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第48話 失恋と忘却

「……っ」


 どこをどうやって歩いたのか覚えていなかった。誰かに誘われるかのように、アルギュロス宮殿のバラ庭園に足を運んでいた。傍にいる妖精たちは心配そうに声をかけてくれているが、気のせいか声が遠い。


『ダメ……。ちが……、待って』

『ご──、シンは…………のこと、………ってない』

『泣かないで、────じゃない、ダメ──とどかない』


 妖精たちの声がところどころしか聞こえなくなっていく。


(ああ、そういえば、こんなことが時間跳躍(タイムリープ)の時間軸でもあったような……)


 涙で視界がぐちゃぐちゃだからか、いつも綺麗に咲き誇る薔薇もよく見えない。

 日も落ちて薄暗い中、私は東屋で一人座り込んだ。自分があまりにも愚かで、ただ悲しかった。


(前よりも一緒にいる時間が長かったから、胸が苦しくて、つらくて……)


 何を間違えたのだろう。

 どこでこうなってしまったのだろう。

 ボロボロと涙が溢れて止まらない。

 聞き間違い──そんな訳はない。じゃあ、相手を騙すための演技? 自分の都合のいい解釈ならいくらでもつけられる。けれど、それでどうなるのだろう。


(飛び出してしまったけれど、シン様に何かしら事情があったのでは? 魅了にかかっていた?)

『魅了にかかった感じはなかったわ。それに旅行の件は? 聖女アリサとの逢瀬は事実だったわけでしょう』

(ああ、そうだ……)


 次期女王の暗殺未遂が本当だったとしたら、スペード夜王国との関係も見直さなければならないし、婚約破棄も進める必要がある。やることはたくさんあるのに、冷静になれない。

 これでは女王失格だ。

 人の上に立って決断しなければならないのに、失恋一つでこんなに取り乱すなんて。


「こんな気持ち、なくなってしまえばいいのに。全部、忘れちゃえば──」

『忘れることならできるわ。つらいなら、つらいことだけの記憶を消してあげられる』

「え」

『だって貴女はこんなに素敵なのに、酷く傷ついている。ずっと心に棘を持つよりも前を見るために忘れてしまったほうが幸せなことだってあるわ』

「忘れて……」


 私に話しかけてきたのは薔薇の精霊だった。真っ白な薔薇と茨が私を守るように周囲を覆っていく。


(これでは戻れない? これじゃあ帰れ)

『どこに帰るの?』

「え。あ……」


 帰り道を失って困惑するが、シン様は待っていないことを思い出す。

 戻る場所は、ついさっき失ったのだから。

 その事実が、悲しくて、つらかった。


『白薔薇の棘に触れたら、その想いだけ私たちが吸ってあげる』

『その人の思い出も、記憶も、全部消えるから悲しいことなんて忘れてしまいましょう』

『愛し人、泣かないで。やっぱりここは貴女を悲しませることばかり』

「いいの……かな。逃げてしまって……」

『たくさん傷ついて、愛し人の心が壊れるぐらいなら、私は忘れてもいいと思うの』

『その代わり、私たちがいっぱい、いっぱい貴女を愛すわ』

『泣かないで、愛し人。私の大切な、愛しい人。貴女の敵は私たちの敵だわ』

「ふっ……」


 涙があふれ出て止まらない。

 たくさんの優しい声に、堰が切れたように声を上げて泣いた。


 シン様のことを好きで、大好きで、離れたくない。

 奪われて悔しいのに、最後の最後で身を引いた。本当は「自分がシン様の婚約者だ」と大声で叫びたかった。やり直しでそうやって叫んでも、何も変わらなかったのだから。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 どうしてもシン様に愛されているという自信が持てない。


(十二回も繰り返して、十三回目はそうならないようにしたのに──それでもシン様に惹かれて、傍に居たいと願ってしまったのが、いけなかったのかもしれない。そうすればこんなにも苦しくはなかった。婚約破棄を何度も突きつけられたけれど、ここまでの痛みはなかった。今更、シン様の隣に誰かがいる事に私は耐えられない。それぐらい好きになってしまった。好きな人を取り戻すために動く? ダイヤ王国の滅亡よりも、大切な人を取る?)


 自暴自棄になりつつある自分を嗜める。


(それだけは駄目……。ダイヤ王国の滅亡は絶対に回避するの。そのための忘却なら……)


 そうだ。最初から十三回目は恋をしないと決めたのだった。

 それなのに結局シン様に惚れて、同じことを繰り返していた。 


『可哀そうな愛し子。傷つけられて、男なんてみんなそう。……だから、ね。忘れてしまいましょう。嫌なことを全部』

「…………うん」


 もう頑張ったからいいよね。

 疲れちゃったもの。

 私は躊躇いながらも白薔薇の茨に手を伸ばす。

 失恋をしてしまったけれど、忘れてしまえばまだ挽回は出来る。ダイヤ王国を守るという一点だけは──果たさなきゃ。


「シン様、愛しておりました。…………さようなら」


 傍にいた薔薇の精が静かに笑ったが、ソフィーリアは気付かなかった。

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