君と僕のさよならⅣ
小さく深く深呼吸をする。大丈夫だ、落ち着いている。
蒼羽は重そうな扉に右手でノックをした。
「蒼羽一等兵、参りました」
「入れ」
部屋の中から低い男性の声が返ってくる。
「はっ」
蒼羽はその返事を聞き、持ち手を引いてドアを開けた。
中はさすが総司令室といった広さと豪華さだった。真ん中に置かれた大きめの机、その向こうの椅子に偉そうに座っているちょび髭をたくわえた中年の男性がこの吸血鬼専門部隊の現大将、総司令官だ。
だが、実際のところ総司令官とは名ばかりで現場の指揮は大尉の千草に一任されており、総司令官が吸血鬼と戦っているところを蒼羽は一度しか見たことがない。
横には蒼羽を呼びだした眼鏡をかけた細身の男性、中将がすました顔で立っている。
蒼羽は机の前まで進み、仰々しく跪いた。
「面を上げろ」
総司令官のその声に顔を上げて真っ直ぐ大将を見すえる。
「生意気な目をする小僧だ」
顔を上げろと言ったのはこいつなのに随分なことを言う物だ。
やはり前の総司令や中将と違ってこいつ等は好きになれそうもない。
蒼羽は軽く笑いながらお望み通り生意気な口調で質問をする。
「で、その生意気な小僧に何か御用でしょうか?」
「き、貴様! 閣下になんと無礼な」
言われた本人でもないのに中将が慌てふためく様子を見て、蒼羽は心の中でため息を吐いた。
「ふん、まあ良い。草薙の拾い物だ、礼儀がなってなくて当然だろう」
嫌味たっぷりな大将の言葉を聞き、無意識のうちに蒼羽の眉間にしわが寄る。
草薙のおっちゃん――前中将の方が今のこいつらより遥かにマシだ。
「蒼羽一等兵、お主を呼び出したのは"蒼羽一等兵、吸血鬼トノ接触アリ"の報告を受けたからだ」
大将は机に肘をつき顎の前で手を重ね合わせる。
どうやら琥珀と接触したことがどこからか漏れていたらしい。
「吸血鬼と何をしていた? 貴様は何を企んでいる」
呼び出されたのは蒼羽のいくつかの心当たりについてなどではなく、吸血鬼との繋がりを疑われたからというわけだ。
疑いの目を向けられた蒼羽はなんでもないというように平然と答える。
「何時、何処での話です?」
「はぐらかす気か!」
中将の怒鳴り声を聞き、首を小さく横に振る。
短気な人だ、先程からおでこの血管が切れそうなほど浮き上がっている。
「めっそうもない。ただの確認ですよ、ヒラの兵にとって吸血鬼に会うのは日常茶飯事なんでね。聞かれたことは包み隠さずお話しする所存です」
蒼羽の答えを聞き、中将は口を噤んだ。
中将くらい上の立場だと吸血鬼に会うなんてそうそうある事じゃない。ましてや日常的に戦うなんて有り得ないだろう。
「口だけは立つみたいだな」
すぐに狼狽える中将と違ってどっしりと構えるところはさすが大将といったところか。
蒼羽はそんな大将に怯むことなく、真っ直ぐ視線を送る。
「俺は吸血鬼ホイホイと言われるくらい吸血鬼を引き寄せるらしくて。確かに今日も街でたまたま遭遇し、逃げられてしまいました。でもそれだけです。企みなどありません」
琥珀と会っていたことは隠すことでもあるまい。たまたま遭遇して逃げられたというのも嘘ではない。
蒼羽は堂々とした態度で続ける。
「そして総司令に伝言をと言われました」
「伝言?」
大将が訝しそうに眉間に深いしわを作る。
「はい。奴が言うには……えっと確か、我が同胞、桃簾を差し出す代わりに真紅の女王を返してもらおう、と」
蒼羽は目線を下げ琥珀の言葉を思い出しながら並べた。
「真紅の、女王だと?」
大将の声が先程より大きくなる。
「どこでそれをっ」
聞いてはならない言葉だったのか、中将が慌てて付け加えた。
「さぁ? 俺には何だかさっぱりですが、奴らは何か知ってんのかも」
嘘には聞こえない蒼羽の答えに大将達は黙り込んだ。
聞かれたとしても、知らないものは知らないのだからそれ以上に答えようがない。
「……あれを渡せるわけがなかろう。交渉は決裂だ」
大将はしばらく黙った後、怒り心頭な様子で低く言い放った。
「放っておいても吸血鬼達はもうすぐ滅びる。あ奴等……首を洗って待っておれ」
さっきまでの余裕はどこへ消え去ったのか。それほど真紅の女王というものは重要なのだろうか。
「……万が一、次会うことがあれば伝えときます。では、俺はこれで」
一刻も早くこの場を去りたい蒼羽は話し終わったであろう大将の様子を見て立ち上がり背を向ける。
「待て、蒼羽一等兵」
背後から声が掛かり、蒼羽は不機嫌になりながら上半身だけ振り向いた。
「何すか」
「貴様、閣下に先ほどからなんたる態度……」
中将が片方の眉を上げ、蒼羽の態度に苦言を呈す。
大将はそんな中将の苦言を片手を上げて止め、蒼羽を訝しむように問いかける。
「お主、よもや吸血鬼と繋がってはおるまいな?」
蒼羽はその問いかけに何かをあざ笑うかのような笑みを浮かべた。
「そんなのあり得ませんよ」
本当に、あり得ない。殺してやりたいほど憎い相手である吸血鬼と繋がるなんて、あり得ない、はずだ。
「ところで」
蒼羽は浮かんだ質問を大将に投げかける。
「総司令官は……吸血鬼に利用価値があると思われますか?」
「……何が言いたい」
大将は蒼羽の意図を探るように目を細めた。
「そのままの意味です。なんとなく思いついただけなので特に意味はないですよ」
蒼羽は表情を変えず付け足す。
大将は口元を触りながら唸った後、口角を少し上げた。
「……面白いことを言うものだ。確かに吸血鬼は大いに利用価値があるだろう……だが、今の君には関係のない事だ。知りたければ出世することだな」
蒼羽はその返事を聞いて黙ったまま、扉の方へ向き直る。
吸血鬼に利用価値など蒼羽にはこれっぽっちも見出せない。
こいつ等が琥珀の言ったように吸血鬼に利用価値を感じ、街の人々の運命を狂わせた犯人なんだろうか。
「蒼羽一等兵」
扉の取っ手に手を掛けたところで再度名前を呼ばれ一瞬足を止める。
「君の活躍を期待しているよ」
蒼羽は何も答えず振り返ることもなく部屋から出て重たい扉を閉めた。
「……どいつもこいつもくそったれ」
小さな声で文句を一つ呟いてから自室へと急いだ。
「ムカつくっ!」
蒼羽は湯呑に入った温かいお茶を一気に飲み干して言葉を吐き出した。
テーブルに叩きつけられた湯呑が、割れるんじゃなかろうかと思うほどいい音を立てた。
「あお、大丈夫?」
向かいに座る絲はテーブルの中央に置かれたランプを湯呑が当たらないよう自分の方に避難させながら、心配そうに首を傾げる。
「大丈夫じゃねえ。こう、吸血鬼になのか上司になのか分かんねーけど、なんかこう、むかつくんだよ」
考えてみればどいつもこいつも肝心なことは何も話さないくせに、他人を伝書鳩にしていい様に使われている気がする。
絲は戸惑った表情を浮かべながら立ち上がった。
「お茶、入れるね」
「……さんきゅ」
お茶を入れに行った絲の後ろ姿を見ながら蒼羽は片手で頬杖をついた。
「……苛々してても仕方ねーか……」
絲にあたってもどうにかなるわけでもない。彼女を傷つけるだけだ。
自分にできることが何も思いつかない。それ以前に何が真実なのか分からず、どう行動していいのかが見えてこない。
桃簾とかいう吸血鬼を助けることが正しいのかも分からない。
先に進もうと思っていたのに振り出しに戻った気分だ。
悶々と考え込んでいるとテーブルの上に湯気の立つティーカップが二つ置かれ、蒼羽はそちらに視線を移した。
「なんかいい香りだな」
カップからはいつもと少し違う香りが漂っている。
絲はいすに座ると嬉しそうに頷いた。
「そうなの! 蒼羽、最近元気ないからハーブティーってやつにしてみたの。落ち着いたり元気出たりするんだって。あおが病院いた時、お見舞いに来てくれた九十九くんと藤さんが教えてくれたの」
「へぇ、はーぶてぃー」
口をつけると先程の番茶とは違う、優しくやわらかな香りが口に広がった。
不思議と心が落ち着いてきた気がする。
「絲」
「なに?」
「ありがとな。あと、さっきはごめん。ただの八つ当たりだ、俺余裕なくて駄目だよな」
蒼羽は目を逸らせて頬を掻いた。
もどかしい状況が続いて苛々しているからと言って、それを他の奴にぶつけるのは格好悪すぎる。
蒼羽が絲を横目で見ると、彼女は目を丸くした後、やわらかい笑顔で答えた。
「別に気にしてないよ。あおが大変なの知ってるから」
蒼羽はその言葉を聞いてさらにばつが悪くなり、下を向いたままお礼を呟いた。
「そか……ありがと」
「ううん、どういたしまして」
ハーブティーの優しい香りが鼻をくすぐる。
蒼羽は深呼吸した後、ゆっくりと口を開いた。
「そういえばさ……今日、また、琥珀に会ったんだ」
「琥珀?」
琥珀の名が出て首を傾げた絲は話の続きを待つように蒼羽の顔を見つめる。
「まぁ、いつも通りつかめない話ばっかりだったけどな。同胞の開放がどうとか、真紅の女王がどうとか」
蒼羽の言葉を聞いて、絲がお茶を飲もうとしていた手を止めた。
「真紅の、女王?」
「そうだけど?」
絲の表情の理由が分からず今度は蒼羽が首を傾げる。
彼女は少し躊躇いながらも気まずそうに口を開いた。
「真紅の女王って、多分……私だよ」
「そっか……えっ⁉ がっごほっ」
カップに入っていたお茶を何気なく飲んだ蒼羽は予想外の言葉に咽せ、慌てて口を押さえる。
「だ、大丈夫? あお」
心配そうな絲の声を聞き、蒼羽は咳き込みながらもなんとか呼吸を整えて頷いた。
「あ、あぁ大丈夫だ……それより、お前が……絲が真紅の女王ってどういうことだよ」
得体の知れない真紅の女王について絲が知っている、ましてや真紅の女王が彼女自身だと言っている。状況がのみこめない。
「えっと、あのね、最近夢を見るんだ」
「夢?」
蒼羽は自分の悪夢を思い出し首を横に振る。今は彼女の話を聞くのが先決だ。
再び絲を見つめ話の続きを待った。
「いつもはっきりとは覚えてなくて……何処かは分からないんだけど、私は誰かと歩いているの」
絲はティーカップに両手を添えたまま目を伏せ、ゆっくりと思い出すように言葉を繋ぐ。
「その誰かがね、私のことを真紅の女王だって言うの」
蒼羽は言いようのない不安が胸に広がっていくのを感じた。
テーブルに置かれたランプの灯が揺れる。
「それだけはいつも覚えてる……そうだ、あと……炎」
絲は今また思い出したのか、そう言葉を付け加えた。
「炎?」
お茶から蒼羽に視線を移した彼女はゆっくり頷く。
「そう。小さな青い炎が揺れてるの。それを見てるとよく分からない、複雑な感情で溢れて、そして目が覚める」
蒼羽はその話を聞いて口を噤んだ。
ただの夢だと言い放っていいんだろうか。
「だから、多分……ううん、私が真紅の女王なんだ」
絲は確信を持っているようで、はっきり告げた。
「……な、んだよ、それ」
しばらく黙っていた蒼羽から出てきた言葉は結局それだけだった。
真紅の女王について蒼羽は何も知らないが、真紅の一族の不穏な説明からして悪い意味で特別な何かには違いない。
「絲は真紅の女王ってやつが何なのか知ってるのか?」
どうにか絞り出した質問に、絲は申し訳なさそうに首を横に振る。
「それは、分からない……ごめんなさい」
「いや、謝る必要はねーよ」
真紅の女王が何か分からないのは残念だが彼女のせいではない。
吸血鬼と人間が欲している特別な存在である真紅の女王。
特別視される何かがあることは間違いないのだが、彼女とここ半年ほど一緒に過ごした中でそれらしい出来事は特になかった。
「絲、お前って何か特別な力でもあんの?」
「え、ない、と思う」
絲は思い当たる節がないようで眉を下げた。
「……人間じゃない、とか?」
「に、人間だよ!」
「だよな」
彼女は明らかに人間だ。
瞳の色は赤っぽいと言えど赤ではなく茶色だ。
血を飲むことなんて全くなかったし、人を襲うこともない。怪我をしたら吸血鬼は治りが尋常じゃないくらい早いらしいが、こいつは人一倍治りが遅いくらいだ。
そういえば前に見た真紅の一族の説明の中に「怪我」「多い」の言葉があった気がするが、絲の怪我の治りが遅いことと何か関係があるんだろうか。
――かわりに真紅の女王を返してもらおう
不意にあの時の琥珀の言葉を思い出して、蒼羽は眉間にシワを寄せた。
「……あの野郎……」
あの表情、あの言い方は真紅の女王が絲だと確実に知っていた。来てくれるならそれはそれでいいなんてよく言ったものだ。
返すということはやはり琥珀は絲の過去について知っているのだろう。
今度会った時に問い詰めることを決意しながら蒼羽はお茶を一気に飲み干した。
「絲」
「なぁに? あお」
紅茶を一口飲み、絲は首を傾げる。
「お前のことはちゃんと守るから」
琥珀の言葉を完全に信じるわけではないが、吸血鬼だけでなく人間側も信用ならない。
真紅の女王がどういう存在なのかまだ分からない。けれどそんなのは関係ない。
彼女は、絲は、ただの普通の女の子だ。
蒼羽と同じ人間だ。
「うん」
まっすぐ見て宣言する蒼羽を見て、絲は頬を赤く染めながら笑顔で大きく頷いた。




