水鳥と惑う女(三)
水鳥はやんわりとかぶりを振る。
「あなたと同じように、何かに導かれていることや不自由を疑ってみてもいい。結局、行き先さえ合っていれば、それを選んだのは誰でも構わないから。わたし、お役目も生きる意味も、そんなものは何ひとつなくて平気だけれど、願いと役目がたまたま同じだったなら、わたしの願いが叶うべくして叶ったということじゃない。話はそれで仕舞いでしょう。ね、だからあなたを背に乗せるのは、どうかわたしにさせて頂戴」
赤く燃える瞳の女は、すぐには是非を答えない。代わりに、リネアと呼んでいた円く動くものの方を見た。
「結局、あそこは何なんだろうね」
「わからない。湧き出ては巡り続ける泉か、あるいは河のようなものではないかしら。だから、わたしは『水鳥』なのでしょう」
女は納得した顔ではないまま、そう、とだけ呟く。
赤い星が惑うのをやめた。
水鳥は彼女の欠片を柔らかな背にそっと乗せてやる。初めてリネアへ行くのだ。二人で。
彼女の眠りを決して妨げることのないように、水鳥は音もなく羽ばたき飛翔する。
近くで見てみると、リネアはやはり河に似て見えた。一体どれだけの時間をかけて流れるのか、巡っては流れ続け、動きを止めない円い河。
水鳥は慎重に友を背から降ろし、河に浸した。さらさらと流れるものはひどく柔らかで、水よりもなめらかで透明な感触がする。
「なんて静かな河だろう。けれど、目を瞑って耳を澄ますと挽歌が聞こえる。あるいは大勢の歓びの声や、祝福かしら。綺麗な音」
水鳥は彼女の行く末を出来る限り見届けるつもりであったが、すいと深くへ沈んでしまい、すぐに何処へ行ったかわからなくなってしまった。
水鳥はなんとも言えぬ不思議な感覚を覚える。彼女は水に融けながら流れていった、ただそれだけのことかもしれない。けれど、水鳥には彼女が加わったことで、初めてその河が完成したようにも思えたのだった。
かつて彼女が死んだ友人の名で呼んでいた円い河。今となっては、彼女の魂こそリネアと呼ばれるに相応しい。
水鳥は河の淵、円の瀬戸際で光る幾つかの粒に目を留めた。
「これはこれで愛おしいこと。この小さな光の欠片のひとつひとつさえもリネア、私の友達」
水鳥は零れ落ちそうな雫を掬い上げてやろうとしたが、果たして巨大な水鳥に触れられて平気なものか判然としないので、羽毛でそっと撫でるに留めた。が、ひとつの粒が翼にあおられ、円の端から河の中にひらりと落ちてしまう。
ぽしゃん。
飛沫の代わりに河の中から歌声が舞い上がり、色とりどりの暖かな光となって水鳥に降りかかる。白い羽毛へ付いたそれは、きらりきらりと星のように水鳥の翼を輝かせた。
「へえ、翼だけ生まれ変わったみたい。これだけ賑やかなら、しばらく友達が見つからなくても寂しくはないな。早速、まだ行ったことがないところまで飛んでみようか」
誰も水鳥の声を聞いていない。誰にも水鳥が羽ばたいてゆくことを妨げられない。ただその翼の美しさに気づき、遠くどこかで息を呑む者が、時たま在るだけ。