意外すぎる事件
通路だけに灯っている松明の明かりで良くは見えないが、モーデルは少しふくよかな感じで品の良い娘だった。あの意地悪さが滲み出ているトーラス卿の娘には全く見えない。
そのモーデルが、まるで料理から立ち上る湯気のように緩やかに話しだす。
「どちらのお嬢様? わたくしのことを知っているの?
あなたはどなたなのかしら」
「私の名はレンと言って辺境のしがない貴族よ。
あなたのお父様とは領地を巡って諍い中なの」
「そうだったのですねえ、わたくしが留学中に領地再編があったことは聞いていました。
レン様もどこかの新しい領主様なのですか?
まだとてもお若く見えるのにご立派ですねえ」
「歳は似たようなものだと思うわよ?
ところでモーデル、あなたはなんで牢屋なんかに閉じ込められているの?
別に悪いことしたわけではないのでしょ?」
「ああ、やっぱりここは牢屋なのですね。
鉄格子の扉なんて変わった作りのお部屋だと思っていたのですよ。
自由に出ることもできないし、わたくしはなにをしてしまったのでしょうかあ」
なんだかこのモーデルという娘は天然の気配がぷんぷんする。こんなところへ閉じ込められているのになんだかのんびりしていて緊張感のかけらもない。それに牢屋に閉じ込められていることに今更気づくなんて変わっているとしか言いようがない。
「思い当たる節は無いの?
イリアと言う名前に心当たりはある?
皇子と結婚するって話は?」
「イリア様? 存じ上げませんねえ。
皇子との結婚と言うのはわたくしがですか?
そんなステキはお話があったらいいですねえ」
どうやらまったくなにも知らされていないようだ。さてここからどうすべきだろうか。力づくで出たとしても騒ぎが余計に大きくなりそうだし、まずはルモンドと相談してから決めることにしよう。モーデルの件はその後また考えればいいだろう。
とりあえずこの何重にも巻かれている鎖がうっとおしい。私はグッと力を込めて両手を広げた。
『ガチャン、ジャラジャララーン』
金属のはじけ飛ぶ音と床に散らばる音が重なって結構大きな音が響く。看守でもいるなら聞こえてしまったかもしれない。
「まああ、随分と不思議なことをするのですねえ。
魔法か何かなのですかあ?」
「魔法ではないけど不思議よね。
でも私にもよくわからないの」
モーデルのことは適当にあしらっておいて脱出する際に一緒に連れて行けばいい。次はルモンドを救出する番だ。しかしモーデルに腕を掴まれ虚を突かれてしまった。
「ちょっとどうしたの?
出る時にはおいては行かないから安心してよ。
今は部下を助けないといけないの」
「でももうすぐお夕食の時間ですから食べてからにしましょう?
ここで出てくるお料理はとてもおいしいんですよお」
どうも調子がくるってしまう。どちらかと言うと短気な私はこういうタイプは苦手なのだ。嫌いなわけではないけどペースを乱されどうしていいかわからなくなる。モーデルとそんなやり取りをしているうちに足音が聞こえてきた。看守が巡回に来たのかもしれないと私は身構えた。
「おお姫様、こちらにいらっしゃいましたか。
無事に鎖も解いておられますな」
「ルモンド! 良く出られたわね。
縛られたところは大丈夫? 痛くない?」
「ええ、問題ございません。
先ほど頂いた鍵が牢屋の物でしたので開けて出てまいりました。
姫様もこんなところにいる必要はございません、さあ参りましょう。」
「そんなことより聞いてよ!
ここにモーデルも囚われていたのよ、驚きでしょ?
しかもハマルとの結婚のこととか全く知らないみたいなの」
「ほう、それは興味深いですな。
つまり第七皇子と結婚するトーラス卿の娘は偽物だと言うことになります。
これは何らかの策謀の匂いがしますね」
「ルモンドもそう思うでしょ?
だから一緒に連れて行こうと思うのよね。
大丈夫かしら」
「城さえ出られればなんとでもなりましょう。
大人しく出してもらえれば、ですが」
こうして想いがけずモーデルを加えた私たち一行は地下牢からの脱出を試みるのだった。まずは看守を何とかしないとと思っていたのだが地下には誰もいない。王城の地下だからと油断しているのだろうか。
一階へ上ると衛兵たちがあっちこっちへ走り回り大混乱の装いだ。いったい何があったのだろう。適当に捕まえると驚くべきことを聞かされて頭が真っ白になってしまった。
「城に賊が侵入したらしく国王が暗殺されたんです!
まだ城内にいるかもしれないからあなた方もお気をつけください!」
「まさか…… 暗殺だなんて……
グランたちじゃないでしょうね……」
「あの冷静なグラン殿が姫様の指示なくそんなことするはずございません。
ただ…… これがトーラス卿の所業だとすると――」
「その罪をなすりつけられるかもしれないってことね。
そうならないように何とかしなければいけないわ」
「左様でございます。
とりあえず牢へ戻りましょう。
あそこにいれば少なくとも姫様の犯行ではないという証拠になります」
「そうね、それがいいかもしれないわ。
グレイズが繋ぎを付けてくれて外へ連絡できるといいのだけど……」
気になることが無いわけじゃないが、とりあえずアリバイ作りのため再び地下へと戻った。それにしても国王暗殺だなんて大それたこと、一体誰がやったのだろうか。可能性が高いのはハマルカイト皇子とトーラス卿だ。
しかし事情を知らないだけで他に狙っていた人がいるかもしれない。たとえば第四皇子のタマルライトや第六皇子のゴーメイトに属する貴族と言う線もある。もちろん何かの手違いでグランたちがやった可能性だって捨てきれない。なんだかすべてが怪しく思えて来てどうしようもなく頭の中が混乱していた。
するとその時数人の衛兵が地下牢へやってきて叫んだ。
「なんだ二人とも牢にいるじゃないか。
すぐ皇子へ報告しろ、急げ!」
「ちょっとあなた達なに騒いでいるの?
もうそろそろ夕食の時間だと思うのだけど?」
「はっ、ただいま城の中が立て込んでおりましてすぐにお出しできません。
申し訳ございませんがお待ちいただけますでしょうか。
後ほどまた参ります」
そう言い残すと衛兵たちは踵を返し立ち去ってしまった。大分混乱している様子なのでどうやら本当に国王は暗殺されてしまったらしい。このままここにいるべきか脱出すべきか悩みどころである。
するとルモンドがまたやってきて逃げようと言ってきた。たった今衛兵に存在を確認させ、国王暗殺時には現場にいなかったことが証明出来た今が好機との判断だ。確かにその通りなので今度は外まで逃げることにした。
城内の混乱はまだ続いていたため誰も私たちに構うこともなくあっさりと城の外へ出ることが出来た。連れて来ていた二人も騒動のことは知っており、私たちの脱出を待ってすぐに立ち去れるよう馬車を表に出してあった。
「手際が良くて助かったわ。
さてとこれからどうしようかしらね。
できればタマルライト皇子と接触したいのだけど今晩は無理かしら」
「皇子は城から出ないでしょうから難しいでしょうな。
使いを出すと変に勘ぐられてしまいそうですし、ここは陣へ戻って策を練りましょう」
「わかったわ、そうしましょう。
モーデルは一緒に来るかしら?
今トーラス卿の屋敷へ帰るのは危険だと思うわよ?」
「そうなのですかあ?
レン様がそうおっしゃるならお供させていただきます。
あの場から出していただいた恩もございますし」
「じゃあ私たちの仲間と合流してから食事にしましょう。
簡素なものしか出せないけど我慢してね」
「わたくし好き嫌いございませんので大丈夫です。
うふふ、楽しみですねえ」
こんな大騒ぎの中一人マイペースなモーデルを見ていると、今起きている騒ぎが現実のものではないように思えてしまうのだった。