やわらかい河のほとり(二)
「それでね、エウロパ。僕は空の中に燃える鳥をみつけたとき、あれはきっと月のように遠くにいて、僕が思うよりも巨大だろうと確信したんだ。普段は大気圏よりずっと上を飛んでいて、その時は気まぐれに地球へ近づいてみたのだろうって。
だって、火の爆ぜる音も羽ばたきの音もしなかったから。
梟のように音を立てずに飛ぶ可能性もあるけれど、もし天使だったら羽ばたくときに音を立てないだろうね。いちいち音がしたら、きっとやかましいに違いないよ」
一瞬、エウロパは読書から思考を手放してしまった。
睡蓮の話を聞きながら、つい天使の羽ばたく音を想像したくなったのである。
「天使の翼は、鈴を揺らすような音を立てる気がする。あるいは川のせせらぎ。飛沫とは違うだろうな。柔らかい川の中で、全身を包まれているときに聞く水中の音」
エウロパと同じ思考の道を辿った睡蓮が、ぼそぼそと囁く。まるで大事な秘密を今この瞬間だけ、自分へ打ち明けているようだとエウロパは感じた。
しかしながら今のエウロパにとって最も重要なことは別にある。天使の羽ばたきについての考察は別の機会に持ち越すと決め、今日は話を切り上げることにした。
「きみが死んだら僕の近くで羽ばたいてよ。ちゃんと聞いておくから」
「それは良い考えだと思うな。けど、エウロパが僕より先に死んでしまったら、きみも同じようにしておくれよ」
しばらくすると、下校時間を報せるチャイムが鳴り響いた。途端、子どもたちの歌声が大きくなる。エウロパが本を読み終えたのは、鐘の音が鳴り終わるのとほぼ同時。エウロパは返却棚に本を並べ、睡蓮は急いで二人分のジャケットとマフラーを引っ掴む。
先ほど睡蓮が半端に開けたカーテンはそのままに、二人は図書室の重たい扉を開けて跳ねるように飛び出した。廊下の先にある階段をいっきに駆け降りる。
「破れた、破れた」