07.調査隊集結3
純愛の魔王の住まう巨塔、その三階。無限に続くように見える廊下と、左右の壁に張り巡らされた扉。悪夢の中に紛れ込んでしまったのかと思うほど趣味の悪い空間の一室が、本日の私の宿だった。
安いビジネスホテルから、車中泊と過酷な宿泊生活をこれでも送ってきていたつもりだったが、随分と甘い経験だった。一階は入口として綺麗にまとまっていたが、三階から上はダンジョンとして機能している。
つまりは、西国ダルフから攻めてくる兵士たちを殺すためだけに作られた、罠。中に相応の報酬を隠しておくことで、西国意外にも冒険者が挑戦しにくるらしい。人を殺す建物を作ることで、商売を行っている。ついでに、戦争国の人間も間引くことができる。一石二鳥、ということだ。
しかし、今回の調査隊発足に即して、ダンジョンとしての機能は停止している。突貫工事で人が泊まれる空間を作り出した。
現在私が利用している部屋も、本来は壁が迫り来る圧死部屋だ。壁面に赤黒いシミのようなものが付いていて、気味が悪い。ついさっき配置したのだろう、純白の床とベッドが寧ろ悪目立ちをしている。こんな場所で寝られるわけがなかった。
教授とルピシエ助手はもう寝ただろうか。廊下に出てみると、静寂そのものがそこにはあった。自分の呼吸の音だけが聞こえる。彼女たちが起きているとは思えなかった。
私は音立てずにゆっくりと壁を伝って三階のマッピングを始めた。これは、癖みたいなものだった。前職の時からやっていた、間取り調査。
職業柄、地形を把握して損をすることがない。仮に、ここでひったくり犯が出たら。仮に、ここで殺人事件が起きたら。逃げるものと追うものの関係になったら。
今いる構造を把握していないと、話にならない。どの角を曲がったらどこに繋がって、どの部屋同士が行き来できるのか。脳内でマップを作らなければ、おちおち寝ることもできない。
幸い、純愛の魔王の巨塔は、構造自体は簡易的なものになっている。中心を貫く螺旋階段、それ以外に上下移動を可能とする場所はなさそうだ。問題は内部構造である。
一階はホテルのロビー、二階はホテルのラウンジのような広々とした作りになっているとしたら、三階は迷宮だ。一本の廊下が続いているだけだが、終わりが見えない。扉の数も左右は非対称で、部屋の大きさもバラバラ。螺旋階段を出てすぐの扉から中に入ると、無限回路に迷い込んでしまったのではないかとさえ思う。
左手で壁に触れながら、歩いていると半開きになっている扉を見つける。軽い瞬きを挟みつつ中の様子を見ると、私の自室だった。
つまり、一周したということか。廊下が湾曲していることに違和感はあったが、円を描いて回っていたということだ。無限に続くような廊下は、本当に無限だった。
螺旋階段を中心に見て、十二時の方向から下の階へ降りられるとしたら、六時の方向まで回れば上の階へ行ける、ということだ。随分とややこしいが、純愛の魔王が西国の兵士を間引くために作った構造と考えれば理解できなくもない。
「魔法というイレギュラーがなければ、ワクワクしたんだけどな」
例えば、ここで殺人事件が起きたとする。入り口は螺旋階段の二つだけで、それ以外は無数の扉。アリバイや目撃情報が錯綜し、とても難しい事件になっただろう。やりがいのある、上質な謎になる。
しかし、魔法という概念が邪魔をする。あらゆる物質、現象を模倣できる万能の概念物質、魔力。考えるだけでも、無数の不正ができる。透過、分身体、ワープ。密室殺人など起きようがない。
つまらない世界だ。無限の可能性があるからこそ、探偵という可能性を消去し続ける職は存在できない。推理を一本に絞りきることができない。やはり、私は日本に帰らなければならない。
この世界にとって真のイレギュラーは自分であると理解しているからこそ、消えるべきだ。
マッピングを終えた私は、壁から手を離す。
「いてっ」
思わず手が空に上がった。静電気が発生したのだろうか。日常を感じさせる科学的現象は、少しだけ異世界への嫌悪を和らげてくれた。この世界では静電気すらも魔法学で証明されているかもしれないが。
魔法、魔法ねぇ。
ため息混じりに、螺旋階段を降りる。二階どころか、一階にも誰の姿もない。これは、かなり好都合だと思った。
この螺旋階段を更に降れば、魔王城の地下に行けるのは巨塔の構造的に察しがつく。魔力源があるならば、先に見ておいても損ではない。
「それ以上は行っても意味ないよ」
声が聞こえたのは、体のほとんどが地下に行っていた時だった。
遅れて、二つの足音がカツカツと聞こえてくる。軽いロベルト教授の声でも、女性的なルピシエ助手の声でもない。ましてや、魔王使者シルバでもなかい。
私がまだ会ったことのない、調査隊員。それも、こんな深夜に活動を行っている人物。警戒心は必然的に高まっていく。
シルバの時でさえ、適当な嘘をついたのだ。ロベルト教授がいない状況で、この世界の常識のない私が調査隊員と話すのはリスクが高い。
警備隊員、調査員、記者。これに教授を加えたメンバーで調査隊は構成されると、シルバは言っていた。どれも面倒くさそうだ。特に、記者だったら根掘り葉掘り質問されかねない。
「そうですか」
と、できるだけ穏やかに返す。足音をわざと立てながら、螺旋階段を素早く上がった。
月明かりが漏れ出てる入り口に、二人の男が突っ立っていた。長い黒髪が肩にかかり、鋭い目つきが印象的な中年の男だ。彼の隣には、銀色の仮面を被った謎の男。仮面のデザインは複雑で、その下の表情を完全に隠している。
いかにも、異世界の住人だ。少なくとも、十月末の渋谷駅でないと、日本では生きていけないだろう。
「こんな時間に起きている人がいるとは思いませんでしたよ。おっと、自己紹介が先でしたね。私はトール・クローバー、ロベルト・オーケア教授の助手をやっています」
二度ほど瞬きをしてそう言ってのけると、異世界の住人は嬉しそうに頷いた。そのまま、鋭い目つきの男は胸に手を当ててお辞儀をした。
「カラン・ターマだ。占い師をやっている」