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円居の歌  作者: 初雪
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らんの帰還(四)


 娘は傾籠に言われるがまま、妙な経路を辿り川沿いへ向かうことに、特段不満を抱かなかった。桟橋に行き当たるたび、なぜか傾籠はそれを律儀に横断するので、やたらと川の上をうろつく羽目にはなったが、それも苦労というほどのことではない。


「傾籠はいつもこうやって散歩をするの」

「いつもはこんなにゆっくり歩かない」

「いつも通りで構わないわ。ついて行けるもの」

「ゆっくりでないと。おろし風を浴びながらなるべく川の上に居るのが良いから」


 時折橋の下へ降り、冷たい水と砂利を踏みながら、二人はどんどん上流へ向かってゆく。すっかりすれ違う人も少なくなった頃、僅かに傾籠が歩みを速めた。


 それと同時に、少し先にかかる橋の袂で、いかにも貴婦人といった出で立ちの女がこちらを見ていることに娘も気付く。ずっと傾籠が来るのを待っていたのかもしれない。そのように思えるほど、彼女の立ち姿は不安げだった。


「ごきげんよう」


 挨拶もそこそこに、どうしたのと傾籠が尋ねると、貴婦人は困ったように橋が架かる川とは反対の方を指差した。

 橋を渡った先にはまだぽつりぽつり住宅地の面影が残っているが、貴婦人が指さす方向にはもう森と丘しかない。


「『らん』が生まれないんだね、大量に。葉が落ちていないから、僕も少し気になっていたんだ」

「子どもたちがみんな《《命の河》》へ戻ってしまわないかと心配で。動物もずっと眠れなくて苛々しているわ。普段は食べない若木の皮まで剥がすから困っているの」


 娘はようやく『らん』という言葉について聞き損ねていたことを思い出した。


「冬眠しない動物が相手となると、僕の手には負えないかも。日を改めて観に来よう。今日はこの子にかかりきりなんだ」

 背の高い貴婦人は娘にぐっと顔を近づける。見定めるように大きく目を見開くと「まあ」と甲高い声を上げた。


「見たことがない『らん』だわ」

 そう、と応えながら、傾籠は難しい顔をする。


「ええ、本当に。今は『水』を集めていたのでしょう? この娘に必要なものは、食事で得られる類の糧ではない気がするわね。あくまで私の見立てだけれど。とりあえず二人とも、ここへ入って『鳥の広場』までいらっしゃったら。貴方、珍しく疲れた顔をしているし」


 言い終えないうちに、貴婦人はドレスの裾を翻し、早足で森の中へ進んでゆく。傾籠は鬱陶しそうに首元のリボンを外してポケットへ仕舞い、娘に目配せをして貴婦人の後を追った。


「ねえ傾籠、私って『らん』なのね。らんって何なの。たまごのこと?」

「たまごで例えるなら、『らん』は殻を破る雛よりも前のものにあたる。生まれる前の何か。何ものでもないただの命」

 傾籠の隣を歩きながら、娘は最も恐ろしい想像をして、微かに肩を震わせた。


「もしかして私、生まれる前に死んでしまったの」




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