レイは頭を下げたままだ。
エンゾはゆっくりと目を開くと一呼吸する。
「若いって素晴らしいな。よし、レイくん。頭を上げ給え」
レイはエンゾにそう言われてゆっくりと頭を上げた。
レイの目は初めて見せるような、僅かに不安の満ちた触れれば消えてしまいそうな瞳であった。
「正直に頭を下げられるのは上に立つ上でも必要なことだ。それができるのは有望である証だよ、レイくん。それに若者の特権だ」
「いえ」
「弟子というのは流石に無理だが、ギルドマスターの先輩として相談には乗ってあげよう。それでいいかね?」
「ありがとうございます!」
レイは喜びの目をすると同時に、張り詰めた緊張の糸が切れたように一気に肩を下げた。
自らの意思でギルドマスターになったとはいえ、レイは本当は辛かったのだ。
引き継ぎも指導も何もなく、あてのない旅を過ごすような不安で藁をもすがる思いであった。
そこに一筋の光が差し込んできて、くすんだ霧が晴れていくようであった。
「では言ってくれ。今一番悩んでいることは何かね」
「それは」
レイはそれから一時間ほどエンゾと話し込んだ。
エンゾは働いたことが一回でもあれば分かるような粗末な質問も馬鹿にせず、真摯に聞き入れてアドバイスをした。
「仕事には二種類ある。飯を食う仕事と夢を見る仕事だ。話を聞く限り、当面は飯を食う仕事を必死にこなす必要があるだろう。でも、夢を見る仕事を忘れてはいけない。それがないとつまらない人間になるし、食べる力すらもなくなってしまうもんだ。消耗してやがて荒んでいくということだな」
「なるほど」
レイはエンゾの話を耳に穴が空きそうな集中力でじっくりと聞き込んでいる。
エンゾはカラカラになった口の中を潤すために、卓上に置かれたお茶へと手を伸ばした。
口に含むと既に冷たくなっていて、壁掛けの時計を見ると、予定の時間をあっという間に過ぎていた。
「すまん、つい話し込んでしまった」
「申し訳ございません。大切な時間を潰してしまって」
「レイは気にしなくていい。暇なときは遊びに来なさい。あと、来るときは連絡を先に寄越しておいてくれ」
「ありがとうございます。ご迷惑をお掛けしました」
レイは立ち上がると感謝の念を込めて頭を下げた。
そして出口に近づくと、忘れていた言葉を思い出した。
「あの、ミサエさんのこともよろしくお願いします」
レイは再び頭を下げた。
そしてミハラ支部の冒険者のように清々しい気分となってその場を後にした。
エンゾはレイを出口まで見送ると、受付の奥にあるレイと直談した場所とは別の会議室へと向かった。
「随分と待たせるじゃないか」
「いや、悪い」
そこにいた程よく上品な身なりをした男は、ソファに深く座りながら不満顔を隠さず、しかし茶化すようにエンゾに言った。
「それでどうだった?」
「久しぶりに自分の若い頃を思い出したよ」
エンゾは向かいのふかふかのソファに腰掛けると、胸下からタバコを取り出して火を点けた。
灰皿は既に吸い殻で一杯であった。
「レイ・ディガードは何しに?」
「アインスの葬式のお礼と、弟子にしてくれとさ」
「弟子?」
「ああ。流石にそれは断ったが、相談はいつでも遠慮なくしてこいと言っておいた」
男は弟子という言葉を聞いて、くすくすと笑った。
「いいのかね?サウスウエストを潰すつもりでここ一〇年やってきたじゃないか」
「潰すとは口が悪い。正当な競争の成果であり、その結果はあいつの怠慢だ。ワシはそう思ってるし努力もした。だからアイツが結果的に死んだからといって、悪いとは思っとらん。大した価格競争にさえ持ち込んでないからな」
エンゾは男がそう言うと、強い口調で不快な表情を返した。
そしてタバコを一息吐いた。
煙が宙を漂う中、エンゾは言葉を続けた。
「確かに体力勝負に持ち込んで独占してしまえば楽に勝負は決まるだろう。ミハラの方が体力もあったしな。だが、それは限られた資源を奪い合うことを前提にした上での戦い方だ」
「違うというのかね?」
「資源の上限は人間には想像がつかないほどもっと遥かに高くあるのだよ。つまりだね、競争相手はある程度いたほうがいいし、互いに成長して資源そのものを増やせば良い。それを理解していないから旧世界は行き詰まり、遂に神は滅んだのだ。ワシはそう考えている」
「なるほど。この世界の辿った歴史をそう解釈しているのか」
「大体だね、アインスは一言相談してくれればよかったのだ。あいつの問題点くらいは指摘してやったさ」
エンゾは嘆くようにそう呟いた。
それがエンゾの本音であった。
すると男は嫌らしい言い回しで返した。
「本当はレイ・ディガードに、アインスが死んだのはお前のせいだ、と言われることを覚悟してたんじゃないかね?」
「おい、デクラン・ラッシュフォード。流石にそれはワシも怒るぞ」
「すまん。失言だった。忘れてくれ」
エンゾはそう指摘されると、一層低く怒声に満ちた声でそう言った。
その迫力に押されて、デクランは慌てて前言を撤回した。
タバコを一息吐いてエンゾは怒りを呑み込むと、言葉を続けた。
「そもそも魔法種なんてほっとけば勝手にワシより早く死ぬんだ。お前と一緒だよ。死んでくれとか殺そうだとか思うわけなかろう」
「そうだったな。本当に悪かった」
「分かれば良い。アインスが馬鹿だったのは事実だ。なんでも魔法種だからって自分の力だけでやろうとするから早く死んだんだ。それじゃ若いヤツも育たんしやり甲斐も奪う。魔法種の頂点たる貴族だからって、デクランはそうなるなよ?」
「ああ。肝に銘じているし、お前を頼りにしているくらいだ。よく理解できているだろ?」
デクランは嘘臭くそう言った。
しかし、そういった印象を抱かせるのは、デクラン自体に掴み所が無かったからかもしれない。
エンゾはまたタバコを一息吐いた。
「それで、今後の案件だが、何かあればサウスウエストにも出してやってくれ」
「いいのか?」
「潰れられたら困る。それにレイは貴重な魔法種だ。大規模な調査じゃなければ十分やれるだろう」
「そうだな。戦いが主な依頼であれば、ミハラよりも上手くこなすかもしれないな」
「言っておけ。確かにミハラには魔法種はいないが、それ以上に優秀な本物の冒険者がおる。負ける気はさらさらない」
「余裕だね」
「それくらいの自信がなければギルマスなんてやっておらん」
エンゾはサウスウエストへの仕事の斡旋を勧めた。
これは先輩としての親心でもあった。
デクランはこれまでのミハラ支部との付き合いを優先して、サウスウエストに仕事を出すことはなかった。
代替わりを機会に仕事を振ってみても面白いなと考え直すことにした。
「では、レイ・ディガードの貴重な話も聞けたし、私も帰ることにするよ」
目的を終えたデクランは帰支度を始めると、ソファからすっと立ち上がった。
元々デクランとエンゾの商談は、レイがミハラ支部へ訪れる前に終わっていた。
だが、同じ魔法種であるレイ・ディガードに興味があり、いずれ会う時間を作ろうと思っていた矢先に彼がやってきたので、その目的も含めてデクランから確認するために残っていたのだった。
「あぁ。それと一つ聞いておきたかったことがある」
「なんだ?」
帰り際にエンゾは確認しておきたかったことがあった。
デクランはこのサウスパレスの領主であり、直接会った際には彼しか知らないことを聞き出すことを習慣としていた。
「戦争は起きそうなのか?」
『戦争』
エンゾがそのフレーズを持ち出すと、デクランはいつもの胡散臭い笑みから、真剣な面持ちへと変えた。
「まだ分からない。ただ、中央貴族の動きは怪しくなっている。皇帝には子供がいなかったし、そろそろ寿命だからね」
「後継者は決まっていないんだったな」
「あぁ。抜けた力を持つ貴族が今はいない。そして以前よりも魔物の情勢は安定している。興味は外より内に向かうわけだ。だから誰か指名されたとしても、争いが起きる可能性は消せないな」
デクランは簡単に状況を説明した。それは嘘を言っていないように映った。
「そういう意味でもレイ・ディガードは貴重な存在だ。でも、戦争の件はまだ先の話だ。そうならないことを祈ってるがね」
「そうだな」
そう言ってデクランは部屋を後にした。
エンゾたち冒険者は予備役でもある。
だから政治と無関係とはいえなかった。
しかし、エンゾは口には出さないが、人同士での殺し合いなどに意味を見出せない。
だから貴族の争いに巻き込まれたら面倒だなと、今から忌々しい気分であった。
残されたエンゾは窓を開けて空気を入れ替え終えると、次の仕事へと急いだ。