47.純愛の魔王5
「話を聞く限りさぁ」
聞こえるはずのない声がした。酷く落ち着いた、つまらなそうな声色だ。
私の隣にいたのは、ヌル・ファイスだったはず。それなのに、聞こえてくるのは女性特有の高い声色。
過去と真剣に向き合うために、瞼を閉じて異世界から離れた。そのせいで、いつのまにか寝てしまっていたのだろうか。
私は瞼を閉じたまま耳を傾ける。現実を直視してしまえば、この声が夢だと気がついてしまう。
彼女はもう、死んだのだ。
望月茜の声は、ため息混じりに私に向けられた。
「名探偵は他責だよねぇ。ボクが人を殺したことをどれだけ強調すれば気が済むのかな。『私が生み出した殺人鬼』とかかっこよく言ってるけどさ、そんなことはわかりきってることじゃない」
悪夢に対して、私は何も言い返さない。
望月茜との馴れ初めを思い出していたと思えば、すぐこれだ。眠りは浅くなっているのは間違いないが、望月茜が生きているかのように登場するのはタチが悪い。
彼女は、本当にそこにいるかのように話を続ける。
「ボクが犯した殺人は全部自分のせいだって言い聞かせている。一見、その考え方は美しいように見えるけど、自己防衛をしているようにしか見えないんだよね」
「なんだと」、と思わず声に出してしまう。最悪の悪夢であると同時に、冷めたくない夢だ。それでも、彼女の言い分には文句を返したかった。
そんな私の心情を知ってか、望月は煽ってくる。
「だってそうじゃん。責任を感じているならば、ボクをさっさとを捕まえるべきだったんだよ。ちゃんと罪を償わせて、名探偵も同じように罰を受けるべきだった。それなのに、ボクのことを捕まえたと思いきや、すぐに解放したりしてさ。ボクを逃すことで、自分の罪をなかったことにしているんじゃないのかな」
「違う。自らが生み出した殺人鬼が、真っ当な生活を取り戻すことこそが私にとっての贖罪なんだ」
それは夢の中の話で、望月茜の発言は私の深層心理になる。自分同士の言い合いになんの意味もない。それなのに、私は少しだけ熱くなってしまっていた。
「贖罪? 笑わせるね。名探偵は他人を許すことで自分も許されると思いたかっただけでしょう」
「そんなわけがない。それなら、私は望月と追いかけっこをしたりしない。ただ許すだけで良いなら、家でもできる」
「それでも、特別扱いしていることには変わらないでしょう? 殺人を絶対悪としているのに、殺人を犯したボクと遊んでいる」
「それは、監視も含んでいて……」
「特別扱いじゃなきゃなんなのさ。良い加減、気がついても良いんじゃないのかな」
声は、続ける。
「自分が生み出した殺人鬼なんてくだらない考え方じゃ、逃亡劇に付き合ったりしない。殺人を犯す理由に納得して同情してしまっているんだよ。特例で、殺人を許してしまっている」
彼女は少しだけ溜めて、私の耳元に近づいてくる。夢の中だというのに距離感覚がある。彼女は私の脳内に直接語りかけた。
「名探偵はさ。絶対に真っ直ぐでないといけない自分の正義を、曲げてしまったんだ」
命は最も軽い。だからこそ、尊いものである。
殺人は絶対に許さない。
その信念は私を強くしていたし、私そのものでもあった。信念があったからこそ、今までどんなこともやってきた。自分というものを確立していていた。
それなのに、望月茜だけは特別だった。
彼女が金城翼を殺した時も、怒りを覚えなかった。心の中を埋め尽くしたのは、後悔と責任。
今思えば、その二つの感情は私の信念とは程遠い、自分本位のものだ。後悔を感じても、責任を取ったとしても、それは単なるエゴでしかない。
「違うよ。名探偵は『ボク』を特別扱いしたわけじゃない。ただ単純に、初めて殺人鬼側の気持ちを理解してしまっただけなんだ。ボクのことを理解していて、殺人を犯しても仕方がないと同調した。だから、未然に防げたと後悔したんだよ」
彼女は続ける。
「ボクじゃなくてもよかった。誰でもよかった。これから先、名探偵は他の殺人鬼にも同情するよ。自分の尺度で計って、許すかどうか決める。所詮、名探偵の信念なんて薄っぺらく、ただの正義感でしかない」
これは夢だ。望月茜は死んでいるし、この場にいるわけもない。私はベッドの上にいて、ほとんど虚な状態だ。この声も、ただの幻聴に違いない。
幻の彼女に言われるまでもなく、理解していた。本当は、わかっていたんだ。
殺人事件さえなければ、命が不当に奪われることはない。殺人を未然に止めることができる警察官こそ、私の信念の原点であり、一番生かすことができる領域だった。
それなのに、警察組織の不信感や不自由さなどと言い訳を立てて、探偵になった。『殺人事件が起きた後』にしか依頼が来ない探偵に、だ。
命を大切に思うならば、警察官を辞めていない。
私は殺人犯に出鱈目に怒り、推理を展開する。やっていることは、事後処理でしかないのに。
次の殺人事件を防ぐために、早急に解決する。探偵としての職務を信念に沿ってそう言ったこともある。
だけれど、私は望月茜をわざと逃がしていた。彼女が、自ら愛したものを殺すとわかっていたのに。
金城翼を殺した後に、両親を殺す可能性を考慮しなかったわけではない。私は彼女が殺人事件を犯すことを理解していて、『殺人事件を解決するため』に、見て見ぬ振りをした。
結局、私に崇高な正義感など無かったのだ。都合のいい目的を設定して、それに沿って事を進めていただけ。
最後に心から仕事をしたのはいつだろう。事件を解決した時の快感に酔いしれ、自己陶酔していたのではないだろうか。
異世界に来てからもそうだ。十二人目の死体などという、心底どうでも良い物に怒り狂い、自分らしさを失っていた。
クラガン・ステロールという一般人に従って。
シルバという家主のご機嫌を伺って。
教授と生ぬるい友情を育んで。
セーレ第一王女を面倒くさがって避けたり。
ビナを煽って場面を停滞させたり。
ユア・シフトとルピシエ・ターンに関しては興味が湧かず、話そうともしない。
全くもって、らしくない。合理的じゃない。
本来の私ならば、既に解決できている事件だ。それなのに、異世界だからと言って遠回りをして、正義感を振り翳して。
私がやりたいことは、冷酷に事件を解決することだろう。そのためだったら、何だってする。するべきだった。
「わかった。わかったよ。もう、言わなくていい。理解した。私は自分を見失っていた。認めるよ。それで、何が言いたい。謝ればいいのか?」
「まさか。名探偵の謝罪ほど軽いものはないよ。だから、ボクは最初から一つのことしか言ってない。ねえ、忘れちゃったの?」
『勇者の首を差し出せ』
それは、純愛の魔王からの初めてのメッセージだった。
最初から、純愛の魔王が望月茜だと理解していれば、こんなことにはならなかった。全く、探偵意識が低すぎる。彼女は、私に依頼をしていかれていたのだ。
そう言えば、今回の私の探偵活動で足りない意識がこれだった。探偵が誰かの依頼も無く動き始めていたことがおかしかったのだ。
飽くまで、探偵は仕事である。私の真価を発揮させるにあたって、この儀式は必要である。
「もう。仕方がないなぁ。それじゃあ、改めて依頼してあげるよ」
純愛の魔王は、淡々と言葉を告げた。今までの馴れ合いとは程遠い、クライアントの言葉。そこに喜怒哀楽は一切なく、事務的なものだった。それ故に、彼女の本心が理解できた。
「事件を全て解決して欲しい」
***
【二日目 10:15】
もう、望月茜の幻聴に付き合う必要はない。私は瞼をゆっくりと開きながら、起き上がる。眩い光が眼球を照らすが、手をかざすことなく現実を見た。
既にそこには誰もいない。途中まで話していたはずのヌル・ファイスも。死んだはずの望月茜も。純愛の魔王も。
純愛の魔王城十一層、自室。そこにいたのは、探偵黒羽徹、ただ一人だった。
「その依頼、承った」
料金の前払いは、お得意様サービスで無しにしてやろう。




