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円居の歌  作者: 初雪
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らんの帰還(三)


「言ったそばから。時間が進んで陽が傾いたんだ。夕方になった」

「え?」

 娘は身を乗り出し、窓硝子に目鼻を近づけた。東向きの窓のせいで、太陽は見つからない。とはいえ、一瞬で淡墨を混ぜたように空色が変わったのは確かだ。太陽を覆い隠すような雲はどこにも見当たらないから、やはり傾籠の言う通り、太陽がころりと西へ落ちたのだろう。


「近頃はずっとこんな調子で、時間がいったり戻ったり。望遠鏡を覗いていても、気が付くと火星や月があちこちに動いてしまっていて、記録を付ける意味がない」

 娘は首を傾げた。先ほど学校から帰宅する子どもを見たと思ったが、実はその逆、彼らは学校へ向かっていたのだろうか。

「今は朝なの、それとも昼?」

「どうかな、僕は午前中だと思うけれど。実際のところはもう誰もわからない。それでも案外なんとかなるもので、ご覧の通り、みんな好き好きに過ごしている」


 確かに、言われてみればそのようだ。娘は古書店で立ち読みをする人々の背中を思い出した。


「ただねぇ」と、テーブルにチーズとサラダを並べながら、女店主の連れ合いの男が寂しそうに漏らす。

「時間が狂っているだけじゃなく、どうもぐずぐずして、先に進んでいるようじゃない。葡萄農家は葡萄を摘み終わらないし、春小麦も刈り終わらないからご多忙さ」

「来る日も来る日も葡萄の収穫が終わらないから、次の工程へ進まない。いつまでも新酒が作られなくて残念、お気の毒様」


 まるで悲壮感のない傾籠とは対照的に、別の席では誰かがひっそりと溜息をついている。


「まだ秋」

「もうずっと秋」


 厨房から女店主がふんと鼻を鳴らす。

「いやだよ、まったく辛気臭いったら」


 注文した料理をすべてテーブルに並べ終えると、女店主は厨房へ戻りながら

「傾籠は偏食だから食べないよ」

 と娘に釘を刺す。テーブルに広がる料理は立派であったが、皿は小さいものばかり。どれも二口三口で食べられそうな少量で、ひとまず娘は一番手前に置かれたサラダを手に取ることにした。


 傾籠が口にしたのは一杯の牛乳、ただそれだけ。スプーンやら箸やらを口に運ぶ娘を時折じっと見はするが、それも熱心にという風ではない。


「きみも牛乳を飲むかい。それとも麦酒がお好みかな」

「水が欲しいわ」

「その魚料理は好みだった?」


 魚の酢漬けが一切れだけ残った皿に目を遣り、娘は眉尻を下げつつ何と答えるべきか考えた。どの料理も不味くはない。きっとこの店では何を頼んでも美味いのだろう。ただ、特別好きなものがあったかと問われると、特にないというのが正直な感想である。


 途中で西へ落ちた太陽が真上に戻り、何分かかったのか定かではないが、ともかく金の枝での食事はすぐ済んだ。


「今日は少し寒そうだけど、これから海へ行くのかい」

 女店主に尋ねられ、傾籠はリボンタイの形を整えながら首を振る。


「まずは川へ。市街地から森のほうへ上ってゆくよ」





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