17.余震2
【一日目 17:15】
私が自身の幸運に一定の信頼を置いているのは先述した通りだが、今回もまた遺憾無く発揮された。運が良すぎて、逆に悪運とも言えるくらいだ。しかも、一気に二つ。
一つ目の幸運は、セーレ王女以降、誰とも出会わずに十二層のマッピングを終えることができたということだ。部屋を全部見て回ったわけではないが、二つの大通りがどこで繋がっていて、何分程で辿り着けるかを把握できた。
他人と出会わないことで、要らぬ疑いをかけられることもない。実に快適な調査だった。
十二層は大きな通り道が二つあり、片道一時間かかる。往復で二時間。地上から十一層まで三時間かかったし、今日は本当によく歩いた。一息つきたい気分だ。
そこで、二つ目の幸運。何気なしに、右大通りの一番手前の小部屋に入った時のことだ。
私は調査対象の魔力源を見つけた。
「……」
そう。見つけてしまった。
調査隊としての第一関門を、軽々突破してしまった。
この部屋に誰もいないことから、もしかしたら一番乗りなのかもしれない。少なくとも、ロベルト教授が騒いでいない時点で、右回りから始めた人は見落としたことになる。一番手前だったから逆に見つからなかった?
どちらでも良い。重要なのは、私が見つけたことだ。
黒く光る金属品。
その輝きは異様で、まるで周囲の光を吸い込むかのようだった。細身でありながらも頑丈そうなその姿は、一目でただの装飾品ではないことを示していた。
近づいてみると、それは日本でも見たことがある代物だった。
「サバイバルナイフ、か?」
刃の部分は鋭利で、黒い金属が研ぎ澄まされている。握りやすいハンドル部分は、黒い革で包まれ、使い込まれた跡が見て取れる。
どこかで見たことがある気がする。そんなわけがないのに。ここは科学の無い異世界で加工技術も地球とは大きく違うはずだ。何よりも、殆ど手入れのされていないこの洞窟内に、人工物が突き刺さっていることがありえない。
異質だ。
引き込まれるかのように、手を伸ばす。ハンドル部分を右手で掴み、地面から引き抜こうとした時、その右手が大きく跳ね上がった。
「いてっ」
頭上近くまで、手が上がる。
弾かれた……、わけではない。人間による無意識の反射。火の中に手を突っ込んだときの感覚に近い。
遅れてくる痛み。傷を負ったわけではないが、ジンジンと熱い。
再度、サバイバルナイフを掴もうとしたが、私の手は空中で止まった。これもまた無意識だったが、指先が震え始めたのだ。
意味がわからない。まさか、びびっているのだろうか。この私が、凶器を手に取る程度で? まさか、そんなことはあり得ない。
近づくだけで脳が警鐘を鳴らす。探偵としての本能が、危険だと訴えかけてくる。
「まあ、順当に考えてこれが魔力源何だろうな。いやしかし、困ったな。こうも物理的なものだとは思わなかった」
仮に、このサバイバルナイフが魔力源だとしても、だ。とてもじゃないが、異世界への帰り道を作れそうにない。魔力源を元に異世界へのゲートを模倣しようにも、魔法が使えない私ではなにもできない。
もしかすると、手に取ったサバイバルナイフで宙を裂けば、日本と繋がるのだろうか。
それならばやはり、ナイフを掴み取るべきか。しかし、直に触れたら火傷しそうな気もする。科学的根拠はないが、魔法学的根拠があるかもしれない。
悩んだ末に私が出した結論は、静観だった。
ロベルト教授に指示を仰ごう。あの性別不詳の教授ならば、親切に道を照らしてくれるはずだ。
「やはり、一人じゃ何もできないな」
無力の極み、だ。セーレ王女はそれを理解してビナ調査員を同行させていたし、私も知識のある人間と一緒に動いた方がいいのかもしれない。
ロベルト教授と一緒に動けるのがベストだが、ルピシエ助手が隣にいて邪魔だしな。他に頼りになりそうな人間もいない。
私はサバイバルナイフに背を向けて外へ向かう。そこまで焦る必要もない。何せ、魔力源の位置は一番手前側なのだ。私以外の調査隊メンバーもすぐに気がつくだろう。
位置を知れただけでもアドバンテージだと思おう。次の『異世界へ帰る方法』のステップに行けただけ、順調とも言える。
さて、ロベルト教授はどこにいるだろうか。先程はルピシエ助手、警備隊長クラガン、シルバの四人で行動しているのを右大通りで見た。反時計回りで進んでいるのならば、左大通りから回っていけばそのうち会えるだろう。
そう思って、左右の大通りの根本である十一層へと続く階段の前に向かうと、何者かが段差に腰をかけていた。
私の足跡に気がついたのか、その少女は目線をこちらに向けてくる。顔をぱあと輝かせ、スキップをしながらこちらへと向かってきた。
この調査隊に少女は一人しかいない。
「アオスト記者。どうも」
「おっす、お兄さん。あれ、一人なの?」
「その方が気が楽だからね。君は?」
「僕も一人だ。ビナに逃げられちゃったのよ。酷いよね」
僕っ娘、モニ・アオスト。如何にも清楚系な服装と髪型をしているのに、その一人称にギャップを感じる。彼女は微笑みながら、私の隣にぴったりとくっついた。
「ねえねえ、せっかくだし、一緒に調査しない? 他の人たちもグループで調査していることだし」
「いや、申し訳ないけれどそれはできない。私は一人が好きなんだ」
特にお前と二人で行動したくない、とまでは口にしなかった。『モニ・アオストに関わらない方がいい』とビナ調査員は助言していたが、まさにそうだと思う。
この少女、明らかにおかしい。
現在時刻十七時十五分。既に調査を開始してから二時間が経過している。だというのに、アオスト記者がいる位置が一歩も変わっていなかったのだ。
彼女は、調査開始時点から十一層へ繋がる階段に座っていた。
全くもって、意味がわからない。こんな奴には近づかない方がいいに決まっている。国連から派遣された調査員であるビナはセーレ達と共に行動していたが、記者こそがその役目だろう。
彼女は調査をする気が全くない。そして、それを隠すつもりもない。記者としての仕事を放棄している。
「それじゃあ、またどこかで会おう」
「ちょっと待ってよ」
右手をぐいとつかまれる。年相応の握力なのか、簡単に振り払えそうだった。「僕は別にいいんだけど、お兄さんはそれでいいの?」と再度訳のわからないことを彼女は言う。
「心配ありがとう。でも、私にはロベルト教授がいるからね。問題ないんだ」
「そうじゃなくて。一人行動ばかりしていると、アリバイが無くなっちゃうよ?」
「アリバイって。まるで事件が起きるみたいな言い草だな」
「起きるよ」
彼女は確信めいた表情でそんなことを言う。
「それは、アオスト記者が何か事件を起こすって話か? 面倒ごとは辞めていただきたい」
「まさか。僕はただそこにいるだけ。今は記者としての役割を真っ当することしかできない」
「意味がわからないな。もう少し、私にもわかるように説明してくれ」
「『今回の話』は僕じゃなくてお兄さんの物だからね。トール・クローバーがいる限り、事件は必ず引き起こされる。それは、時の魔術師カラン・ターマが未来視魔法を使うまでもなく確定した未来だよ」
事件の元に探偵が現れるのか。探偵がいるから事件が生まれるのか。そういう話を、彼女はしたかったのだろうか。結局、私には理解できない話だった。
頑固そうなアオスト記者を説得するよりも、同行を許した方が楽だろう。そう思って、彼女と共に十二層の探索を続けることにした。
一点だけ、引っかかる点があったとしたら。
私は自分が探偵であると、ロベルト教授以外に話していない。何よりも、その教授から『この世界に探偵という役職がない』ということを教えてもらっていた。
アオスト記者は、なぜ知っている。
何を、隠している。




