君と僕のさよならⅤ
「やぁやぁ、悪いねえ、ここまで来てもらって」
翌日の午前中、軍服を着た蒼羽は絲と共に街の外れの鈴蘭の丘に来ていた。以前来たときは真っ白な鈴蘭が満開だったが、今は緑の草原を紅葉した森の木々が見守っている。
丘には既に琥珀色の男が佇んでいた。
「すぐに分かった自分に腹が立つな」
琥珀の元に行き姿を消した小さな蝙蝠を睨みながら、蒼羽は不機嫌を隠すことなくそう告げる。
この場所まではその蝙蝠に連れられてやって来た。
蝙蝠を見た瞬間、こいつの呼び出しを察知してしまった自分が嫌になる。
琥珀が蒼羽の様子を見て、眉を下げ肩をすくめた。
「街中は警備が厳しくなっていてね。私が人の形で街中に現れて君と接触すれば何か疑われるかもしれないだろう?」
確かに昨日のこともあり、街中の警備はいつも以上に厳しくなっていた。
それだけではない。街に出てから蒼羽もずっと他の兵に見張られていた。
「その蝙蝠が現れてから俺についてた見張りが消えた。蝙蝠を不思議に思う奴もいなかった。それって、お前の仕業か?」
蒼羽が琥珀に尋ねると琥珀はいつもの笑顔で頷いた。
「まあ正確に言うと、僕の、というより碧王の、かな」
「白銀の?」
以前白銀が言っていた言葉を思い出す。
「確か……白銀の特化した能力は幻」
「そうそう。よく覚えてるね」
琥珀の拍手になんとなく苛立った蒼羽は顔をしかめた。
つまり白銀の能力で軍の見張りに気付かれず蒼羽はこの丘までたどり着けたというわけだ。
「さて、本題に移ろうか」
「……お前結果は分かってんだろーが」
「ん? なんのこと?」
笑顔でしらばっくれる男に蒼羽は食って掛かった。
「ふざけんな! お前絲が真紅の女王とかいうやつだって知っててあんなこと言ったろ!」
琥珀は笑顔を崩し、目を細める。
「あれ、なんで君が真紅の女王の正体について知ってるのかな」
琥珀を纏う空気が一瞬で変わり、蒼羽は思わず息を呑んだ。
昨日も真紅の女王の話題になるとそうだった。いつも纏っている穏やかな空気が消える。
真紅の一族、女王に関しては、彼の中であまりしたくない話なのかもしれない。
「あ、あの」
絲が遠慮がちに小さく手を上げると、琥珀の張り詰めた空気が和らいだ。
蒼羽は胸を撫で下ろして絲と琥珀の様子を見守る。
「どうしたの? お姫様」
いつも通り余裕の笑みを浮かべて絲に優しく尋ねる琥珀はなんだか気に入らない。
「私が真紅の女王かもって言ったの」
「……君が?」
絲の言葉が予想外だったのか琥珀はとても驚いた表情をしていた。
「どうしてそう思ったのか聞いてもいいかい?」
琥珀の質問に絲は深く頷く。
「夢を、見たんです」
「夢、ね」
絲は昨日蒼羽にした話を琥珀に再び伝えた。
琥珀は真顔で黙ってそれを聞いていたが、彼の表情は大きく変わることはなく感情や考えを読み取ることができない。
絲の話を聞いた後、琥珀は小さく頷いた。
「なるほど。まぁ、所詮夢は夢だからそこまで気にしなくていいよ。こんなに早く真紅の女王の正体がバレたのは想定外だったけど、いずれは分かることだからね」
よく分からないが、彼の中の作戦を切り替えたのか、彼から戸惑いは感じられなかった。
「とにかく! 真紅の女王がなんだか知らねーし、教える気もねーだろうけど絲を吸血鬼側に渡すなんて論外だからな!」
蒼羽が指さしながら強く言い放つと琥珀は意地悪な笑みを見せた。
「えー、君は損しない条件なのに?」
「どこがだよ!」
損しないどころか大損害だ。こいつの口車に乗せられないよう今後気を付けなければならない。
「はははっ、本当に君達にとって損はないんだけどなぁ……本当に」
琥珀は蒼羽から絲に視線を移して眉を下げる。
「君は、いや、君も碧王も、一体どんな結末を望んでいるんだろうね」
碧王との関わりを匂わせる意味深な言葉に蒼羽は眉を寄せた。琥珀は絲についてどこまで知っているんだろう。
琥珀の言葉に何か思うところがあるのか絲は目を見開いた。彼女の茶色の瞳が揺れる。
「白い花……」
「え……」
小さな唇から紡がれたその言葉に琥珀は動きを止める。
「あの、白い花、知ってますか?」
白い花とは何とも抽象的だ。それだけではどんな大きさのどんな形状の花なのかさっぱり分からない。
「白い花じゃ分かんねーだろ……もしかしてここに前咲いてた鈴蘭のことか?」
絲と初めて来た時、ここには鈴蘭が咲き乱れていた。
蒼羽と絲の思い出に琥珀が介入してきたような気がして、蒼羽は複雑な心境に顔を曇らせる。
「うん、多分……なんか琥珀見てたら、思い出して」
絲は自分でもよく分からないのか、困ったように視線を下げた。
「前に何か言われた気が……白い花が咲くなんて珍しいよねって……」
それだけしか思い出せないのか、彼女はそこまでで口を結んだ。
琥珀は下を向いたがすぐに顔を片手で押さえて天を仰いだ。
「はははっ……ほんと、かなわないよ……君らには」
ゆっくりと深呼吸をして琥珀は口を開く。
「その、昔話は追々ね」
二人しか知らない話は蒼羽にとって全くもって面白くない。知りたいが聞きたくない。
「そんなに睨まないでよ。君が妬くようなことは何もないんだから」
彼は笑顔で付け加えた。その笑顔がなんだか少し寂しそうに見えて、蒼羽はそれ以上何も言えなかった。
「さぁ、話を戻そう。交渉は決裂だったようだから、今夜桃簾を救い出そうと思う」
「今夜⁉」
今日の夜決行とはいくらなんでも急すぎる。色々と準備が必要ではないのか。
そんな蒼羽の心を見透かしたように琥珀は笑顔を向ける。
「既にこちらは準備万端だ。後は君の覚悟が決まるのを待つのみ、かな」
どこか馬鹿にしたような言い方に腹が立ちながらも、いつもの彼の調子に蒼羽は安心していた。
確かに今夜は大将中将共に用があって出かける時間帯がある。幸い千草も退院した後の初戦だと夜の巡回に張り切っているはずだ。侵入するには都合がいい。
「碧王は城から出るわけにはいかないから、俺と紫苑、他の中級、上級吸血鬼数名で向かう予定だ」
「紫苑……? あのクソ野郎も来んのか」
とげとげしい言い方に琥珀は困ったような笑いをこぼす。
「相変わらず紫苑には手厳しいね。でもまぁ安心してよ、あいつにはしっかり首輪つけておくから。最上級がいれば紫苑の手伝いは必要なかったんだけど、今回は諸事情でそうはいかなくてね」
「……俺は、お前は兎も角、あいつは信用できない」
蒼羽の脳裏に広場での出来事が浮かび、唇を嚙みしめた。
「あれ、僕のことは信用できるってこと?」
「なんで嬉しそうにしてんだよ」
「ははっ、冗談はさておき」
琥珀は真面目な声色に変えて続きを述べる。
「昨日も言ったようにまた変なことをしようとしたら僕が消し去るから、その点は本当に信じてよ」
琥珀にとって、吸血鬼にとって、存在を消すことなど造作もない事なのかもしれない。
紫苑のことは許せない。目の前にいたら間違いなく斬っているはずだ。
だが、消し去ると聞いて素直に喜べない自分がいるのも、認めたくないが事実だ。
蒼羽は頭を横に振り気持ちを無理やり切り替える。
「で、俺は今夜あの部屋の呪符を剥がしたらいいのか?」
「そうだね、基本的にはそうだ。だが、何が起こるか分からない。それを踏まえて準備しておいてくれると助かるよ」
つまり吸血鬼、人間、どちらかと戦闘になる可能性があるということだろうか。
「……俺は……俺がどっちについても文句はねーよな」
「もちろん。協力してくれること自体奇跡的だからね」
確かに今までの蒼羽なら吸血鬼と共闘なんて考えられない。
話も聞かずに斬り込んでいたはずだ。
今でも吸血鬼への恨みはあるし滅ぼすべき存在だとは思っているが、以前の蒼羽のそれとはどこか違っていた。




