27.魔王とは
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「クローバーくん」
純愛の魔王城、地下十一層。空間魔法に生み出された、高級ホテルの外観をそのまま切り取ったような廊下。自室の扉を開けた私に話しかけてくれたのは、いつものような笑顔の教授だった。後ろにルピシエ助手の姿はない。
他の調査隊メンバーは、既に自室に戻ったようだ。どうやら、教授は私の隣の部屋なようで、数メートル離れた先から声だけを飛ばしてきた。
「どうしました?」
「謝ろうと思ってね。まさか、こんな事態になるとは予想していなかったよ。時の魔術師カラン・ターマが参加表明を出した時から、警戒はしていたつもりだったんだがね」
「教授のせいじゃないですよ。仕方ありません。地球への帰還が少しだけ遅れたとしても別に問題はないです」
「そうか、そうだな。君は本当に理性的だね」
「ありがとうございます」
どうやら、用事はそれだけだったらしい。教授はそれでも申し訳なさそうに私を見た後、「呼び止めて悪かった。それじゃ」と手を挙げた。
「教授、少しだけ聞いていいですか」
「クラガンくんが注意しに来ない程度の時間で頼むよ」
「はい。この世界の人間にとっての、死との距離感を教えてください」
私が感じた違和感。
それは、調査隊メンバーが不都合に感じた対象だった。人が死んだことではなく、地下に軟禁されたことこそ解決するべき点だと思っているように見えた。殺人鬼を探すことは、そのための手段にすぎない。
クラガンだけではない。ビナは死体の画像を淡々と見せていたし、アオストは終始楽しそうだ。ヌルはずっと眠そうにしていて、セーレ達は自分の目的で精一杯に見えた。
死体に強烈な嫌悪感を見せていたのは、ルピシエくらいだろう。それ以外は、はっきり言って異常だ。捜査一課の面々ですら、首無し死体のあまりの惨さに顔を顰めるに決まっている。
最悪な想像をしてしまう。この世界は、魔王と勇者が戦う異世界。西国ダルフは絶賛戦争中だし、魔法という規格外の兵器もある。
死との距離感が、近すぎるのかもしれない。だから、私のように命が失われたことに対する怒りを誰も浮かべていないのだ。
「寧ろ、その逆だよクローバーくん。君たち異世界人と比べて、この世界の人間は死との距離が遠すぎるんだ」
「どういうことですか?」
「数世紀前に、我々人類は回復魔法を魂にかけた。だから、寿命で魂の根本が劣化するまでは、基本的に死ぬことはないんだよ。勿論、例外はあるけどね」
この世界の死因の第一位は寿命。病気に感染した瞬間に免疫を持ち、怪我は出来た瞬間に元通りになる。事実上の不死身状態が全人類にかけられている。
地球のどの医療技術よりも優れている魔法だ。
例外として挙げられる死因の第二位以降は、寿命の何千倍も低い数が挙げられている。
中でも有名なのは、魔王という存在だ。魔法が一切効かない魔王は、回復魔法すら貫通して命を奪う方法を知っているらしい。故に、人類の敵として恐れられている。
その次の死因が、件の魔力源、あのサバイバルナイフのような呪われた物体によるものだ。こちらもまた、回復魔法を上書きして命を奪い取ることができる。今回は、このパターンによる殺人だ。
ともあれ、調査隊メンバーらの様子は、死について知らなすぎるが故の無関心らしい。人が死んだという認識はあるが、それが恐ろしいものだとは知らない。感覚が私とは違うのだ。
「ルピシエくんが民間医療部隊に入っていたことはさっき話したが、それはとある魔王との戦争で起こされた時の話だ。両親を魔王に殺された彼女は、命の大切さを十分に理解しているのだろうね」
「戦争孤児みたいなことですか?」
「民間医療部隊が孤児達によるものだから、彼女もそうなんじゃないかな。沢山の人の死を見送り、少しの命を救った。彼女の固有魔法に惹かれてスカウトしたが、このロベルトがいなければ未だに戦地にいただろう。強い恨みは今もなお残っているかもしれないねぇ」
「魔王に、ですか。よくわからないですけど、魔王って奴はそんなにやばいんですか?」
「『純愛の魔王』は、生後すぐに両親を殺害した異端児だ。〇歳児の魔王と、昔は世間を騒がせていたものだよ」
「それは、えげつないですね」
生まれた瞬間に人を殺す。地球じゃ到底考えられない。
自身な生み出してくれた両親に感謝することなく、死を与えた。いや、そもそも感謝という概念を理解する前に行動に移したのか?
魔王は、人間とは生物学的に全く異なる存在なのか?
実際、魔王の使いであるシルバは、外見が悪魔そのものだ。羊のような角に青い肌。知性溢れるその性格から人間味を感じていたが、根本的には血に飢えた獣なのかもしれない。
「まあ、『純愛の魔王』はこちらから手を出さない限り、害はない。比較的無害な部類の魔王だね。数年前に討伐された『天使の魔王』は、天国という国を作った。優秀な魔法使いを誘拐し、人体実験をしていた最悪の魔王だったよ。他にも、言葉だけで内乱を誘発して隣国の一つを滅ぼした『傾国の魔王』なんてやつは最近話題だね」
いっぱいいるな。感覚的には、一人で国を相手取ることができる優秀な悪人と言ったところだな。
教授は難しそうな顔を浮かべ、話を続ける。
「言わば、次元の異なる存在。彼らは魔法を使わずにこの世界の王になる知識と技術を持っている。民間医療部隊は各地の戦争地域に訪れて魔王被害者を救ってきたが、失った人間の方が多いだろうね」
「次元の異なる存在って。まるで、私みたいな異世界人じゃないですか」
魔法を使わず、この世界の常識外の技術を使う存在。現状、異世界の常識に怯えているのは私だが、仮にここに数年住めば話が違う。
異世界の常識の穴を見つけられるかもしれない。回復魔法は一酸化炭素中毒に対応しているだろうか。欠損部分に物体を当て続ければ、回復できないのではないか。
ロベルト教授は深く頷き、さっきよりも声を顰める。
「そういう説もある。はっきりしたことは、このロベルトの口からは言えないな。魔王は人類の敵だし、異世界転生した人間は少ない。それに、クローバーくんのような生身でこちらに来た人間は初めて見た。故に、研究は全く進んでいないんだよ」
「話を聞く限り、異世界人が闇堕ちした先が魔王な気がしますね。どちらにせよ、『純愛の魔王』と面会できる可能性は高いようなので、そこで聞いてみます。もしかしたら、地球へ帰る方法を知っているかもしれない」
「あっはっはっ。やはり、君が純愛の魔王城付近に流れ着いたのは因果がありそうだね。案外、純愛の魔王は君の知り合いかもしれないよ」
「そんな美味しい話はありませんよ……」
と、話が随分と弾んでしまった。というよりも、教授がいつものように高笑いを漏らしたからか、向かい側の扉が勢いよく開いた。
「お前たち! 明日の十時までは部屋の外に出るのは禁止だと言ったはずだろう!」
言うまでもなく、クラガンだった。再度高笑いをあげた教授は、私に軽く手を降り部屋に戻る。
どっちが先生かわかったものじゃない。クラガンの方が修学旅行中の担任の先生に見えてきた。私も軽く謝罪の言葉を述べ、部屋の中に引っ込んだ。
扉の隙間から、クラガンのため息が聞こえる。もしかすると、自分勝手な調査隊メンバーに苦労しているのは、魔王よりも彼なのかもしれない。




