第22話 形だけの婚約
あまりの衰弱ぶりに私は早々にお茶会を中断することを決めた。そして長椅子へと移動する。私の奇行をシン様は不思議そうに眺めていた。
「ソフィーリア様? もしかして私に失礼があっただろうか?」
「そうではありません。ですが疲労困憊な方とお茶会を強制するほど私は酷い人間ではないので……よろしければ長椅子で休まれてはいかがですか?」
そう気丈に振る舞いながら私は長椅子をぽんぽんと何度か叩いた。寝転がって休むように促したが伝わっているだろうか。
(シン様が曲解しなければいいのだけれど)
「ソフィーリア……。ははっ、ついにこんなリアルな夢を見るなんて。だがそれでもソフィーリアに膝枕をして貰えるのなら」
(ん? 膝枕?)
あまりの眠気に状況判断がうまくできないのかと思っていたら、シン様は倒れ込むように長椅子に横になった。ここまではいい。ここまでは。
問題は、シン様は私の太ももに頭を乗せて――つまり膝枕の状態で爆睡したのだ。
(な、あああああああああああああああああああああああああああ!)
シン様が無防備に膝の上で眠っている。
あまりにも整った顔立ちがすぐ近くにあるのだ。しかも香水なのか良い匂いがする。艶やかな髪が気になってちょっとだけ触れてみたらサラサラで心地よい。気付けばシン様の頭を撫でている自分がいた。
(ハッ! なんて恐ろしいトラップ!)
スヤスヤと眠っているシン様は幸せそうな顔をしている。「何かかける物を」と呟いたら、小人の妖精たちがタオルケットを運んでシン様にかけてくれた。なんて良い子たちなのだろう。
時々物騒なワードが飛び出すけれど。
「スペード夜王国では忙しくて眠る暇もなかったのでしょうか。それともどなたか心に決めた方と……」
脳裏に過るのは聖女の姿だ。
もしこの時間軸でもシン様が聖女を選んだら――。
ふと六年後、シン様の隣には聖女アリサがいたことを思い出す。
ダイヤ王国滅亡を阻止するために重きを置いていたので忘れていたが、あの聖女がシン様たちを焚きつけた張本人だった。しかし十三回目の時間軸に聖女の姿はない。
(そもそもあの聖女はいつからシン様たちの傍にいた?)
四年前に聖女アリサ・ニノミヤを探してみたが、該当者はおろか名前を知る人すら見つからなかったので後回しにしていた。
(ん? ちょっと待って。このまま婚約しないままだとシン様はあっさり聖女と結ばれるんじゃ? そうなっても結局、我が国を貶める未来は変わらない……。だとしたら婚約する際の条件を細かく設定すれば私から婚約破棄とその賠償などもスペード夜王国に発生させることができるんじゃ?)
今までシン様への思いを断ち切ることに全振りしていたので、婚約そのものの有効活用法を考えていなかった。いや考えることすら放棄していた。
(そうよ。婚約破棄されるタイミングと状況が十二回目まで最悪だっただけで、婚約破棄に対してのペナルティーをもっと詰めておけば、あの未来は回避できるかもしれない。婚約破棄することがスペード夜王国にとってもっとも困る手を打てば良い!)
婚約そのものに『愛』がなくても問題ないのだ。そのことに私が拘りすぎていたのが原因だった。
ふう、と何だか一気に気持ちが楽なる。
私がシン様を信じようが、信じなかろうが婚約成立に関係ない。形だけの婚約。どうして思いつかなかったのだろう。
(心の何処かでまだ愛されたいって思っていたから、拘っていたのかも)
気持ちを封じたと思いながらも実際はかなり意識していたし、頑なすぎた。これからはもっと柔軟に対応しなければ、と気持ちを切り替える。
***
「…………ん」
「目が覚めましたか?」
瞬きを繰り返すシン様は、美しい瞳を私に向けたのち数秒ほど固まっていた。
「まだ夢の中か。ソフィーリアが私に膝枕をするなどあり得ないことだからな」
「あの……シン様」
「なんだい。愛しい人。あの殺伐とした国で君の手紙だけが唯一の支えだった。今も昔もソフィーリアと会うことこそが私の生きる目標だった」
夢だと思い込んでいるのか、困った顔で微笑むシン様は今にも泣きそうな顔をしていた。どうしてこの人はこんなにも狡いのだろう。私の決意をことごとく砕こうと揺さぶってくる。
「スペード夜王国の暮らしはやはり辛いことばかりなのですね」
「!」
目を見開いたシン様の表情からして図星だったようだ。少しだけ言葉に詰まったようだったが、彼は片手で顔を覆いながらも、ポツポツと自分の置かれている状況を話してくれた。
「……祖国に戻っても私を待ってくれる者はいない。なんとか貴女と釣り合うだけの社会的な地位はあるが、今後はダイヤ王国以外の交渉者として各地を転々とする可能性が高いだろう」
「だから留学の話に飛びついたのですか?」
「祖国は誰かを蹴落としたり、裏切ったり悪意ある者が少ない。毒殺や暗――いや、血生臭い世界とは無縁な場所で、なによりソフィーリアの傍にいられる口実としては最高だったから」
「!」
こんな風に口説くような人だっただろうか。
無口でミステリアスだったはずでは?
というか敬称無しで今、呼び捨て──。
(夢の中だと思っているからの本音……。それとも私がそうあって欲しいと思っている?)
ふと彼の紫色の瞳と目が合った。
(ああ、これは覚悟をした人の目だ。けれどどの時間軸で見た瞳よりも宝石のように綺麗で、向けられる眼差しは熱が灯っている)
「私の居場所を、ここにしてもいいだろうか?」
「……シン様」
見つめる熱量に困惑して目を逸らす。やっぱり狡い。
ここにきて一気に勝負を賭ける気だ。私は唇を動かして「婚約はしない」と口にしかけて口を閉じる。違う。シン様を私も利用すれば良いのだ。「条件付きで婚約しても良い」と口にすればいい。
「――っ、私は」
「……私では、ソフィーリアの相手として不足だろうか? 仮という形を取っても婚約するには値しないと……」
シン様は困ったように微笑み、そのあまりの尊さに言葉を失った。
狡い。時間跳躍でも見せたことがないのに、ここで縋るような視線と私を思うような熱意がじわじわと伝わってくる。
「あ、えっと……。不足とは思ってないですが……、この先、聖──いえ運命の人と出会った場合──」
「私以外の男に目移りする予定でもあるのか」
(こ、怖い……)
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